2月の1泊イベントは四国の香川へ!
復元され、屋島城を見に行きます! 屋島城の復元の話を聞いてから5年くらい前からずっと 待っていたイベントです!!
ずっと復元完成&一般公開を待ち望んでいましたが、 平成28年3月19日に一般公開が開始になりました。
・・・ま〜何だかんだで1年も経ってしまいましたが やっと行けました(笑)
それと前回の四国で四国最東端を制覇したので(過去日記参照) 今回は最北端も制覇したいと思います! (最南端は制覇済み。最西端は制覇予定)
メンツは俺とクラウザー ・・・2人か〜(涙)
ま〜クラウザーと2人旅って言うのは今までに無かった試みなので それは非常に楽しみですけどね♪
0:30 伊勢原駅まで出て来てくれたクラウザーを拾ってから 秦野中井ICから1:00頃に東名に乗って西を目指します!!
流石は金〜土の夜 何時もよりも車が多くてウザかったですが、渋滞が起こるレベルでは 無いのが救いです。
車内では久しぶりにクラウザーとマッタリ、真面目な話からアホ話 今後の話や過去の学生時代の話など語り明かしました♪
本当はクラウザーには早々に寝て貰い、明け方に運転を交代して貰い タイムロス無く四国入りする計画だったのですが・・・
話が盛り上がり過ぎてお互い一睡もしてないです(汗)
で、朝の7時前には兵庫と岡山の県境を越えてすぐの福石PAまで 着いてしまいました(苦笑)
結局、これ以上は寝ないとどうにもならないので車内で寝ます・・・
3時間半寝て、起きてPAの食堂で「岡山ラーメン」なる ご当地グルメを食べました。 特徴は、鶏ガラと豚骨しょうゆのスープが主流で、ベースの出汁は鶏ガラ や豚骨以外に、魚介類からとっている店もある。 麺に関しては、縮れ麺を使うことはほとんどなく、細〜中細のストレート 麺がほとんど
ま〜普通に美味しかったです(笑)
で、飯食った時間も居れると4時間のロスですがね(涙)
急ぎ出発して『瀬戸大橋』を通過して四国へ! 香川県へと入ります。
まず、丸亀から瀬戸内海の島の1つ「塩飽本島」へと渡る予定だったの ですが、船の時間が微妙過ぎるでの初っ端から計画の修正を余儀無く されます(汗) 最初の目的地は・・・・・『豊稔池堰堤』!
ここだけ丸亀よりも南西にあり、今回のイベントで唯一離れた場所に あるので先にここから周ります。
『豊稔池堰堤』 アーチ止水壁が連なった、日本最初期のマルチプルアーチ式ダムです。 周囲は公園として整備され、夏(不定期)に行われる放流風景は季節の 風物詩となっているそうです! その昔、この辺りは“大野原は月夜に焼ける”と言われ、江戸時代 以前は土地が高燥で一面の原野でした・・・ 大正時代の二度の大干ばつを契機に近代式ため池の必要性が高まり、 豊稔池築造計画が立ち上がりました。 工学博士の佐野藤次郎氏の指導のもと大正15年に着工し、県の直営 工事として実施され、地元の受益農家を中心に構成された作業班により、 わずか3年8ヶ月の間に堤長128m、堤高30.4mの石積みダムが 完成! 当時、ダム建築の最新技術であるマルチプルアーチ構造を採用し、 中世ヨーロッパの古城を偲ばせる偉容と風格を漂わせる豊稔池は、 景観的にも学術的にも他に類を見ない貴重なダムとして現在でも高く 評価され、平成18年に国の重要文化財として登録されました。
山道を1本奥に入って行き、急な鋭角の曲がり下り坂を降りて行くと 目の前に聳える巨大な石の建造物に圧倒されます!!
水も綺麗で、クラウザーと2人で 「夏に来ていたら絶対に水に入って行ってたな」と 思わず言ってしまいました(笑)
さて、山道から離脱して高速を短い距離ですが使用して丸亀市まで 戻って来ました。 『丸亀城』を見学です! 石垣の名城と言われる丸亀城は香川県丸亀市にある現存十二天守の 一つです。 当時の最高技術で造られた高い石垣と現存十二天守の中で一番小さな 天守を持ち、日本の百名城にも選ばれています! 丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、縄張りは ほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む渦郭式の平山城です。 石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、 頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」となっています。 山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60mになり、総高と しては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22mもあります!
ただし、あくまで総高としての日本一であり、単体としての日本一高い 石垣は大坂城です。 ちなみに大坂城の石垣の高さは約30mです。
頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存します。 この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15mあり、 現存三重天守の中で最も小規模な天守閣です。 室町時代初期に管領・細川頼之重臣の奈良元安が亀山に砦を築いたのが 始まりと伝えられています。 慶長2年(1597年)豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を 与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築きます。 慶長7年(1602年)6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成。
江戸時代に入り、元和元年(1615年)一国一城令により破却の 危機に晒されますが、時の藩主であった生駒正俊は要所要所を樹木で 覆い隠し立ち入りを厳しく制限し城を破却から守ったそうです!
正俊、超・GOODJOB!!
目の前の市役所にて素晴らしい無料駐車場に車を停めてから見学です♪ 嘗て2007年第3期の8月に来た事がありますが(過去日記参照)、 あの時は急勾配の天守閣までの道のりを何故か全力疾走して、本丸に 着いた時には酸欠と諸々で死にかけましたが、今回は大人のゆとりを 持ってマッタリと城壁や城門、場所毎の石垣の造りなどをじっくり 見ながら見学しました(笑)
丸亀城を見終えてから、追加で行く事にした『多度津城址』へと 向かいます。 丸亀から10km無い距離なので速攻で到着。
貞治3年・正平19年(1394年)頃に香川兵部少輔景房によって 築かれたと云われる城です。 香川氏は相模国高座郡香川邑発祥で、桓武平氏の流れを汲む豪族。
・・・まさかの地元に所縁のある豪族が居たので是非とも立ち寄って 見たかったのですよ(笑)
管領細川頼之に従って讃岐に来住し、貞治元年(1362年)高屋の役の 功によって多度津を与えられ、この地に築いたと云われています。 多度津城は多度津港の南に聳える山から東へ伸びた尾根の先端に 築かれていたようで、現在は桃陵公園の一部となっています。 多度津城は、瀬戸内の制海権を把握するために重要な多度の津を 押さえた香川氏平時の居城。 多度津港を見下ろす小高い丘陵に築かれ、城からは今でも瀬戸内の 島々を一望する事が出来ます♪
遺構は曲輪、石垣や石垣が少し残る程度ですが・・・
実はこの山の麓には少林寺拳法の総本山があります(笑)
なので城の周辺は少林寺拳法の道場や施設、寮などが建ち並び、 現在でも戦闘力の高そうな城跡でした(笑)
途中までは散策路通りに進んでいたのですが、何故か 「勝利に続くシャイニングロードが見える!」と 2人で道無き山道に突撃して行き、最短ではあったと思うが、 全く無駄に冒険をする事になった思い出深い城になりました?(ヲ)
いい加減に腹が減りました! 折角香川に来たので「うどん」でしょう!!
道すがら出て来たセルフのうどん屋に入ろうと思っていたのですが、 そういう時に限って出て来ない(汗) 看板を見つけて寄り道してみても「臨時休業」って・・・(怒)
そんなこんなで空腹がヤバい感じになった時に発見した 「キリンうどん」なる店舗へ突撃します!!!
店舗の外壁はキリン柄 店内には数多のキリンの写真が飾られております(汗)
ま〜それ以外は?普通にうどん屋だったので、大盛りで冷たいのと 温かいの&トッピングに揚げ物や天ぷらを追加してガッツリガッツリ 食いました♪
キリン繋がりでその後の車内はトイザらスのキャラクター 「ジェフリー」についてで大いに盛り上がりました!
「J!F!!Liぃぃぃ!!!」と車内はライブ会場の如し(マテ)
山頂までの地味な区間の有料道路設定にイラッとしつつも やって来た『屋島寺』 ここも2007年第3期の8月に来て以来です! 屋島は高松市の東、標高293mの火山台地の半島で、那須与一の 扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる 屋島。 屋島寺はその南嶺に建っています。 天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる古刹で 蓑山大明神を祀っています。
本堂の右には子宝、縁結びや家庭円満などの神さまとして知られる 四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神も祀られており、 狐を祀る稲荷は全国で数多くありますが、狸を祀る珍しい寺でも あります(笑)
当時の記憶を思い起こしながら、境内を散策・・・
一旦、寺の敷地から出て山頂近辺を歩いて行くと 今回のメインである『屋島城』へと到着です! 香川県高松市の屋島に築かれた、日本の古代山城です。 日本書紀に 、「大和国に高安城・讃岐国に屋嶋城(やしまのき) ・対馬国に金田城を築く」と、記載された城です。
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷は、倭(日本)の 防衛のために、対馬〜畿内に至る要衝に様々な防御施設を築きました。 瀬戸内海の島に築かれた古代の屋嶋城は、667年(天智天皇6年)、 高安城・金田城とともに築かれたと云われています。 また、屋嶋城は、政権基盤の宮都を守る高安城、国土領域を守る 最前線の金田城とともに、瀬戸内海の制海権を守る重要なポイントで あったと推察されています。 今まで山上の城門遺構の石塁が発見されるまでは、山上に遺構が無い 状態で、考古学の視点では実体の無い幻の城の状況でした。
1998年(平成10年)、高松市民の平岡岩夫による南嶺山上の 石塁の発見を契機に、城門跡と築城年代を示す土器が発掘され、 山上の城の存在が明確になりました!!!
地元の研究者が発見したって言うのが最高ですね!
正確に復元された城門の南側の城壁は高さ6mの堅牢な造りの 石垣で、下手にノリと勢いで復元しやがった物とは一味違う 重厚な城壁にウットリです♪ 瀬戸内海も見下ろせて景観も最高でした!
さて、そろそろ17時も過ぎましたがラストスパート!!
屋島から隣りの半島へ移動して、細い山道を進み 更に有り得ないくらいに急で狭い下り坂を降りて海岸線まで 行くと『竹居観音岬』に到着です。 竹居観音岬は四国最北端とされる岬で、香川県高松市庵治町の 庵治半島の端に位置し瀬戸内海国立公園に属するエリアです。 砂浜へ降りるところにアーチ状のモニュメントが建っていました。
海は綺麗だし、砂浜も綺麗でした♪
砂浜をもう少し奥まで歩いて行くと『竹居観音寺』があったの 拝観して来ました。 海岸沿いに建てられた小さな社の脇の道を進むと 岩場を縫うように参道が続いて行きます。 奥へ歩いていくと、最奥には神秘的な雰囲気の岩窟があります。 実はこの岩窟は高松城の鬼門に当たるとされ、高松城を最初に 築城した生駒親正や高松藩初代藩主の松平頼重がここに観音像を 奉納したそうです。 単純に四国の最北端って事だけではなく、江戸時代以前から パワースポット的な意味としても非常に重要視されていたのですね〜
さて、見る物も見終えたので宿へと急ぎます! 宿へのチェックイン予定は19時半 現在17:45
宿まではナビだと1時間弱かかる計算です(汗)
宿に遅れると電話を入れて、出来る限り急いで宿へと向かいます。 少し高松市内の渋滞に嵌ったりしつつも、予定よりも早く 19:00には宿に到着出来ました!
本日の宿は『城山温泉』 国立公園城山温泉内に建つ日帰り入浴施設「城山温泉」に併設された ホテルです 月替わりの大衆演劇など上演もしているらしく、館内は夜なのに まだ日帰り入浴客が多く居て賑わっていました(笑)
部屋に荷物を置いて・・・・・ まずは風呂だ!
適度な熱さの温泉が旅の疲れを癒してくれます〜〜 あぁぁぁあああぁ・・・最高です〜〜
風呂上り、部屋に戻らずその足で日帰り施設の方の食堂で晩飯を 食べちゃいました。 メニューはタコの唐揚げ、鯛そうめん、目の前で揚げてくれた天ぷら 等々、俺的に若干量は少なかったですが御当地色が出ていて 美味しかったです♪
食後は部屋に戻って・・・・ ガンプラタイム♪(マテ)
ガンプラを作りながら、家から持って来た母の石川の土産の地酒を 呑みつつバカ話で盛り上がったり、今日の感想や明日の予定の確認、 お互い話すネタが尽きず、明日は早く宿を出る予定だったのに 結局深夜まで語り明かしてしまいました(苦笑)
部屋のエアコンが音はゴウンゴウン五月蠅いのに全く部屋が暖かく ならなかったりとトラップが仕掛けられていましたが それすら笑いのネタになってしまいましたね(苦笑)
あ〜そうそう。
勿論ガンプラは完成しました(ヲ) HGソードインパルスです!
ま〜初日の早朝から計画変更な1日でしたが、無事にと言うか 予想以上に順調に進みました! 明日もこの調子でいきましょう☆
まず天気は今日と同様に暖かく好天らしいので 瀬戸内海の島に渡るには最高な日でしょう♪
明日が楽しみです!
続く
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