| 2017年09月14日(木) |
鎌倉秋の花詣で&上〆会 |
本日は〜
上期〆会・・・・の前に、折角時期的にイイ感じなので 鎌倉で秋の花々を見て来ました♪
メンツは俺とキタイ・・・ 最近、キタイの参加率が凄いな(笑)
AMに家に来る予定だった業者が遅れたせいで13時予定が 13:20に鎌倉に到着(汗) いや〜伊勢原から鎌倉の移動が面倒臭かった!
伊勢原の家からバスで平塚 平塚から東海道線で大船 大船から横須賀線で鎌倉ってマジで面倒臭かった(涙)
駅前でキタイと合流し、取り合えず観光客でごった返す 小町通りを抜けて来ます。
暑い〜 そして人混みウザい〜〜(怒) って、何だか鶴岡八幡宮でイベントやってるのね! それでこんなに混んでるのか!!(汗)
そんな観光客で盛り上がっている鶴岡八幡宮をスルーして まずやって来たのは『宝戒寺』 にある天台宗の寺院。山号は金龍山。 詳名を金龍山釈満院円頓宝戒寺と称し、本尊は地蔵菩薩。 萩の名所として知られ、「萩の寺」とも呼ばれる。 特に白萩が有名! 宝戒寺は鶴岡八幡宮三の鳥居前の道(横大路)を右に行った 突き当りに位置します。 寺域は北条義時以来の歴代の北条宗家の屋敷跡と伝えられています。
鎌倉幕府滅亡後の建武2年3月28日(同1335年4月22日)付の 古文書に、この頃に北条高時の慰霊のため建立されたと伝わっています。
生憎と白萩はまだ咲き初めでしたが、それでも小さく白い萩の花が参道の 両脇で楽しめました。 他にも赤い萩の花や彼岸花が咲いていて白い花と赤い花のコントラストが 見事でした!
さてお次は『大巧寺』 日蓮宗系の単立寺院。 創建年や開山などは不明ですが、源頼朝の祈願所とされた事から、 鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される古刹 特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られる・・・ って、俺らにスゲー関係ないね〜(苦笑)
山門の近くで咲く紫色の実を付ける紫式部や寺院内の花壇で咲く 赤白の彼岸花、トラノオ、ゴマ、サルスベリなど夏から秋にかけての 花々が綺麗でしたね〜
続いて『妙降寺』 日蓮宗の寺院。山号は、叡昌山。 鎌倉江の島七福神の一つで「寿老人」を祀る寺です。 鍋かむりで知られる日親ゆかりの寺として知られ、御家人千葉常胤の 子孫千葉胤貞の別邸「千葉屋敷」跡に建ちます。
そろそろ飯だ!って事で『鎌倉』と言ったら俺らはコレ! って事で「里のうどん」 バラ丼&うどんセット!!
ガッツリと貪り食いました(笑) 久し振りの里のうどんでしたが、変わらぬ美味さに嬉しくなります!
食後、店内で少しダラダラ涼んでから再出発
後半戦の最初は『英勝寺』 浄土宗の寺院であり、現在、鎌倉唯一の尼寺です。 山号は東光山。 寺域は、開基英勝院尼の祖先であり、扇谷上杉家の家宰であった 太田道灌邸跡地と云われています。 徳川家康の側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、 家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、 後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めました。 家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より 父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建しました。
『海蔵寺』 扇ガ谷にある臨済宗建長寺派の寺院。 山号は扇谷山(せんこくざん)。本尊は薬師如来。 建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、 鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、 心昭空外を開山として再興されたと伝えられています。 よく手入れされた境内に咲く四季の花の美しいことでも知られる 花の名所。 早春の梅、夏の凌霄花(のうぜんかずら)・桔梗(ききょう)、 初秋の萩、冬の水仙・福寿草など。四季折々の花が楽しめる場所です。
そして今の時期は何と言っても萩! 桔梗や彼岸花も少し咲いていましたが、参道を覆い隠す勢いの 赤と白の萩の花々は圧巻でした!!
帰りは北鎌倉駅からの予定でしたので、その道すがらも観光して 行きます! 移動中もメドーセージやキバナコスモス、萩にサルスベリ ノウゼンカズラなどが咲いていて目を楽しませてくれます♪
まずは『浄光明寺』へ 扇ガ谷にある真言宗泉涌寺派の寺院で山号は泉谷山(せんこくざん)。 開基は北条長時。開山は真阿。本尊は阿弥陀如来。 北条氏や足利氏とゆかりの深い寺院で、足利尊氏は後醍醐天皇に 対し挙兵する直前、当寺に籠っていたと伝えられています。 鎌倉七口のうちの亀ヶ谷坂と化粧坂にはさまれた扇ヶ谷の支谷、 泉ヶ谷に位置します。 山号の泉谷山はこの谷戸の名にちなむそうです。 寺伝によれば、建長3年(1251年)頃、第5代執権北条時頼、 第6代執権北条長時が開基となって創建したもので、開山(初代住持) は真阿(真聖国師)であったそうです。 それ以前、源頼朝の命により文覚上人の建てた草庵があったとも 伝えがありますが、これに関しては定かでないそうです・・・ 山門を入ると客殿、庫裏、不動堂などがあり、その裏手の一段高く なった敷地に阿弥陀堂と収蔵庫があります。 重要文化財の阿弥陀三尊像等は収蔵庫に安置されているそうです。 これらのさらに裏手、狭い階段を上った先の山上には岩壁をうがった 「やぐら」があり、内部に石造地蔵菩薩坐像(通称網引地蔵)が 安置されています。 そこからさらに登ったところには国の史跡に指定されている 冷泉為相(れいぜいためすけ、鎌倉時代の歌人)の墓がありました。 境内は、谷戸を雛壇状に造成した中世寺院の景観がよく 保存されていました。 此方の寺院でも彼岸花や萩が咲いていました♪
続いて『薬王寺』へ 日蓮宗の寺院。山号は大乗山。 かつては、梅嶺山夜光寺と称し、真言宗の寺院でしたが1293年 (永仁元年)日蓮の弟子日像により、日蓮宗に改宗。 寛永年間(1624年〜1645年)、徳川忠長室松孝院の援助で 不受不施派の僧日達が再建し、大乗山薬王寺と改称しました。 が! 1720年(享保5年)の火災で、五重塔(徳川忠長供養塔)など 諸堂を焼失(汗)
最後は駅まで通じるバス通りに向かうのに『亀ヶ谷坂』を通って 来ました! 鎌倉七切通しの一つで、源頼朝が初めて来た頃は、北から鎌倉へ 入る道は此処だけでした。
今でも急な坂道ですが、昔はもっと急な坂だったようです(汗)
「建長寺にいた亀がこの坂を上ったものの、頂上まで行くことが 出来ずに引き返した」という伝説があり、それから亀返り坂と 呼ばれるようになり、それがいつからか亀谷坂と呼ばれるように なったと伝えられています。
最後に微妙な坂を登って降りてで疲れましたが バス通り手前の萩の群生は見事だったので良しとしましょう☆
さ〜鎌倉観光も終わりです! そのまま道なりに歩いて行き、北鎌倉駅から横須賀線に乗って 飲み会の開催場所『横浜』へと移動します。
19時から開始予定だったのですが、17:30には着いてしまい 本屋などで時間を潰したものの限界で、先に入って飲んでました(笑)
で、19時やや過ぎに仕事後のユウキが合流!
・・・・・本日のメンツ以上!!
何だかな〜(汗)
ま〜今いるメンツで楽しみましょう! 取り合えず夏の大旅行の報告会?や日帰りで行った長野の話 (過去日記参照)、今日の鎌倉の感想、今月もう1回予定していして いる日帰りイベントの予定、ユウキが今までに酔っぱらってやらかした レジェンドを語り合っていると ユウキが 「でも職場での飲み会ではシッカリ者って感じで通ってるし!!」と 不思議な事を言い出しました・・・・
くすり ダメ!絶対!!(マテ)
結局、3人でも話は止まらず気が付けば終電近くに(汗) 急ぎ足で清算を済ませて駅へと移動です! 改札のところでユウキと別れ、キタイと相鉄線へ乗り込みます。
帰りの車内で来月以降のイベントの話をして解散しました。
帰宅は何時も通りに0時過ぎでした(笑)
ま〜あり得ないほど全く人が集まらなかった〆会でしたが、前半の鎌倉 の秋の花は見事に見頃を見る事が出来たのでイーブンか?(苦笑)
後半の忘年会や〆会は せめて飲み会くらい10人は集まって欲しい物です!! 皆、マジで頼むよ(涙)
それではまずは今期の上半期 まだ1個イベントが残っていますが、取り合えずはお疲れさまでした!
しかし、鎌倉に行って、鶴岡八幡宮も大仏も銭洗弁財天もスルー ってのがウチららしくて面白かったね(笑)
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