朝飯付きのプランでしたが、俺も老ちゃんも食う訳が無い(マテ) ギリギリまで寝て、10:00にホテルをチェックアウトして まず向かったのは有名な『御船山楽園』
1845年、武雄第28代領主であった鍋島茂義は バリバリ鎖国時代だった日本において、科学技術や学問を取り入れる事 の必要性を痛感し、藩の蘭学普及に尽力した名士です。 実行力と先見性に加えて、芸術面でも豊かな感性を持っていたと 云われる茂義が創設したのが、この御船山楽園(旧萩野尾苑)です。
わずか23歳の若さで筆頭家老の抜擢された茂義は、標高210mの 壮大な御船山の麓に、約15万坪の広大な回遊式庭園を創設し、 武雄の地に素晴らしい庭園を造りました。
池を巡る遊歩道沿いには「石楠花」「萩」などの四季の花々が植えられ、 御船山観光ホテルの庭園として運営されていますが、勿論一般客も 見学OKです!
季節ごとの花が植えられていますが・・・
生憎とどの花も見頃は外れており寂しい限りです(涙) 流石に九州とは言え3月半ばは、まだ早かったね(汗)
ですが、バックに雄々しい岩山を臨み麓に斜面の高低差を生かした 見事な庭園!! 庭園の木々と青空と聳え立つ岩山の風景はここならではのモノ! これで花が咲いていれば、さぞや素晴らしい景色だったでしょう!!
さて、庭園を出て次に向かったのは『須古城址』
築城年代は定かでは無いのですが、天文年間(1532年〜1555年) に地元豪族の平井氏によって築かれたと云われる城です。 平井氏は少弐氏の一族で少弐資頼の二男盛氏の子経氏が平井氏を 称したのが始まりとされています。 その後、千葉氏の家臣となり有馬氏に備えてこの地へ配されたそうです。
更にその後、須古城は龍造寺氏の属城となり、天正6年(1578年)に 龍造寺隆信が隠居すると須古城へ移り居城としました。 しかし、天正12年(1584年)龍造寺隆信は有馬・島津連合軍との 戦いで討死し、須古城は隆信の弟龍造寺信周の居城となり、須古鍋島家 の祖となりました。
現在、須古城は須古小学校とその背後にある丘陵一帯に現存しています。 須古小学校背後の丘陵を高城と呼んで詰城とし、その周囲に水堀を 巡らせた平山城であったそうです。 現在小学校の東側に残るのが水堀の名残だそうです。
丘陵部分には平段が点在し、山頂背後の岩場は「弾よけ岩」と 呼ばれています。 西側の山腹には石積が残されていました。
教育センター的な建物の裏の駐車場に車を停めて登城
・・・・普通に小学校の校庭と繋がっていて、昼休み時間だったので 児童が元気に走り回っています(笑)
不審者じゃないよ〜城を見に来たんだよ〜とキッズどもを刺激 しない様に見学(笑)
元気に挨拶してくれてホッコリ癒されます♪
城を見学後はそのまま海沿いまで南下して行き、今日のメイン! 『干潟展望館』へと到着です!!
佐賀の代表的な地形の干潟を見学です♪
鹿島市干潟展望館は、佐賀県鹿島市音成の国道207号線沿いにある 「道の駅鹿島」内にあり、有明海を一望出来る干潟の資料館です。 ミニ水族館や望遠鏡等が無料で観覧出来ます。 有明海に生息する全国的にも珍しい海の生き物たちが30種類ほど 展示されていて中々に楽しかったです♪。
生憎と干潟は満潮の時間で、浅瀬なのは見えるのですが辺り一面 海水があり普通に海(汗)
タイミングが悪かったか〜と肩を落としつつ、折角なのでここで 昼飯を食ったり土産を買ったりします。
有明海の海苔をふんだんに使った「海苔うどん」 メッチャ美味かった!・・・・歯、黒くなったけど(汗)
土産に海苔や特産品などを買い込んで 再度海を見てみると・・・
海水が引いて干潟になっています!!!
早ッ!!!! 広範囲の場所で5kmも1日に2回も潮が満ち引きするとは聞いて いましたが1時間ちょいの時間で1km弱は干潟になっています!
一面に広がる泥の地面とそこで跳ねる魚に感動しながら20分程 景色を眺めてから撤収です。
・・・しかし、道の駅では有名なムツゴロウよりも エイリアンの様な顔がグロくて有名?なワラスボをネタにした商品が 目白押しで笑えました(笑)
続いてやって来たのは『三重津海軍所跡』 佐賀藩が1858年(安政5年)に設立した蒸気船等の船の修理・造船 施設です。 西洋船運用のための教育・訓練機関も兼ね備えていた当時としては 革新的な施設で、実用的な国産初の蒸気船である「凌風丸」を製造した 造船所です。
2000年代に入り発掘・文献調査が進められ、2013年に 国の史跡に指定、2015年には「明治日本の産業革命遺産 」として 世界文化遺産に登録されました。
佐賀県と福岡県の境界を流れる筑後川の支流である早津江川河口に 位置し、海軍所のあった場所は佐賀藩領の南東端にあたります。 早津江川を挟んで、対岸は福岡県大川市の大野島で、藩政期は 柳川藩領でした。 現在は公園化され、護岸も整備されていますが海軍所当時の 周辺景観を比較的良く留めて居ます。
1858年(安政5年)に佐賀藩(鍋島家)が以前からあった 「御船屋」を拡張して設置した海軍の伝習機関 (当時の記録には「三重津」または「御船手稽古所」との名称で 記載されている)です。 1859年(安政6年)には幕府の「長崎海軍伝習所」閉鎖に伴い、 長崎海軍伝習所で学ばせていた多くの佐賀藩士の士官教育を継続する 為と、所有する西洋船の修理場等が必要となった為、従来からあった 施設の範囲と機能を増設。 海軍所では航海、造船、鉄砲等の学科や技術教育が行われたほか、 蒸気船・西洋式帆船等の根拠地として蒸気船の修理・製造が行われ、 オランダ製の木造帆船である「飛雲丸」や木造スクリュー蒸気船 である「電流丸」、木造外輪蒸気船「観光丸」(幕府からの委任) 佐賀藩士が長崎海軍伝習所で建造した木造帆船「晨風丸」等が 運用されていました。
1865年(慶応元年)には国産初の実用蒸気船である「凌風丸」を 完成させたといわれる現存する国内最古のドライドックや 船舶部品の製作場。 海軍所特注磁器食器などを見学する事が出来ます!
VRで現在の場所に当時の建物を浮かび上がらせる事も出来、中々に 凝った作りの施設でした! 因みに日本赤十字社の創始者の資料館と併設されています。
予想以上に立派な施設だったのでかなり見学時間を費やして しまったので後は急ぎ足で回ります(汗)
帰りの高速に乗る前に『佐賀城』へと立ち寄りました。
2009年の第5期に来て以来なので・・・ 8年振りの登城です(過去日記参照)
江戸時代初頭に完成し、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城。 城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城。 幅50M以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれていまする。 平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキ が植えられています。 城が樹木の中に沈み込んで見える事や、かつては幾重にも外堀を 巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する 仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた城です。
また城郭と城下町の完成予想図と思われる「慶長御積絵図」とは 異なる部分が多く、厳密には未完成の城だと云われています。 明治時代初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失し、 鯱の門と続櫓のみが残っており国の重要文化財に指定されています。
享保11年に焼失した天守は小倉城並みか、それよりわずかに大きい 規模ではないかと最近の調査で推測されているそうです。
現在、城跡は佐賀城公園として整備され、本丸周辺は東堀や土塁が 復元され往時の姿を取り戻しつつあるほかは、佐賀県庁など公共施設が 建ち並んでおり、現在も佐賀県政治経済の中心地となっている場所です。
佐賀市内でやや渋滞に嵌るも高速に乗ってしまえば後は 順調に進みます!!
最後に飲み物や土産を買う為に立ち寄った金立SA
SA内の案内板に・・・・・・・・遺跡?
SAの裏手から外に出れ、出るとすぐに『久保泉丸山遺跡』が ありました・・・ 勿論見学です(笑)
久保泉丸山遺跡は縄文時代晩期から弥生時代前期の118基の支石墓と、5〜6世紀の12基の古墳群が 小さな台地上にまとまって存在していた複合遺跡です。
遺跡そのものは佐賀市久保泉町川久保に位置していましたが、 長崎自動車道建設の為にこの場所に移されたそうです。
古墳の石室には竪穴式と横穴式があり、竪穴式石室の中で最大の ものは長さ1.87m、幅0.73m、高さが0・76mあります。 石室の中からは鉄剣や鉄ほこ、刀、やりがんな、勾玉など多くの 出土品も見つかったそうでかなり貴重な遺跡群ですね!
思わぬ伏兵に更に時間を取られ、結構ギリギリな時間になって しまいました(汗)
そんな時に限って今回は何時もより早い便(苦笑)
空港の近所はスタンドが少なくて不便ですが、何とか効率的に道を 選んで反対車線に行かずに済むように計算して、給油後にスムーズに レンタカー屋への道を設定して、何とか時間前に帰着!
車を返して、目の前にあるのに工事のせいでやたらと 遠回りさせられる「福岡空港」へと戻って来ました(怒)
福岡空港を19:00発の便だったので90分程しか時間が 無かったので最後の土産購入や搭乗手続きを済ませたらあっと言う間に フライトの時間でした(汗)
上空は安定していてあまり揺れる事も無く、ほぼ定刻通り 「羽田空港」へは20:35頃に到着。
空港内で老ちゃんと別れ、後はパンダのBに停めた車に 乗って帰るだけ!(笑)
いや〜 まずは干潟が見れてよかった(汗) 今思えば満潮干潮と2つの景色が見れてラッキーでしたが、 最初は満潮しか見れないのかとマジで凹みましたからね(涙)
後、イカ!! 美味かった!!! イカマジウマ★☆ ・・・値段はそれなりにしましたけどね(苦笑)
いや〜 初クローズアップした佐賀! なのに吉野ケ里遺跡はスルーってのが俺等らしいかな?(笑)
何にせよ、今月と言うか今期の1泊イベントはこれで最後! 有終の美を飾れたイベントでした!! 老ちゃん、何時も参加ありがとう! 来期もよろしく(邪笑)
それでは今回もお疲れさまでした・・・
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