もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2018年07月18日(水) 東端の九州2〜海側〜


天候は晴れ
メッチャ晴れ

太陽がギラギラしています(汗)

朝飯の正統派!って感じの海の幸メインの朝食を食い
朝風呂に入ってから出発です。


まずは宿から
九州最東端の地『鶴御崎』を目指します。

大分県佐伯市の鶴見半島の先端部にある九州最東端の岬で
日豊海岸国定公園の一部となっている場所です。


・・・ま〜僻地(マテ)

山奥&離島以外でスマホの電波が入らないって
久しぶりに経験したぞ(汗)

更に細い海沿いを走る県道?に立っていた
「町民の悲願!FOMAが繋がる町」って錆びた看板が
切な過ぎる(涙)


ま〜九州東端って事は四国の西と一番近い=海が狭いって事で
ここを豊後水道と呼びます。
更に豊後水道の入口に位置することから、1926年(大正15年)
から豊予要塞の一部として一帯が要塞化され、現在でも砲台跡等の
遺構が数多く残っている事が行く前の調べで発覚!

行くしかないだろう!と周辺の要塞址を調べまくって
予定に慌てて追加したのはいい思い出です(マテ)

宿から1時間ちょい
狭い県道を海沿い山道を走り続けて鶴御崎へやっと到着

天気も良く、展望台からの眺めは最高!

鶴御崎の北側には約600mの元の間海峡を挟んで大島が浮かんで
います。
元の間海峡には、大潮の時には2mもの潮目(段差)が生じ、
タイミングが合えばその様子はこの展望所から見る事が出来る
そうなのですが、残念ながら時間的に今回は見れませんでした(涙)

岬に建つ『鶴御崎灯台』を見学
海抜約200mの絶壁に立つ九州本土最東端の灯台で
鶴見崎砲台跡地に建てられています。
1981年(昭和56年)3月25日に初点灯した比較的新しい
灯台だそうです。

灯台の足元に残る『鶴御崎砲台跡』も勿論確りと見学!!

そもそも鶴御崎砲台は1920年(大正9年)に旧日本陸軍が、
太平洋から瀬戸内海に至る重要なシーレーンであった豊予海峡
(関アジ、関サバで有名な大分県佐賀関と愛媛県佐田岬との間の海峡)
を守るため「豊予要塞」の建設を始めました。
その要塞建設計画に基づき、鶴御崎付近の丹賀に旧巡洋戦艦「伊吹」
に搭載されていた2連装30cm砲塔1基が、鶴御崎にはその観測所が
それぞれ建設されました。

1942年(昭和17年)に「豊予要塞」の主戦力の一つであった
丹賀砲台が実弾射撃演習中に砲腔破裂事故が発生し、丹賀砲台は
多くの戦死者とともに壊滅的打撃を受けてしまいます。
戦時中の事でもあり、陸軍は急遽、観測所があったこの鶴御崎に
15cmカノン砲を装備した砲台を築いたのでした。
戦時中の物資不足の中、近隣住民を総動員した突貫工事の結果、何と
僅か6ヶ月で「鶴御崎砲台」は完成!!!

・・・・しかし幸運な事に?米海軍の艦艇が豊予海峡を通過する
はずもなく「鶴御崎砲台」は一度も実戦を経験することなく終戦を
迎える事になったのです(苦笑)

灯台の足元の観測所、灯台の展望台から少し離れた山道の奥の
別の展望台周辺に残る砲台跡を見学しましたが、二つとも確りと
遺構が状態良く残っており感動ものでした!


続いて来た道を戻りつつ、先の砲腔破裂事故で大破した
『丹賀砲台園地』へと立ち寄りました。
砲塔井には今も爆発事故のあとが残り、厚さ2mを超すコンクリート
に刻まれた傷は爆発の大きさを記しています。

砲塔井の直径は10m、深さは12.8m。
もっとも薄いところでも2m以上の鉄筋コンクリートで
造られています。

砲塔井へ行くには斜坑を通るのですが、リフトでおよそ3分で
登れます。
階段は162段あり、すべて御影石で作られています。
幅は狭く、最大傾斜角度は45度全長80mの急階段です(汗)

現在リフトがあるところにはベルトコンベアがあり砲弾を運んでいた
そうです。
現在はドーム状の屋根を作り貴重な戦跡を風雨から守っています。


非常に楽しみにしていたのですが・・・・・・


火・水曜日定休




もうね

死ねよ


観光地で定休日が連休って客を舐めすぎ(怒)

取りあえず侵入して(マテ)麓にあった水圧蓄力機室、
地下砲側弾薬庫を見てきました。

ドームは山の上にあるのを遠くから確認(涙)



気を取り直して昼飯を食います(泣笑)
佐伯市内まで戻って来て、ご当地グルメの「佐伯ラーメン」を
老舗「藤原来々軒」にて食います。
開店時間の20分ほど前に着いてしまいましたが、店の前の
駐車場で車内でゴロゴロしていたから無問題♪
開店と同時に入店。
俺らが入った後から長蛇の列になったのでラッキーでした☆

佐伯ラーメンは、醤油豚骨系スープに太麺が特徴。
店によっては豚骨と魚介のダブルスープ
(魚介には地元特産のいりこダシを使用)とする場所もありますが
大きな特徴は
「しょっぱい。油っこい。ニンニクパウダーとコショウ多目。
スープ少な目」と評されています。
具材としては、チャーシューチップ、ゴマ、ネギ、モヤシが定番

佐伯市では、昔から漁業や造船業といった汗をかく仕事が多い
土地柄であった事。加えて山が近いため、朝には海風が吹き上げて、
夕暮れなどは吹きおろしの強い陸風が吹く。
その為、暖かく塩分補給を考慮した塩気が強い佐伯ラーメンが
生まれたと言われているそうです・・・



さて、食後は海沿いを北上しつつ空港を目指します!
まずやって来たのは『豊後二見ケ浦』
佐伯市のシンボルのひとつで初日の出スポットとして人気の場所です。
堤防からすぐ目の前の海に浮かぶ夫婦岩で
岩と岩を結ぶ大しめ縄は、長さ約65m、重さ約2t、
最大直径約75cmで、1994年にはギネスブックに
掲載されましたほどだそうです!!



続けて、通り道沿いに出てきて思わず立ち寄ってしまった
『浅海井駅』読み方は(あざむいえき)
佐伯市上浦大字浅海井浦にある、九州最東端の駅だそうです(笑)

小さな小さな駅前を通り抜けてやって来ました『暁嵐の滝』
ぎょうらんと読みます。
大分百景のひとつで全国的にも珍しい、海岸からわずかに500m
足らずに位置する瀧です。
およそ14mの断崖から流れ落ちる滝は、水の綺麗さ、木々の緑の
深さなど素晴らしく、海、住宅地の近所とはとても思えぬ
山奥感を出しています(笑)

瀧周辺は、駐車場もあり日本庭園風の公園になっていたり、瀧の上に
展望台があったりとかなり確りと整備されていました。


さて、更に海沿いを北上して行き2つ目の半島へ
その先端にある『関崎灯台』へやって来ました。
大分県最古の灯台です。
佐賀関半島は矢じりのように突き出していて、矢の先端付近に
「大黒」、真ん中付近に「小黒」という集落があります。
山と海にだけ囲まれたこれらの集落と関崎灯台は・・・・・

僻地(ヲ)、いや・・・・秘境(マテ)

道は山坂オンパレードです(汗)

この辺りの資料館である関崎海星館へ車を停めて
灯台を目指して岬から海側へと山道を下って行きます。


ま〜汗だくですよね(汗)


灯台はすぐに見つかったのですが、灯台付近にあるはずの
『関崎砲台跡』が見付からない!!(涙)
更に資料館に戻って調べたものの詳しい資料が見当たらず(汗)


先ほどの灯台までの遊歩道と言う名の山道を
何往復もしてやっと発見しました・・・


遊歩道の案内看板には砲台跡の文字もちゃんとありました。



案内看板が出て来るのはメッチャ分かりにくい分岐を発見して
ダメもとで曲がって行ってみたその先に、小さく出て来ましたが(怒)


関崎砲台は大分県大分市にあった旧軍施設で豊予要塞の一環として
設置されました。
大正10年7月着工、大正13年1月竣工。
12cm速射カノン砲を2門備えた砲台でした。
現在も山の斜面に砲座跡、官舎跡が確りと残っていて
辺りの山奥感もあり雰囲気は最高でしたね!

案内板の設置に悪意を感じましたがね(怒)



さてさて、汗だくになりましたが無事に砲台が見付かったので
ご満悦で撤収!
ここからは高速を使って移動しますが、最寄りICまでの間にて
『早吸日女神社』を参拝して来ました。
佐賀関沖の豊後水道には、蛸にまつわる伝説が残っていて、
紀元前667年、神武天皇が東征の際に、速吸の瀬戸(豊後水道)の
海底に大蛸が住みつき、潮の流れを鎮めるために守っていた神剣を、
関に住む海女姉妹が海底深く潜って大蛸よりもらい受け、神武天皇に
献上したと言われています。
この早吸日女神社は、その神剣をご神体とした神社で、古くより厄除
開運の神として地元の人の信仰を集めています。
また、神剣を守っていた蛸も崇められており、蛸の絵を奉納して
一定期間蛸を食べずに願い事をすると成就すると言われる
「蛸断ち祈願」を行っている全国でも珍しい神社です。



・・・・タコ

美味しいよね(マテ)




何故か無性にタコの唐揚げやタコの刺身が食いたくなりましたが
きっと気のせいでしょう!
高速に乗って空港へ・・・・・の前に!

折角の温泉県に来たのでもう一か所くらい温泉に入りたい!!

・・・・さっきメッチャ汗だくにもなったしな(汗)

ってな訳で、途中で高速を降りて『鉄輪温泉』へと突撃しました♪
大分県別府市にある温泉で、別府八湯の一つ。
温泉の湧出量では日本最大である別府の源泉の大半が鉄輪に
集中している。
湯治場の面影を濃く残し鎌倉時代(建治2年)に一遍上人が
念仏行脚の途上に鉄輪の地を訪れた際、猛り狂う地獄地帯を鎮め、
湯治場(鉄輪むし湯)を開いたのが始まりとされ、そのため上人創設の
鉄輪むし湯には一遍上人像が祀られ、また「上人湯」という名の
共同浴場もあります。
上人像の自分の体の悪い部分と同じ部位に温泉の湯をかけると、
悪い箇所がよくなるとされる名湯です!

勿論「上人湯」へGO!
近所の喫茶店で入浴札を借りて(勿論有料)小さな町の
木造りの公衆浴場で地元の爺さんとマッタリ話しながら
この旅を振り返ったりと温泉を堪能します♪(笑)


さ〜思ったよりも温泉への寄り道で時間を喰ってしまったので
急いで帰るよ〜〜!!
最近の俺らの旅にしては非常に珍しく、レンタカーの返却時間が
結構ギリギリになりそうです(汗)

なので結構ガッツリと高速を飛ばして進みます!!!

高速でだいぶ時間を短縮出来たので最寄りのICで高速を降り、
最後、もうレンタカーの返却時間まで時間はありませんが
昨日の行きの車内から看板だけ見つけていて、帰りに絶対寄ろうな!
と言っていた為、どうしても立ち寄りたく、探している時間は無いので
国道から看板に従って左折してすぐに見つからなかったら諦めよう
と思っていたのですが、運良くすぐに発見出来た『安岐城跡』が
今日の最後のポイントです(汗)

築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に
飯塚城主の田原親幸によって築かれたと云われる城です。

室町時代の田原親宏は一時豊後から追放されており、大友宗麟の時
に帰参が許されると国東郡安岐郷を与えられました。
この時に安岐城が拠点として整備されたそうです。
安岐城は安岐川河口の平地に築かれ、現在の天満宮のある所が
天守台跡とされ一部に石垣が残っていました。
その参道が土塁で南西隅は櫓台として空堀に張り出し、外側には
内堀が残されています。
天満宮の東側が本丸で、その一画にある神社に安岐城の石碑が
建っていました。

最後の城が予想以上に手軽に終わったので、無事に時間よりも
少し早くレンタカーを返してから空港へと送って貰いまじた。

18時前には「大分空港」へ
空港を19:15発の便だったので
残り時間で最後に土産を購入したり、トイレに行ったりして
あっと言う間にフライト時間に!


定刻通りに大分を出発

サラバ大分!

上空は大きな揺れも無く羽田空港へは定刻の20:50着




は〜
羽田に帰ってくると何時も発生するこの鬱感は本当に
何とかならないものですかね??(汗)

空港から車で茅ケ崎経由で帰宅。

帰りの道路はまずまずの流れ
普通だっただったら「今日は空いている方だね」とか言えると
思うけど軽快に走った大分の後だと信号の多さとかが
マジでストレス(汗)


茅ケ崎駅前でコチヤと別れてから帰宅したのが
23時過ぎだったかな

いや〜今回も無事に終了!
九州最東端にも行けたし、その周辺の半島は意外と見所も多くて
楽しかった!
珍しい温泉にも入れたし今回も大成功なイベントでした♪

次は最西端か最北端か?(笑)


まずは明日も仕事なので早めに寝ますか(苦笑)
それでは今回もお疲れ様でした〜


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