もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2018年03月14日(水) 暑いよ八丈島!(前)

八丈島〜〜〜〜〜!!!!
過去最低の断念をした1月(過去日記参照)
絶対に最速でリベンジしてやると心に決めていました


本日再出発!
面子は変わらず俺と老ちゃん



プランも飛行機の便も宿もレンタカー屋も1月に作った
プランをそのまま使い回しです(笑)


1時半に横浜駅の何時もの場所で老ちゃんと合流して
途中のコンビニで飲み物やお菓子などを買ってから
『羽田空港』へ

3時頃に着いたので3時間半ほど車内で仮眠を取ります・・・


6:30頃に起きて空港内へ
流石にこの時間は人が多くて混雑していますね(汗)
羽田空港を7:30発の便だったのでサクッと搭乗手続きを済ませて
バスで空港の端まで移動(苦笑)
小さな飛行機に乗り込んで定刻通りに出発!!


次、羽田に引き返したら機内で暴れてやろうかね(マテ)


ま〜少し揺れた程度で今度は無事に(?)
八丈島へ到着です(笑)
上空でアナウンスが流れる度にヒヤッとしましたがね(汗)
『八丈島空港』へは8:25着


予想通りの小さな空港だ(笑)
一応気になっていた青ヶ島へのヘリ乗り場を見学しておきました!
・・・・改めて青ヶ島へ行くハードルの高さにビビりました(涙)

レンタカー屋に電話をして空港まで車で迎えに来て貰い
5分ほど離れた場所にある店舗で貸渡し契約を終えて
さぁ出発です!!

まずは島の北側から島1周へ! 
やって来たのは『大越鼻灯台』
八丈島の北側を照らす灯台です。
付近は観光地というほどではないですが公園や見晴らしの良い
休憩所が何か所かある長閑なエリアです♪
八丈一周道路脇に駐車場もあるので車でのアクセスもしやすいのが
利点ですね。
灯台付近は特に何もなく草ボウボウで燈光会の看板があるぐらいで
観光客はまず来ないでしょう。

・・・・・・・・・・俺らも普通の観光客ですけどね(ヲ)

昭和36年4月に完成した灯台で、今も使われていますが流石に
灯器は高照度LEDになっているので灯質等は往年の物とは
全く変わっています。



さて
そのまま島の南東部は明日に残しておいて
遠い西側へ先に行きます!


やって来ました『末吉温泉』「みはらしの湯」
泉質はナトリウム塩化物強塩温泉
温泉が多い八丈島でも最も有名で最も景色のよい温泉!
太平洋の海岸線と小岩戸ケ鼻を一望でき、露天風呂からの景色は
まさに絶景!!
お湯はややうっすら濁りがあり新鮮な鉄系の湯のような見た目。
味はとにかく塩辛くて海水に近かったです(汗)
塩分でいえば八丈島の中で最も強い温泉だそうです。

八丈島をかたどったひょうたん型の絶景露天風呂は今日は女湯
だったのですが、開店20分前に着いてロビーで待っていたら
受付のオバちゃんが「写真撮影は禁止だけどオープン前だから
好きに撮って来たら?」と神対応!!!

普通に風呂に入りながら運が良ければクジラが見られるとの事ですが
流石にクジラは見られませんでした(涙)
絶景と温泉を堪能して・・・・・


って言うか、空港から思ってたけれど




暑い!!!

3月の気温じゃないぞ(汗)
しかも風呂上り


上着脱ぎ捨ててシャツの袖を捲って排熱します(苦笑)


半袖モードで続いてやって来たのは
『八丈島要塞直射砲台跡』

はい
何時ものパターン一丁入りまーす♪


太平洋戦争時、伊豆諸島の南端にあり飛行場のある八丈島は
本土防衛の最初の砦とされていました。
なのでまた日本陸軍は、アメリカ軍の侵攻に備えて八丈島の各地に
地下壕を掘り、それらを坑道でつないで島を要塞化していました。
その道中にある大坂隧道の手前に直射砲台が設置されている
この砲台は米軍の予想上陸地点である八重根を狙って設置された
物だそうです。
ここには藤井正木隊の九六式一五糎榴弾砲が4門配置されたそうで
砲室はかなり綺麗なコンクリートアーチとなっており、下にある
コンクリートの砲床と共に綺麗に現存しています。


今日の昼飯は島の名物を食おうと思ったのですが
店は全て事前予約が必要と(汗)
空港のレストランのメニューにあったのを覚えていたので
早めに空港に戻ってレストランに・・・・・


ここも要予約!?


だったらショーケースのメニュー表にもでっかく書いておけ!!!


ま〜ギリギリ昼の部の発注に間に合ったので良かったけど(汗)
1時以降の配布だと言うので、それまで空港近くを見て回ります。

空港に戻ってくる道すがら見つけた『宇喜多秀家住居跡』
宇喜多秀家は関ヶ原の戦いの後、伊吹山中に逃れその後は薩摩の
島津氏に匿われましたが、慶長3年(1603年)、島津氏が
匿いきれなくなったため、徳川家康に身柄を引き渡されました。
島津忠恒や縁戚の前田利長の懇願により死罪は免れ、駿河国久能山
に幽閉されました。
更に慶長11年(1606年)、八丈島に遠島となりました。
八丈島では苗字を浮田、号を久福と改め、大賀郷に屋敷を
構えていました。
現在、跡地は中田商店となっています。店の前に看板が
立っていました。
近くには宇喜多秀家の墓もありました。

『島酒の碑』
護神山の麓にある石碑です。
江戸時代末期,島酒と呼ぶ焼酎の製造法を伝えた丹宗庄右衛門の
功績を称えつくられた酒飲みの為の酒飲みを称える聖地です(マテ)

お次はメジャーなスポットです!
『大里の玉石垣』
八丈島は昔から暴風雨の多い地域です。
風や雨の害から住居をまもるため、溶岩または玉石の石垣
(オリという)をめぐらし、その上(土手という)にツバキや
シイ等の常緑広葉を植えています。
そんな古い家々が軒を連ねる古き八丈島の風景が残る
エリアを車を停めて徒歩でマッタリと歩いてきました♪

エリア内にある『八丈島陣屋跡』も見学。
享禄元年(1528年)に、北条早雲の家来、中村又次郎が代官と
して来島し、この地に陣屋を設けました。
江戸時代になると幕府は此処を島役所とし、明治33年
(1900年)には、東京府八丈島庁となり、島の政治の
中心地でした。
しかし、明治41年(1908年)には、島庁が他地区へ
移転したため、今では八丈島の政治文化の発祥の地も玉石垣の一部を
残すのみとなっています。


さて!
大里の玉石垣が予想以上に良かったので1時を過ぎてしまいましたが
『八丈島』名物の「島寿司」と明日葉を使った「明日葉そば」
を食いに空港に戻ります!

白身魚を醤油と唐辛子などで漬け込みべっ甲色に染まった
寿司です。
独特の甘辛さが俺は好きです!
明日葉は「今日採っても明日また生えてくる」と言う生命力の
強さから名が付いた葉で、これも独特の苦みが美味♪
明日葉の天ぷらが乗った蕎麦と島寿司で八丈島の食を満喫します(笑)

食後は空港近くの島唯一のスーパー「八丈島ストア」にて
飲み物を買ったりして後半戦です!

島の南側まで移動して『八丈島地熱館』へ
地熱発電所のしくみを詳しく解説している施設で
安定的な発電量で島の暮らしを支える現役の発電所でもあります。

無料の割には楽しく、メダルをお土産に貰えたりと中々
良いポイントでした(笑)

続いてやって来たのは『裏見ケ滝』
細い山道の途中の小さな駐車場に車を停めて山側に上がっていくと
滝、階段を下りると温泉があるようですが、まずは滝を目指して
山道を歩いて行きます。
細い道ですが、時々小さな滝があったりして単調では無いので
わりとすぐに到着しました!
この滝の名前はウラミガタキですが、その由来は滝を裏から見られる。
ということのようで、遊歩道も滝の裏を通るルートになっているので
ハードな事をしなくても滝の表も裏も見られる良いコースです(笑)

で、滝を見終えて駐車場の下にある温泉は・・・・混浴水着必須
だと言うので面倒なのでパスしてもう少し山道を車で下った場所にある
『中之郷温泉』の「やすらぎの湯」に行きました。
ここは八丈島の温泉の中では一番小さい温泉施設です。

海から見ると少し高台にあり、低い位置に海が見えます。
泉質はナトリウム塩化物温泉。

受け付けのおばちゃん曰く、ここの温泉が一番いい湯だとのこと。
入ってみると他とは違う透明の湯。
内湯のみのせいか他にお客さんはおらず貸切状態でゆったり
堪能出来ました♪
お湯の温度は俺にはちょっと熱め(汗)
でも桧の浴槽が心地よく心地よくマッタリ入浴出来ました♪

そのまま更に海沿いの山道を降りて行き、草に埋没していたのを
やっと発見した『仮設望楼』も見学!
日露戦争の時に、ロシアが主力艦隊であったバルチック艦隊を
バルト海からウラジオストックへ移動させるという情報を得た
日本海軍は、各所に監視所を設けました。
バルチック艦隊は太平洋を通る可能性もあったため、八丈島にも
1905年4月に3つの監視所が置かれました。
この乙千代ヶ浜にあるものはそのうちの1つが復元されたもの
との事です。

そろそろ夕方
市街地へと戻ります。
宿までの間にあった『優婆夷宝明神社』へ立ち寄って拝観。
八丈島の中央部西側にある八重根港の近く、高台に境内があります。
境内入口は南向きで石の鳥居をくぐると境内です。
境内の右側に社殿があり、その横に拝殿。その後方には珍しい
石積みの本殿があります。
本殿内部には、木造女神坐像などが安置されているそうです。

本殿の斜め後方左右に、一対の織部灯籠がありました。
織部とは、戦国武将であり茶道家でもある古田織部のことで
織部灯籠は竿の部分が膨らんでおりマリア像が刻まれているので
キリシタン灯籠とも呼ばれているそうです。

が、社前の案内によると、灯籠はキリシタンや茶道には関係なく、
八丈島に流刑されていた石工・仙次郎が自由に腕をふるって
作成されたものらしいです・・・・・
芸術家のパッションが爆発しただけなのか〜(マテ)

創祀年代は不祥!
総社・郷社とも呼ばれ、八丈島・八丈小島・青ケ島の総鎮守として
崇敬されている古社なので凄い神社なのですが、さっきの
キリシタン灯篭の下りが酷すぎてそっちのイメージが強くなって
しまったよ(汗)

宿の手前でも『宗福寺』へと立ち寄りました。
浄土宗の寺院。
承元2年(1208年)源(鎮西八郎)為朝の子次郎が西山の麓に
創建といわれ、香炉山弥陀寺と称したと伝えられています。
永享2年(1430年)曹洞宗宗興寺の末寺となり、寺を西山の
麓から大里に移して甑峯山天松院宗福寺と改称しました。
昭和6年(1931年)にこの場所に移建して現在におよんでいます。

因みに宇喜多秀家の菩提寺で、堂内には位牌があります。
現在、伝快慶作の大日如来、仏師民部作・木彫等、
東京都指定有形文化財に指定されているものが多数あるそうです。

さ〜意外と当初の予定よりも増えてしまった寄り道も終えて
やっと宿に到着(苦笑)
「ロッジ オーシャン」
・・・宿も1月の予約したところと同じです(笑)
宿の人も覚えていてくれて、受付中に
「まさか八丈島で雪が降るとはね〜」と俺、老ちゃん、宿の人の
3人で盛り上がってしまった♪

ロッジなので自炊可能な設備があり
仲間でワイワイとバーべQなんか最高そうですね!
今回は八丈島まで行って自炊する気は無かったので
僕ら大好き八ストで買い込んでおいた
島寿司や揚げ物、地酒などでマッタリと晩飯です(苦笑)


明日は島の山奥にある要塞本部を目指します!
・・・目指したいな〜(ヲ)

詳しい場所不明!
住所は勿論無し!(笑)
廃墟マニアのサイトを手掛かりに大体の場所は絞りましたが
これがどれだけ早く見つかるかで明日の行程は大いに変わります(汗)

迷子にならずに見付けられるようにと願いつつ就寝・・・


つづく!


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