朝、のそのそと起床・・・
朝飯を頑張って食って、朝風呂で暫しマッタリしてから 出立!! 今日も晴天です♪
最寄りのICから高速に乗って大分県へ
本日1発目の目的地は『咸宜園』 (「かんぎえん」と読みます)は、江戸時代に広瀬淡窓によって、 幕府の天領であった豊後国日田郡堀田村(現大分県日田市)に 文化2年(1805年)に創立された全寮制の私塾です。 「咸宜」とは『詩経』から取られた言葉で、 「ことごとくよろし」の意味。 塾生の意志や個性を尊重する理念が込められているそうです。 咸宜園では、入学金を納入し名簿に必要事項を記入すれば、 身分を問わず誰でもいつでも入塾でき、また「三奪の法」によって、 身分・出身・年齢などのバックグラウンドにとらわれず、全ての 塾生が平等に学ぶことができるようにされた当時としては非常に 珍しい塾でした。
塾の建物や、移築された門や古い家屋が整備された園内に 建ち並び、社会科見学で来ていた地元の小学生と一緒に 係員の説明を聞きます(笑)
そのまま園の駐車場に車を停めたまま周辺『日田豆田町』の 町並みを散策します♪ 天領の町として栄えた大分県日田市。 なかでも豆田町は、豪商の蔵屋敷や酒蔵、長屋が今なお残る 豆田町。 江戸時代以降に建てられた建築群が現存し、国の重要伝統的 建造物群保存地区に選定されています。
一旦、車を取りに戻り車で『日田城』へ 古代・中世から近世初頭にかけての大蔵氏流日田氏および 大友氏流日田氏の山城および居館。 仁寿2年(852年)に鬼蔵大夫永弘が創建したと伝えられ、山上に 段状の曲輪を構え、絶壁を花月川に面し、南麓に居館を構えて山城の 典型を採ってい城郭です。 過去に来た事がありますが(過去日記参照)折角なので立ち寄って 見ました。 前回来た時は石垣があり、上まで登れたのですが熊本地震の影響で 石垣が崩れていて上えは立ち入り禁止になっていました(涙)
さて、朝飯を食ってからまだそう時間は経っていませんが 『日田』のご当地グルメ「日田やきそば」を食います!!(ヲ)
一般的な炒める焼きそばと違い、鉄板上で一部が焦げるほど硬めに 焼く麺が特徴!! ソースで味付けし、具はもやし、ねぎ、豚肉を主に入れるシンプルな スタイル! 昭和30年代に地元で提供され出したとされるメニューです。 「萬天楼」と言うICのそばの店で食いました。
パリパリとモチモチが混在する食感にゴロゴロ入っている豚肉の脂と もやしのシャキシャキ食感が美味!!! 食後、隣の店で大分名物「唐揚げ」もテイクアウトして 車内で食いました!(マテ)
因みに老ちゃんは俺が焼きそばを貪っている間、車内で 寝てました(汗)
さ〜大分は終了! お次は高速を使って一気に進み、福岡と佐賀県の境へ向かいます。
やって来たのは『昇開橋』 正式には筑後川昇開橋 日本国有鉄道(国鉄)佐賀線に存在し、筑後川をまたいで 福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町を結んでいた鉄道用可動式橋梁。 佐賀線の廃線後も保存され、現在は歩道橋として活用されています。 旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)として重要文化財および機械遺産に 指定されています。 筑後川昇開橋は、国鉄佐賀線の鉄道橋梁として建設され、1935年 (昭和10年)竣工、同年5月25日に開業。 舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっている可動橋には 旋回橋、跳開橋(跳ね橋)、昇開橋などがありますが、この橋は 橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する 最古のものです!
橋の全長は507.2m、可動部分の長さは24.2m、 昇降差は23mあります。
今も決められた時刻に昇降をしてくれている観光客にも優しい 設定になっております(笑) 佐賀県側へ回り込んで、橋のたもとに作られた道の駅?駐車場に 車を停めて観光開始! 折角なので、時間を合わせて橋が上がっている時と下がっている時の 両方を写真に撮ろうと思います!
で、上がる時間までまだあったので先に下がっている状態で 少し離れた場所から写真を撮ってから徒歩で橋を渡ってみます♪
橋の福岡側には係員の爺さんたちがいて結構フレンドリーな 対応をしてくれて楽しかったです♪
で、橋の昇降時間にはまだ早かったのですが 「折角だから目の前で見ていけ〜」と橋を上げてくれました(爆)
いや〜ラッキー☆
で、上がり下がりをまさかの目の前でやってもらえて超ご機嫌で 車へ戻って今度は定刻の昇降を写真に撮ろうとスタンバイして居たら ・・・・・・・あれ?
全く橋が動かないんですけど(汗)
もしかして、さっき上げ下げしたのでこの定刻回の昇降は終了 ですか(苦笑)
定刻で待っていた人たち
ドンマイ(マテ)
さ〜次は福岡県側へと戻って熊本との県境にある 『宮原抗』を見学です!! 世界遺産登録されたばかりの三池炭鉱関連の施設です。 三池炭鉱の歴史は、一人の農夫が稲荷山(現在の福岡県大牟田市 稲荷町近く)で「燃える石」を発見したことに始まります。 以来、500年以上石炭採掘の歴史を持ち、明治時代には 三井三池炭鉱と呼ばれ、石炭の産地となりました。
1889年それまで官営であった炭鉱は、三井組に払い 下げられました。 そして、三井が最初に独自開発した坑口が大牟田市にある、この 三池炭鉱宮原坑でした。 明治後期から大正期における三池炭鉱の主力坑で、日本の近代化を 支えた貴重な炭鉱です。 1898年に出炭を開始した宮原坑は、第一竪坑と第二竪坑からなり、 年間40〜50万tの出炭を維持。 1908年には三池炭鉱全体においても28%の出炭量を 占めていました。 三池炭は、高品位で豊富な埋蔵量を誇っており、国内外の石炭の 需要に応えました。
宮原坑は、付近の三池集治監に収容されていた囚人が坑内で 労働を行っていた場所でした。 1930年に、国から坑内における囚人労働の禁止令が 通達されると、囚人を主な労働源としていた宮原坑は1931年に 閉坑となりました。
現在、宮原坑には、高さ22m日本最古の鋼鉄製の第二竪坑櫓や 巻き揚げ機室、デビーポンプ室が現存しており、宮原坑の 見どころとなっています。
サクッとみて移動する予定でしたが、流石は世界遺産登録された ばかりの施設です。 地元の熱の入りっぷりが違う(汗)
ガッツリ説明の係員が随行して詳しく詳しく説明してくれました。
それ自体は非常に楽しく有難かったのですが・・・・・・
予定していた時間の倍以上かかったのが痛かった(泣笑)
県境を越えて熊本県へと入り、すぐに次の『万田抗』へと到着。
明治の頃の技術の粋を集めて建造された日本最大規模の2つの 竪坑を持つ万田坑。 1800年代の終わりから1900年代初めにかけて2つの竪坑が 建造され、設備や機械も充実し、1900年代前半に採炭は 最盛期を迎え、日本の産業振興を支えました。
保存されているレンガ造りの重厚な建物そのものも 見ごたえがありますが、炭鉱マンたちが地底と地上を行き来した 坑口や、巨大な機械が残された機械室なども迫力満点です。 1908年に完成した第二竪坑櫓は、ケージ(昇降用エレベーター) が吊り下げられ、炭鉱マンの昇降や資材の運搬に使われていました。 現在は埋め立てられていますが、炭鉱が稼働していた頃は 深さ264mもある竪穴がありました。 炭鉱マン達が当時使っていた木製のロッカーやヘルメットなども 無造作に置かれたままで、石炭が産業振興を支えた全盛期の 賑わいをしのばせてくれます。
勿論、こちらも係員常駐で詳しく詳しく付きっ切りで全施設を 説明してくれました♪ 予想通りです(苦笑)
予想以上に炭坑X2で時間を消耗したので、恐らく予定していた 残りの熊本の城跡は全部は回れませんが、取り敢えず 一番近い『鷹ノ原城』位は見ておこうと急ぎ向かいます。
鷹ノ原城は、慶長4年頃加藤清正によって築かれた城です。 この頃、清正は居城熊本城の他に佐敷城、内牧城などの境目の城を 強化しており、鷹ノ原城もこの頃普請が始まったと 考えられていまする。
鷹ノ原城は、加藤正次に次いで正次の子丹波守正長が城代を 務めたそうですが、元和の一国一城令により廃城となりました(涙)
鷹ノ原城は、南関町役場の北側の丘陵に築かれており、二の丸と 三の丸は畑や果樹園となっていて、本丸の一角に西南戦争で戦死した 将兵の官軍墓地があります。 遺構は曲輪、土塁、石垣が確りと残っており予想よりも見応えが あって良かったです!
城跡を下って行き、山の反対側へ出てしまったので 役場の周りを回って戻ります。 その途中で『豊前街道南関御茶屋跡』を発見したので見学! 豊前街道南関御茶屋跡は、熊本県玉名郡南関町にある国指定の 史跡で、1852年に建てられたものす。 参勤交代時に藩主の休憩所、宿泊所として用いられた建物です。 2003年8月、腹切坂とともに国の史跡に指定され保存修理され、 2004年度に修理が完了したそうです。
さ〜後は帰るだけ! 北部とは言え熊本に居るので、やや急ぎ足で空港を目指して 高速を只管GOGO!
空港近所で給油を済ませてレンタカーを返却して空港へ 最後に土産を買ったりして時間を潰そうと思っていたら・・・
何!? 何か便のトラブル続出で掲示板が酷い事になってるんですけど(汗)
天草行き「搭乗員が確保出来ずに欠航」 高知行き「便が来ず機体が無い為に欠航」 関空行き「機体トラブルでお待ちください」で4時間経過中 他の便もこの3つの影響か軒並み遅延してます(汗)
一体どうなる事かと思いましたが、我々の便は 福岡空港を21:00発の最後の方の便だったので 20分遅れ程度で済みました。 取り敢えず、飛んでくれたので良かった(汗)
空港でのドタバタトラブルは何のその、上空に上がってしまえば 空は安定しており、若干の揺れ程度で順調に進みました。
羽田空港へは定刻22:35着を30分ほど遅れて23:00 頃に到着でした。
帰りの電車の時間がある老ちゃんと急ぎ足で空港内で別れて 俺も帰路につきます・・・
帰り道ですき家で晩飯を食ってから2時頃に帰宅 勿論明日(今日)は仕事なので急いで寝ましょう(苦笑)
最後は飛行機が飛ぶのかどうなるかで無駄に冷や冷やさせられ ましたが無事に帰って来れたのでマジで良かったです(涙)
初の4県を跨ぐイベントでしたが、見たい物も見れ、食いたい物も 食えたので非常に満足のいく旅でした!
熊本北部は少し予定分が残ってしまいましたが、元々が 今回熊本北部は他のイベントから引っ張って来て追加した部分なので その時に行けば良いので無問題です(笑)
その時もきっと楽しく有意義な旅になる事でしょう!(笑)
ま〜まずは今回も無事に楽しく終えられた事を感謝しつつ お疲れ様でした〜
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