さて! 本日より7月の1泊イベントに出発です!!
行先は青森! 下北半島を周遊してきます♪
嘗てのイベントでこの辺りは1度来ていますが(過去日記参照) 行きそびれてた場所へのリベンジと、再び探してみたら行って見たい 場所が幾つも出て来たので、2度目ですので確りと下北半島を 半島のみに絞って観光しよう!ってプランです。
参加者は俺、老ちゃん、コチヤの3人
久し振りに1泊で3人揃いました(苦笑)
何時も通りに0時過ぎに我が家を出発し、茅ヶ崎駅前でコチヤを 拾ってから横浜駅で老ちゃんを拾って合流。
・・・・何でも職場のボケ爺のせいで億単位の損失が出るところ だったらしく今日の今日解決するまでドタバタしていたコチヤの 愚痴が凄いですが損失額も凄いな(汗)
朝の3時過ぎには『羽田空港』の駐車場に到着し ・・・ま〜間違えて西航路のP2に停めてしまいましたが、ドンマイ! そのまま就寝です・・・ 今回は青森空港を使う事になるかな?と思っていたのですが 計画段階で三沢空港行きのプランがあったので、その時点で 現地での移動が大幅に短縮出来たのでウハウハです(笑) ・・・しかしマイナー空港の宿命か 飛行機の便数が少ない(汗)
なので何時もとは違い、出発便が三沢空港行きの始発でも 羽田空港を8:20発と遅かったので、今日はぐっすりと眠る事が 出来ました(笑)
7時に起床して空港内へ移動して搭乗手続きを済ませて すぐに離陸です♪ 上空でやや揺れましたが、ま〜小さい飛行機だったので 想定内です(苦笑)
青森県『三沢空港』へは殆ど定刻通りに9:30頃に着!
久し振りの青森です♪
空港内のレンタカー屋で予約しておいたのですが、何故か客数が 少ないのにカウンターは列になっていて全然進みません(汗) ・・・何だよ!?と思っていたら、どうやら今朝スタッフが出勤したら 店のPCとプリンターが壊れていたらしく、大混乱中との事・・・
あ〜・・・強く頑張って下さい(涙)
ま〜それでも飛行機を降りて30分後には出発で来たので 余裕です!
まず最初の目的地は『尻屋崎灯台』 前回、下北半島に来た時にタイムオーバーで入り口が閉まっていて 行けなかった場所です。
今日明日、天気は予報では悪い曇りとか雨でしたが現状は晴れ時々曇り きっとこのままキープでしょう(笑)
本州最北端尻屋崎の突端に立つ白亜の灯台。明治9年10月20日に 東北地方に初の洋式灯台として完成しました。 尻屋崎は、昔から難破岬と呼ばれ遭難船の多い所として船乗り達から 恐れられていました。 明治時代に入り、日本も世界各国と貿易を行うようになったため、 航行船舶の安全を守るために、イギリス人が設計し尻屋崎で焼いた レンガで建てられた灯台です。 レンガ造りの灯台としては日本一の高さを誇ります。
灯台もですが、何と言っても「寒立馬」! 東通村の海岸地帯には、南部藩政時代から田名部馬と呼ばれる比較的 小柄で寒気と粗食に耐え、持久力に富んだ馬が「四季置付」と称し 周年放牧されていました。 これらは、南部馬を祖とし、藩政時代から明治、大正、昭和に亘って 主として軍用馬として外来種との交配によって改良されてきた田名部馬 であり、なかでも、尻屋地区ではこの田名部馬をブルトン種と交配する ことにより独自の農用馬(肉用馬)として改良してきました。
大きな馬が何頭も放牧されており、柵も無いので目の前でって言うか 馬の群れの中にお邪魔して馬に囲まれた状態で写真が 撮れちゃいます(笑)
お次は下北OF下北!! 『恐山菩提寺』・・・・2度目です(過去日記参照) 開山は貞観4年(862年)、開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である 円仁(慈覚大師)であると云う。 日本三大霊山の一つに数えられ立ちこめる硫黄臭と荒涼とした風景は、 その名に恥じないヤバさです(汗) しかし岩場地帯を抜けると風景は一変!
宇曽利湖畔のその場所は極楽浜と呼ばれ、浜の白さと湖と空の青さの 神秘的な美しさと振り返った時の荒涼とした風景が不気味さすらを 感じさせてくれます(苦笑)
サンダルだったので足が砂だらけ、熱気で汗だらけになり 恐山の山門前で売っていたアイスを皆で買って食いました(笑)
さて 意外と忘れがちですが、下北半島には帝国海軍時代より軍港があり 今も海上自衛隊の基地がある港町です。 『北洋館』はそんな軍港である大湊町にある施設で、大正5年に 海軍大湊要港部の水交社(海軍士官の社交場)として建てられ、外装 は釜臥山から採石された石材を用いた当時としては珍しい洋風の 由緒ある建物です。
現在は帝国海軍自体の主にロシア戦線の資料や一時停泊していた事の ある名だたる名鑑たちの在りし日の貴重な写真が展示されていました!
・・・・案内してくれた係員の自衛官の人
本当にロシアが嫌いなんだな〜と分かるほどに言葉の端々に アンチロシアネタが満載で笑えました(笑)
北洋館の外にもレンガ造りの倉庫が点在しており、貴重な史跡なので 勿論周辺を歩いて全部見て来ました!
折角海軍の町『大湊町』に来たので、昼飯は 「大湊海軍カレー」!
ホタテがたくさん入った贅沢な北のカレーです!! 福神漬けがホタテの殻に入っているのが特徴らしいです(笑)
さて、そろそろ時刻は夕方に! ・・・・空はまだまだ明るいけどね(苦笑) やって来たのは『斗南陣屋址』 明治時代、会津藩が戊辰戦争に敗れ、賊軍の汚名をきせられ飛ばされた 本州最北の陣屋。 そもそも斗南藩は、戊辰戦争に敗れ領地を没収された会津藩が明治2年(1869年)に再興を許された藩。 当時は、極貧の中での移封でもあり陣屋といっても掘立小屋に毛の 生えたようなものであったと推測されています。 当然、遺構らしい遺構は残っていません(涙) 西隣の徳玄寺の山門近くには「斗南藩 史蹟地」の標柱が建って いるのが唯一の遺構でした。
お次は『田名部館址』 田名部館の築城年は不詳ですが建武元年(1334年)に 順法寺城の城主安東元親を謀反により滅ぼした新井常安を討伐した 赤星五郎(南部師行の家臣)が築き、以後、赤星家の居城として 利用されたと推定されています。 その後、色々な歴史を辿り下北半島が南部藩の直轄地となり寛永9年 (1632年)に常念寺に南部藩の仮田名部代官所が置かれ、寛文元年 (1661年)に旧田名部館跡に正式に代官所が設置されました。 代官所には本屋棟、土蔵、硝石庫、板倉、牢屋、表門で構成され周囲を 柴垣で囲っていたそうです。 明治3年(1870年)借金により南部藩が廃藩になると代官所も 廃され、残った施設を利用して明治6年(1873年)に田名部小学校 が開校、その時に代官所の殆どの遺構も消滅したそうです(涙) 現在は代官山公園として整備され、樹齢300年の高野槙だけが 代官所時代の名残を見せています。
さて!宿へ向かいましょう!! 本日の宿は『薬研温泉』です♪ 下北半島を代表する温泉の1つ! 泉質は単純温泉 開湯は1615年(慶長20年)。 大坂夏の陣で敗れた豊臣側の落武者城大内蔵太郎が当地まで落ち延びて きた際に発見したと云われています。 温泉名の由来は、湯口の形が漢方薬を作る道具「薬研台」に似ている事 に由来するそうです。
そんな薬研温泉にある今日のお宿は 「薬研温泉 薬研荘」
見た目は・・・・・・え!?って言うくらいのボロ屋(マテ)
でもその入り口から見えない奥に建物が伸びていて 中は普通に古いけど手入れのされた建物でした。
女将もノリが良く、愛想がよく話していて 会話が止まらなくなるような感じのオバちゃんです(笑)
一通り、部屋でゴロゴロしてから飯の時間だと呼ばれて移動
晩飯のメニューは地物の山菜、キノコ、川魚、自然薯と 見た目は地味でも贅沢品だらけ!
少しですが、マグロやウニも出て来て 値段の割にボリュームのあるラインナップでした!
部屋に戻って来て、風呂!
熱い!!!
掛け湯をしまくってから気合入れて飛び込んで、熱さに負けて 速攻で撤収(涙)
どうやら後で入ったコチヤ曰く、水を入れるホースがあったそうですが 俺が入った時には無かったんだけどな〜(汗)
風呂上りに部屋で昼間買い込んでおいた地酒を飲みながらゴロゴロ〜♪
部屋に置いてあった観光案内とか見ていたら新聞の切り抜きが入っていて 見たら・・・・・女将だ! 普通に取材されているし(笑)
何々? ・・・・・「カモシカ女将」とな?
体型的にはカモシカって感じじゃ無かったぞ?(マテ)
記事を読み進めて行くと
曰く 山菜、キノコ採りの名人で 「カモシカが通れる場所は人も通れる」と山道、岩場を登って行き
「どんな山でも自信あり」と豪語して同行したTVクルーたちを 「着いて行ったら殺される」と恐れさせ
下山速度も超級で、下山する姿を目撃した森林管理署関係者が 「てっきり滑落していると思った」と驚かせるレベル
女将が動くと尾行が付き、どの山に入ったか無線を飛ばすらしいが その快足に着いて行ける者は無く、毎度尾行者を引き離し 目的の物をGETしてくる・・・・
すげーVIPじゃないっすか!?
気さくな女将のポテンシャルにビビりながら 2時くらいまで飲んで寝ました(笑)
天気が悪いって言われてましたが、今日一日は夕方少しだけ 小雨が降っただけだったので明日もきっと降らないでしょう!!
さー!明日はマグロだぜーーーー!!食うぞ♪
続く
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