もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2018年05月28日(月) 天空のポピー☆

去年流れたポピーを見に行こう!
って事で日帰りイベントです♪

行先は埼玉
メンツは俺とキタイ
夜中出発で三ツ境駅でキタイを拾っての
マッタリプランです(笑)

2時過ぎに三ツ境駅で合流してから東名経由で圏央道で
秩父方面へ!
全く無問題でサクッと高速を進み、ICで高速を降りて
下道をダラダラ進んで、ポピー畑の麓の道の駅
に車を停めて仮眠・・・・


朝、やって来た道の駅の職員さん曰く
「一昨日、昨日の土日は畑までの道が大渋滞で4時間掛かったよ」
・・・・マジっすか!?
「今日も午前中からTVの取材が来るから混むかもよ」
・・・・・・・マジっすか!?!?

10時くらいまで寝ている積つもりでしたが、急遽 時に
道の駅を出発してポピー畑のある山頂付近の『ふれあい牧場』へと
移動します。
標高500mの高原に1500万本のポピーが咲く人気スポットです。


少し早く着いてしまったので、駐車場が開くまで
路肩で路駐して時間を潰しつつ、辺り一面に咲くポピーを
見下ろしながら、朝から駐車場の係員相手にオラオラかまして
いる老害どもを見下して時間を潰します(笑)

開園時間の15分前には駐車場を開けてくれたのでサクッと
入園して赤、ピンクと一面に染まったポピーの丘を堪能しました!


ポピーを見終えて、混雑し出す前に撤収♪

山を秩父側に降りて行き『秩父川端温泉』へ
「梵の湯」と言う入浴施設で朝風呂です♪
実はここ秩父川端温泉の梵の湯は日本国内屈指の重曹泉です。
無色透明の入りやすいおだやかな温泉で、体をしっかりと
芯から温めながら肌をなめらかにし、みずみずしいお肌にする
美肌の湯です!

女性ホルモンガンガン出るらしいです!



・・・・・・・・俺とキタイが女性ホルモン出てもな〜(苦笑)



風呂上り、瓶牛乳で〆て観光開始!

やって来たのは『宝登山神社』
西暦110年、第12代景行天皇の時代、皇子日本武尊が東征の帰途
で山容の美しさに惹かれ、ミソギの後に山頂を目指します。
途中山火事に遭遇しますが神犬の神助を得て、無事に宝登山山頂に
於いて神霊を祀られた事が始めと伝えられています。
なのでこの神社は、火災盗難よけ・諸難よけの守護神としての
御利益が高く有名な神社だそうです。
因みに神社の名前の由来も、上記の伝承から山の名を
「火を止める山」と表し「火止山=ほどさん」と定めました。
この事が宝登山神社の始りと伝えられるそうです。

神社参拝後、キタイが見つけてきた『和銅採掘露天掘跡』へ
立ち寄りました。
国道140号を挟んで、秩父鉄道黒谷駅と対象の地点に当たるのが
和銅山。
国道から東に向かい、聖神社の下を過ぎ、案内板・道標に従って
鬱蒼とした山道を15分程歩くと、露天掘跡に着きます。
高さ5mもある「日本通貨発祥の地」と記された和同開珎の
モニュメントが建てられています。
流れている沢は「銅洗堀」です。そこから見える南東面に
そそり立つ和銅山に、二条の露天掘跡が山頂に向かって
続いているのがばっちり見えます。
歴史的に見れば、ようやく国家の形態が定まりつつあった大和朝廷に
とって国威を発揚し、貨幣制度を整えるのに願ってもない好機と
なった一大慶事の桧舞台ともなった貴重な遺跡だそうです。


さてさて、時刻は昼時
『秩父』市街地へとやって来ました。
秩父神社の目の前の酒屋でキタイが欲しがっていたその酒屋限定の
ウイスキーを土産で購入してから、「豚みそ丼」で有名な「野さか」
にて昼食です♪

流石は有名店
駐車場からメッチャ混んでます(汗)
ま〜何とか停め難い場所でしたが空きがあったので車を
停められたのでラッキーでしょう・・・

待つ事20分くらいかな?
やっと呼ばれて店内へ

食券を買って店員に渡す時に、何時ものノリで
「タレ多めで!」って言ってみたら
「は〜い!お一つ大盛りのお客様、タレ多めでお願いします」と
普通に通った!!(笑)

確りと濃いめの味噌で味付けされたジューシーな豚肉が
オン・ザ・ライス
神の定理です

あっと言う間に完食!
・・・・流石の美味さ☆

これでもう少しお値段リーズナブルだったら最高だった(涙)



食後は秩父から平野部へと移動し帰り道です。
途中で『聖伝院』を参拝
正式名を高麗山聖天院勝楽寺といい真言宗智山派の寺です。
668年に唐・新羅連合軍により滅亡した高句麗から日本に
亡命した王族たちはその後現在の日高市に定住しましたが、
その首長である高麗王の高麗若光の菩提寺がこの聖天院です。
雷門には「天下大将軍」「地下女将軍」と記されたチャングンピョ
(将軍標=チャンスン)が立っています。
・・・・最初に見た時はアフリカとかのトーテムポールかと
思ったよ(苦笑)

因みに雷門脇には高麗王若光の墓「高麗王廟」も現存。

文応2年(1261年)の銘がある梵鐘は、国の重要文化財で
本尊の不動明王を祀る本堂は、平成12年の再建だそうです。

で、近所にあった『高麗神社』へも立ち寄りました。
御祭神は上記の高麗王若光。高句麗の王族です。
高句麗が唐と新羅に滅ぼされた時に日本に渡来して来た時、
716年に武蔵国に新設された高麗郡の首長としてこの地に
赴任してきました。
当時の高麗郡は未開の地でしたが、若光は各地から移り住んだ
1799人の高麗人たちとともにこの地を開墾したそうです。
若光の死後、郡民たちは若光の徳を偲び「高麗明神」として
彼を祀りました。これがこの神社の始まりだと云われています。
宮司は若光の子孫にあたる方が代々務めているそうです。
浜口雄幸、若槻禮次郎、鳩山一郎などの政治家が参拝し、
その後総理大臣になるなどしたため立身出世のご利益があるとされ
「出世明神」として有名だそうです。

で、神社の隣にあった『高麗家住宅』も序に見学!
高麗家は高麗神社の神職を代々務めてきた旧家で、住宅は境内の
隣接地にあります。
建築年代は、慶長年間(1596〜1615)と伝えられています。
建築様式は古く、17世紀のものであることは確実であると
指摘されています。
国指定重要文化財で東日本の民家の中では古い形を遺している
極めて重要な例とされ、昭和46年(1971)6月に重要文化財に
指定されました。
建物は茅葺きの入母屋造りの平入りで、その大きさは桁行七間半、
梁間五間で長方形の平面をなしています。
間取りは、土間と5つの部屋で構成されています。
大黒柱(棟持柱)がなく、細い柱で梁を支えているのが
特徴で、桁と柱には杉、梁にはケヤキ・松が用いられています。
手斧や槍鉋が使用され、全面的に丸みを帯びた仕上げになっています。


さて
何だかんだで結構いい時間かな?
最寄りICまで下道が予想以上に長かったけど
高速に乗ってしまえば渋滞も無くあっと言う間に海老名駅まで
戻って来ました。

2人で、しかも近場だったのでボリューム的に少し不安でしたが
予想以上に諸々楽しめたので良かったです!

後、帰りの道中、秩父周辺で何か木から白い?黄色い?黄緑色?
のモジャモジャが生えているのが気になっていたら
我が団体の植物博士キタイから「あれは栗の花です」と
教えて貰いました。

・・・下ネタ的な意味で栗の花は知っていましたが(マテ)
多分今まで見た事があるはずですが栗の花!って認識しながら
見たのは初めてだったので、図らずとも新たな花で花見を
して来てしまいました(笑)


ポピーも時期的には満開のタイミングで
しかも悪天候と悪天候の間の好天に恵まれて最高のタイミング
でしたね!!



次回も今回のようにタイミングに恵まれると良いな〜と
思います。
それでは今回もお疲れ様でした〜





しかしポピーと聞くと
車にポピー!ポピー!!と言うCMを思い出してしまうのは
俺だけだろうか?(苦笑)


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