もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2018年06月14日(木) 北陸記19

朝、頑張って8時に起床

朝飯も食います!
焼き魚にイカの刺身と言った海らしい朝飯を食って
食後30分も経たずに即出発!!


まず向かったのは、昨夜追加したポイント
『珠洲神社』
須須神社は能登半島の先端に位置し、鳥居のすぐ目の前が海に
面している神社です。
日本海側一帯の守護神とされ、第10代祟神天皇の時代に創建された
由緒ある神社です。
祭神は、寺家高座宮の主神高倉彦神と山伏山山頂の奥宮に祀られて
いる美穂須須美命。
須須神社の宝物殿には、国指定重要文化財の木造男神像や、
数々の古文書、義経ゆかりの品々が収蔵されています。
中でも「蝉折の笛」は義経が海難を救われたお礼として奉納した
宝物の一つです。


次に向かったのは、ここも前回の能登半島行き(過去日記参照)で
訪れていますが、折角のメジャースポット&通り道だったので
『見附島』へ立ち寄って見学です。
高さ28mの大きな岩がそびえ立ち、軍艦がこちらに向かって
くるかのような大迫力は能登のシンボルにもなっているそうです。
ちなみに弘法大師が布教のために、佐渡から能登へと渡る際に
発見したと云われています。



次の目的地へ向かう途中、信号待ち中に道路脇を見ていたら
発見した看板「→松波城址」

取りあえず行ってみよう♪

徒歩で登るには怠そうな山道をイケイケで車でGO!
登った先には城址の碑と・・・武道場?合宿所??の
廃墟が建っていました(苦笑)
『松波城址』は文明6年(1475年)、能登畠山氏3代目当主
畠山義統の3男とされる畠山義智により築城されたと伝わっています。
以後、6代に渡り松波畠山氏の居城として奥能登一帯を統治する
拠点だったそうです。
5代当主・松波義龍の代に、この地の有力豪族松波氏の名跡を継ぎ、
松波氏を称し、松波城は能登畠山氏の居城・七尾城の支城的役割を
担いました。
天正5年(1577年)、七尾城陥落後に上杉謙信家臣の長沢光国に
攻略され、6代目当主松波義親が自害し落城。

近年、15世紀後半から16世紀のものとされる枯山水式の庭園の
跡が発掘され、1991年には県指定史跡に指定され、2012年
には建物群や庭園跡を含む一帯が旧松波城庭園として国の名勝に
指定されていたそうです

・・・・全く知らなかった(汗)

さてさて、イイ感じのサプライズもありテンションは上がって
逝きます!


・・・・気温も上がって逝きます(汗)
暑い!
日光が肌に痛い(涙)

そんな灼熱地獄な中、『九十九湾』へと到着です。
九十九湾は大小の入り江からなるリアス式海岸で、日本百景の一つに
数えられています。
東西1km、南北1.5kmの小さな湾ですが、海岸線は13kmに
及び、屈折が多く、入り江が九十九を数えるとして「九十九湾」と
呼ばれています。
湾の中央には、蓬莱島があり、鬱蒼としたスダジイに覆われていて
松や桂樹が繁茂し、あたかも蓬莱の画図を見るようであると、
この名が付いています。
湾奥には金沢大学環日本海域環境研究センターの能登臨海実験施設が
あります。

折角なので遊覧船に乗って、爽やかな海風を感じながら約40分かけて
湾内を周遊します♪

波が穏やかな湾内では、船が揺れることもなく綺麗な風景を
我々しか乗っていない船なので貸切で静かに堪能♪
途中立ち寄る湾内に設置された周囲約100mにも及ぶ生簀場は、
正に「ミニ水族館」!
マダイ、イシダイ、アジやタコなどの餌付けショーは
希望する人には、魚たちへの餌付けが体験できます。
勿論やって来ました♪

また、特別グラスで天然の魚への餌付けや
海中の群れが見れたりも出来ました!

・・・・・・・・俺、この場所に包丁と米と酒と醤油とワサビを
持ち込んで宿泊したい(ヲ)

って言うか、ここが本当の宝島ですわ!!(笑)

興奮冷めやらぬまま陸へと戻り、軽く高台から湾内を眺めてから
撤収!!


続いてやって来たのは『真脇遺跡』
・・・・石川県、思っていたよりも遺跡が多いな(笑)

この遺跡は石川県鳳珠郡能登町字真脇にある縄文時代前期から
晩期にいたる集落跡の遺跡です。

真脇遺跡は能登半島の先端から少し内海に入ったところにある
入江の奥で発見されました。
用水路工事に伴う1982年に行われた発掘調査により発見された
遺跡で、入江奥の沖積低地の遺物包含層の、最近の水田の土地の
約1m下にあって、そこから約3m下に亙って遺跡の含まれる層が
年代順に綺麗に層を成していました。
そこから発掘される史料なども豊富であるため、「考古学の教科書」
などとも呼ばれるそうです。
発掘で出土した厚く堆積した300体を超える大量のイルカの骨や、
長さ2.5mもある巨大な彫刻柱、土偶、埋葬人骨、厳つい風貌の
土面は後期に属する日本最古の仮面、整然とした土層などが
話題を呼んだそうです・・・・


が、今は観光客も居らず閑散としていますね(汗)
ここも俺らの貸切です。


広大な遺跡内を見学していたら
「すみません」とカメラを持った男性に声を掛けられました。

写真でも撮ってほしいのかな?と思ったら

「北陸新聞の記者です」

はい?

何でもこの遺跡の特集を組んだものの、どうしても風景写真だけでは
なく人が写った写真も欲しく、朝から人が来るのを待って
いたそうです(涙)

もうね
彼から「絶対に逃がさない!」ってオーラが感じます(笑)

ま〜適当に見学しているので好きに撮ってくれて構いませんよと
伝えておきました。


横からパシャパシャとシャッター音が聞こえますが
気にしない気にしない(苦笑)

何回か「このサークル内に建って柱を見上げて貰えますか?」とか
「この石の前で3人で並んでもらっても良いですか?」とか
指示はありましたが

「柱は見上げながら古代のロマンに思いを
はせる感じでお願いします!」とか
「太古の歴史を感じる顔でお願いします」とか
素人に無茶苦茶要求するなよ!!(涙)



何だかんだでまさかの北陸新聞デビューでした(ヲ)




記者と別れて次へと移動
・・・って言うか、俺らが来なかったらあの記者は今日1日中
来る可能性の低い観光客を広い遺跡で1人待ち続ける羽目に
なってたのか〜
・・・・・・・・・惨いな(涙)



朝から殆ど海沿いを走っていますが、その途中で『ボラ待ちやぐら』
を見ておく事にします。
天文学者パーシバル・ローエルが、著書の中で
「怪鳥ロックの巣のようだ」と表現した漁業用のやぐらです(笑)

やぐらの上で終日、ボラの群れを見張り、網をたぐるという原始的な
漁法で、最盛期には、町内に40基を超えるやぐらが立てられていた
そうですが、1996年(平成8年)秋を最後に、この漁法を行う
漁師はいなくなりました。
が、2012年(平成24年)の秋に漁が再開!
現在、国道249号の根木、中居ポケットパークと潮騒の道で、
ボラ待ちやぐらを至近距離で見ることができます。


もうね
海に三角のやぐらが建っているだけ
1日中そこから海面を眺めるだけ・・・・ってキツイわ〜(汗)




石川県はこれにて終了♪
後は南下して帰るだけ!・・・・・の前に
富山県に入って『氷見』にて名物の「氷見うどん」を
食べてから帰ります(笑)
氷見うどんは富山県氷見市周辺の郷土料理で、作り方は稲庭うどんと
同じで竹によりながらかける手縫いで、油を塗らない。
ルーツは輪島のそうめんで、1751年(宝暦元年)に「高岡屋」が
輪島から技法を取り入れて作り始めたとされています。
元々は「糸うどん」との名称で、他の手延べうどんとは異なり、
最後まで手で撚りをかける特徴があり、高岡屋においては
「一糸伝承」の名で現在も販売されています。
このうどんは加賀藩御用達のうどんであり、商品名の通り製法は
家伝のものであったとの事。

ま〜そんなご当地麺を当初の店が臨時休業だったので
道の駅氷見の中にある「きときと亭 三喜」で食いました!

夕方なのにまだ暑い日だったので冷たいうどんが最高に
美味かった♪


で、道の駅で序に土産も買えたしで後は帰るだけだったのですが
道の駅に向かう途中で看板を見つけてしまった『阿尾城址』へ
満場一致で立ち寄る事に(苦笑)
富山湾に面した独立丘陵の城ケ崎に築かれた戦国期の山城で
能登へ向かう街道と海上交通をおさえる要衝に位置し、戦国末期の
城主は九州出身とされる菊池氏。
菊池氏は上杉謙信に従った後、織田信長と結び、越中入りした
佐々成政配下として活躍し、信長死後は成政と対立した前田利家方
につき、佐々成政に攻められるも前田勢の加勢により撃退。
しかし、せっかく所領を安堵されたものの、慶長年間初めに当主が
没したため廃城となりました(汗)

なお、阿尾城が前田方に明け渡された天正13年(1585年)、
阿尾城に入った前田方の武将のひとりが、かぶき者として知られる
前田慶次郎だそうです!
前田慶次郎が阿尾城の城代を務めたという説があるそうですが、実際に
彼が城に留まったのは3か月程度と考えられているそうです(苦笑)
遺構は曲輪が残るのみ

しかし海に突き出た高台の城なので景色は最高でしたね〜
さっきうどんを食った道の駅も見えました(笑)


さて
最後に良い景色も見れたし
・・・・低レベルとは言え、皆大好き山城も登れたし(ヲ)
後は真直ぐに帰ります!

最寄のICから高速に乗って一気に岐阜を南下して愛知県へ
今回は確りとルートを頭の中に描いておいたので、行きの様に
馬鹿ナビに騙されずに(過去日記参照)新東名へ入ります(苦笑)

途中、流石に2回くらい休憩&眠気覚まし&飲み物食い物補給で
SAに立ち寄りましたが、目立った渋滞も無く伊勢原駅に
で解散して帰宅しました!


いや〜
久しぶりのロングドライブ!!
今、計画中の企画で飛行機を使わないイベントで
この距離のイベントってもう残り少ないから貴重でした。
1日目も殆ど雨に降られずに、2日目も追加分込みで
全て見て周れたし
・・・・取材も受けたしね(笑)
何時も通りにとても楽しいイベントでした!

でも1泊で3人集まったのが一番嬉しかったかな(笑)

それでは今回も皆さんお疲れ様でした!


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