朝8時に起床
今日は江田島にある海上自衛隊の学校を見学に行くのがメイン! 島とは言え橋で地続きになっているのですが、行くまでの道が混むし 船で行った方が渋滞も関係無いから早いと宿の人が言うので 船で移動します。 なので決められた学校の見学時間と船の時間があるので 早起きです(涙)
チェックアウトを済ませ、車は宿の駐車場に置いたまま (と言っても、コインPが割引になっている感じですが) 宿から徒歩10分ほどで『呉港』へ到着
学校の見学が10:30。13:00。15:00。 の3回で希望は10:30からの回だったので、間に合う時間の 船が9:25
1時間半ほど港の待合室の展望デッキから港を眺めたりと マッタリ時間を潰します。
船に乗り込み 江田島の『小用港』へと20分で到着 料金は片道¥390と思っていたよりはリーズナブル♪
流石は明治時代から海軍の学校しか目立った施設が無い島!(ヲ)
港には自衛隊さんとこれから見学に行くであろう人達ばかりです。 丁度、停車していたバスに乗り込み学校を目指します。 10分くらいで『海上自衛隊第1術科学校』へと到着!
過去に車で来た時は見学時間と次の見学時間の間に着いてしまい、 他の都合もあって泣く泣くカットした場所です(過去日記参照)
機関及び潜水艦に関係する術科を除く艦艇術科教育を担当している 自衛隊の学校で、砲術、水雷、掃海、航海、通信、応急、潜水、 陸上警備等に必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練を行うと ともに、これらの術科に関する部隊の運用等に関する調査研究を 実施している施設でもあります。
見学は無料 予約不要 ただし見学時間が決まっていて、係員随行のツアーでのみ 見学が可能です。
美しい赤レンガの海軍兵学校生徒館や、大講堂内部、 貴重な戦時の資料や現在の第1術科学校の活動など 広い基地内を説明を受けながら見学させて貰えてありがたかったです!
1時間半の見学時間はあっと言う間でした(笑) 折角なので、見学後は食堂で・・・・海軍と言えば!
そう カレーです(笑) 「呉海軍カレー」を食ってきました!
因みに海軍カレーと海自カレーは別物で違いは↓ 「海軍カレー」は、よこすか海軍カレーに代表されるように 明治41年「海軍割烹術参考書」のレシピをもとに現代に復元した カレーです。 「海自カレー」は、海上自衛隊の艦艇等で実際に食べられている カレーを忠実に再現、さらに艦長から認定いただいた特別なカレーです。
見学後、バスが全然来ない時間帯だったので 丁度、学校まで来ていたタクシーを捕まえてそれで港まで 戻りました。 2人で割ったらバス代とあまり変わらなかった(笑)
再び船で呉港へと戻ります。
港を出てすぐ隣りにある、昨日見学した「大和ミュージアム」の更に 隣りにある『てつのくじら館』へとそのまま立ち寄り見学です!
正式名称は「海上自衛隊呉史料館」 広島県呉市にある海上自衛隊の広報を目的とした施設です。 2007年4月5日より一般公開されていて、入館料は無料!
海上自衛隊の歴史や装備品の紹介などが展示されており、 1階部分では海上自衛隊の歴史について 2階では機雷の脅威と掃海艇の活躍、 3階では潜水艦の活躍について、実物・模型・絵図や映像などの 資料を用いて紹介しています。
展示の目玉は国内では初めてとなる実物の潜水艦の屋外展示!! 道路を車で走っていても、すぐ何これ!?ってなるくらいに もう滅茶苦茶目立っています(笑)
この潜水艦は実際に海上自衛隊で就役していたゆうしお型潜水艦の 「あきしお」 (SS-579) です。 あきしおは2004年3月に除籍となった後、展示用に内部機器の 交換や汚れを落とすなどし、2006年9月24日から26日に 建設中の呉史料館への搬入が実施されました。 この様子はマスコミでも報じられ、巨大な船体などは関心をよんだ そうです。 ・・・・って、当たり前か(笑) このあきしおは何と!展示の一環として艦内にも入ることが出来ます! 公開されているのは発令所のある甲板のみであり、船殻や艤装は 防諜の処置をしている他、案内係員が監視をしている他、あきしおの 錨や推進器など、一部は防諜上ダミーのものに差し替えて展示されて いますが、それでも本物の潜水艦に入れるってだけで有難過ぎる(笑)
テンションが上がりまくった後は、呉のご当地グルメである 「呉細うどん」を老舗「山乃家」さんにて食います!
もともとは漁師や船大工などの海関係の男たちが 陸に上がった時にさっと食えて温まる物って事で 細めのうどんが好まれたそうです。
勿論、甘めのいりこ出汁が特徴の細うどんと 折角海軍の町なのでカレーうどんも両方食っておきました♪
食後は『入船山公園』へ 1889年(明治22年)から呉鎮守府司令長官官舎として、戦後は 1956年(昭和31年)までイギリス連邦占領軍司令長官庁舎が 置かれていた場所を、公園として整備された場所です。 北側の文化ゾーンは自然林を生かしたものとなっているて、記念館は 呉市の歴史的資料や旧海軍資料を展示してあります。 本館にあたる旧呉鎮守府司令長官官舎は明治期に建築され国の 重要文化財です。
砲台や火薬庫なども残っていて中々の見所でした!
お次は現在の自衛隊の基地内にて現存している『旧呉鎮守府庁舎』へ
旧呉鎮守府庁舎は1907年(明治40年)に竣工した地下1階、 地上2階建てのレンガ石造の建築で、レンガと御影石との調和がとれた 呉市に現存する代表的なレンガ構造物です。 外壁はイギリス積みの積み方で、2階には柱頭に桜を彫刻した石柱が 両側にあるなど、凝ったデザインと入念な仕上げが建物の美しさと 重厚さを表現しています。
・・・・・・・・・・・一般公開は毎週日曜日のみ(涙)
基地の受付の自衛官さんに相談して、外からでも写真に撮りやすい 場所などを教えて貰って、フェンス越しに見学&撮影(汗)
さて、呉市を後にして空港へと帰ります。 その前に『コンクリート船武智丸』を見学! 武智丸は、第二次世界大戦中の日本で戦時標準船E型に準じて コンクリート船として竣工した大日本帝国海軍所属の貨物船で、 EC型戦時標準船とも呼ばれる船です。
同型船は4隻作られたそうですが、うち2隻の船体が広島県呉市 安浦町の安浦漁港の防波堤として現存しているとの事なので立ち寄って 見てきました。 木材や金属ではなくセメントで作られるいわゆるコンクリート船は 実は19世紀中頃に誕生していたそうで、そこから第一次世界大戦中に 技術が発展し、1920年前後には大西洋横断可能な航洋性がある 大型船が出現しました。
しかし、コンクリート船は通常の船舶とは異なり、耐水性・水密性に 優れる反面、大量の型枠用木材が必要になるなど、費用が鋼船の 二倍かかる上に、コンクリートの性質上冬季でも温暖な地域でしか 作れない欠点がありました(汗) そのためコンクリート船は鋼材船の代用品でしかなかったそうです。
戦時体制下であった日本では輸送手段の貨物船も、造船用鋼材も 極度に不足していました。 まさに総力戦の時代、コンクリート船をも製造して戦おうと したんですね〜
現在は港の堤防の1つとして2隻が連結した状態でいました。 近くまで行けたので色々と見れたので良かったです♪
後は結局行きに通った道をそのまま戻って空港まで帰りました(笑)
予定よりも余裕をもってレンタカー屋で車を返し、空港まで送って 貰い後は・・・・・・飛行機を待つだけ(涙) 永いんだよな〜この時間
広島空港、本屋小さいし(涙)
最後に少し土産を買い足したり、コチヤが「尾道ラーメンも食べて みたいです」って言うので空港の食堂でラーメンを食ったりと マッタリ時間を潰してました(苦笑)
定刻通りの21:35に広島空港を出発
帰りの空は少し揺れましたが、殆ど定刻通り23:00に 羽田空港へと到着です。
羽田からは何時も通りに茅ヶ崎経由で下道で帰ります。 道中、今期の残りのイベントの予定などを話しながら 0時過ぎに茅ヶ崎駅前でコチヤと別れて帰宅しました。
いや〜 今回、何なの!? 何でこんなに混んでたの!? その割には現地は混雑していなかったけど、空港は羽田も広島も 滅茶苦茶混んでた! 行楽の秋とは言え平日だぞ? いや〜謎だった(汗)
ま〜でも予算高くなっても付き合ってくれたコチヤには感謝だな! 次は頑張ってもっと安いプラン探すのでその時もヨロシク!!
それでは今回もお疲れさまでした。
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