もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2017年05月26日(金) 北海道放浪日記〜道南湯巡り〜

朝、気合入れて起床!!!
10時チェックアウトで9時前に起床
で、そのままホテルの前のコンビニで北海道っぽいパンとか飲み物
とかを買ってから出発です(笑)

まず向かったのは、昨日余市でタイムアウトだった1か所
(過去日記参照)『フゴッペ洞窟』です。
小樽から真っすぐ南下せず、余市まで片道30分の寄り道!
この為に9時に起きたのだ!!


余市の海岸から200mほど内陸、海に向かってのびた丘陵の先端部分に
ある洞窟です。
約5000年前の縄文海進による波浪侵食によってえぐられてできた
海食洞で、続縄文時代後半に彫られたと推測される刻画が残っています。

各国から学者や研究者も訪れるフゴッペ洞窟は、昭和25年
(1950年)に海水浴に訪れていた中学生によって偶然発見された
ものだったそうです!
翌年から発掘調査が進み、昭和28年(1953年)に国指定の
史跡に認定されました。


さてさて
追加になった見る物も見たのでご機嫌で当初の予定コースへと戻ります♪
向かう先は『定山渓温泉』
札幌市南区にある温泉で札幌市中心部から約26km、車で約60分の
距離にある札幌の奥座敷的な温泉地です。
泉質はナトリウム-塩化物泉。
定山渓温泉の泉源は56ヵ所あり、温泉街を流れる豊平川の月見橋付近
と高山橋付近に集中しており、川岸や川底にある岩盤の割れ目から自然
湧出している温泉です。
定山渓で温泉を発見したのは「後方羊蹄日誌」を記した松浦武四郎だと
言われていますが、温泉開発を行ったのは修験僧の美泉定山。
「鹿が傷を癒す秘湯があるらしい」との噂を聞きつけて現在の
小樽市朝里付近から山に入って温泉を発見し、私設の湯治場をつくった
事が始まりとの事。
明治になり開拓使が設置されると、定山は温泉開発を願い出るます。
1870年(明治3年)に本願寺道路の開削工事が始まると官営の
温泉場が設けられ、定山は岩村通俊判官から湯守を命じられました。
この事から「定山渓」と言われるようになったそうです。

「定山渓ホテル」にて日帰り入浴!

いや〜
大きなホテルの大きな大きな何十人も入れる湯船が幾つもある
大浴場&川沿いの景色が堪能出来る露天風呂

まさかの貸切り!!!!



広過ぎて少し怖かったです(汗)




さて、風呂上りでサッパリしてから次の目的地へとGO!

更に更に南下を続けて室蘭へ
やって来たのは『南部藩モロラン陣屋』
市内唯一の国指定史跡で、北海道内の代表的な近世末の陣屋跡の一つ!
幕末に南部藩士たちが海をのぞみ噴火湾東端の沿岸警備に当たった
室蘭は、昭和9年に史跡指定を受け、以来永く保存されてきました。
この陣屋が造られたのは江戸時代の末期。
ロシア・アメリカなどの異国船が相次いで来訪し、北海道を含む
日本列島の北方域は諸外国の侵犯に脅かされていました。
このため江戸幕府は、東北地方の諸般に蝦夷地の沿岸警備を命じました。

この陣屋跡は、昭和9年に国の史跡指定を受けました。
昭和43年から5年がかりで土塁と堀の修復や屋敷跡の平面復元が
行なわれ、建物の礎石や石敷きの通路が検出されています。

で、見学後は『室蘭』のご当地グルメを食しましょう♪

札幌の「みそ」、函館の「しお」、旭川の「しょうゆ」に続く

北海道第四の味を目指して・・・・・・。
がキャッチコピーの「室蘭カレーラーメン」
その名店と言われる「味の大王ラーメン本店」へ

あなたの好きな食べ物はなんですか?

この質問に対する回答の上位には、必ずと言っていいほどラーメンと
カレーがランキングされます。
「室蘭カレーラーメン」は、日本人の大好物であるラーメンとカレーを
ただ単に合わせたものではありません。
ラーメンと相性の良いカレースープを各店主が考えに考え抜いた味

麺北海道小麦を使用した、もっちりとした太縮れ麺。
味付け果物・野菜・スパイスを原料としたカレーペーストと
豚骨系スープを合わせたもの。
スパイス感と甘さのバランスを調整。
最初に甘さを感じながらもスパイス感をあと口にしっかりと
感じるものである事。
トッピングチャーシュー・わかめ・もやしなどである。

等々決まりのある御当地ラーメンです!


味は普通に美味かった
もっとカレーの味がモッサリ来るかなと思っていたのですが
確かにカレーとラーメンのバランスの良い味でした!
・・・・でも、熱かったね〜
熱々のラーメンの上にドロッとしたカレーが乗っているので
熱が逃げずに冷めない冷めない(涙)


汗だくになった後は再び温泉です(笑)
『登別温泉』
日本でも指折りの名湯として有名な温泉です!

江戸時代から温泉の存在が知られており、明治時代に温泉宿が設け
られてからは保養地・観光地として発展してきました。
「にっぽんの温泉100選・総合ランキング」では毎年上位に
ランクインしている日本有数の温泉地!!

地名の語源はアイヌ語の「ヌプル・ペツ」(水色の濃い川)に
由来しているそうです。

「石水亭」と言うホテルの日帰り入浴♪
ホテルの屋上の風呂でしたが、ここは流石に貸切では無かったですが
縦に長い造りで、奥へ奥へと続いて行く構造だったのですが
入っていた全員が手前の湯船に浸かっていたので
奥の露天風呂は貸切でした(笑)



さて、風呂上りに売店でご当地の缶コーヒーを買って
水分補給を済ませてから出発!
そろそろ時刻は夕方
日はまだまだ明るいですが、油断せずに少し急いで進みます。
後は空港までの道すがら立ち寄って見る物ばかりなので
余裕ですけどね(笑)
まずは『仙台藩白老元陣屋』
江戸幕府は1854年(嘉永7年)の「日米和親条約」によって
鎖国に終止符を打ち、アメリカ合衆国に続いてイギリス・ロシア・
オランダとも和親条約を締結した日本。
この辺りのエリアは仙台藩に分担されており、この白老を拠点に襟裳岬
を経て国後島・択捉島までの東蝦夷地を守備範囲としていました。
元陣屋は面積が約66000平方メートルと広大で、堀と土塁に囲まれた
曲輪があり、内曲輪と外曲輪の中に6基の門を構えて本陣・勘定所・
殻蔵・稽古場・長屋などを築き、常時120名の藩兵が駐屯していた
防御力の高い拠点でした。
1859年(安政6年)に藩領地となったことによって代官が置かれ、
白老の民政を行ったなど古くから官民の中心地でした。

最後に立ち寄ったのは『樽前山神社』
樽前山神社は、北海道苫小牧市にある神社で、明治初年、樽前山周辺の
原野を開拓するに当たり、樽前山山麓に山の神・大山津見神を祀ったのに
始まる神社です。
明治8年(1875年)、樹木の神・久久能智神、
草原の神・鹿屋野比賣神を合祀し、樽前村から苫小牧の町の中心部に
遷座、郷社に列し、千歳・白老・勇払の三郡の総鎮守となりました。
昭和11年に県社に昇格。
因みに樽前山山頂に奥宮がありますが勿論登らずです(苦笑)



さ〜
天気の良い今日は空の上は揺れるかな〜と少し不安に思いつつも
「新千歳空港」へと戻ります。
途中の指定給油所で全額入れるのもムカつくので
その手前にあったエネオスでTポイント付加でMAX入れてから
指定給油所で¥100ほど入れてからレンタカー屋に車を
返しました(邪笑)



時刻は19時


ですが飛行機の時刻は21:25!
まだまだ空港内でマッタリと土産などを買えますね(苦笑)


20:30には搭乗手続きを済ませてスタンバイ

定刻通りに新千歳空港を出発しました。


機内ではやっぱり爆睡(笑)

でも途中で起きなかったし、後で老ちゃんに聞いてもそんなに揺れ
なかったそうだったので良かったです。


「羽田空港」へは23:00頃到着

空港内で老ちゃんと別れて、1人車に乗って家路を急ぎます・・・



途中、渋滞なども無かったですがやはり羽田着が23:00なので
帰宅したのが1時過ぎでした(汗)


いや〜
今年も毎年恒例の初夏の北海道が終了〜〜
残りは幾つだ??
道北のオホーツク側
道東のリベンジ企画
道南の北海道最南端&最西端企画

島を除けば3つか〜



残りは是非とも3人以上で行きたいものです!
・・・道南以外は運転手1人は結構辛い(涙)


ま〜何はともあれ今回もお疲れ様でした!







しかしアレだね


・・・北海道まで行って海鮮物を一回も食わなかったね!
カレーばかり食ってた気がするぜ☆
ま〜ある意味俺ららしいかね?(笑)


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