今日から九州ーーーー!
毎年冬の恒例になりつつあるイベントですね(笑)
今回は福岡! 博多湾の島々を巡りながら夜は博多で食い倒れプランです♪ メンツは俺とコチヤの2人なので、夜中出発して茅ヶ崎でコチヤを 拾ったら諸々買い出しをした後、寒川の職場まで行き忘れ物を 置いてからと寄り道だらけの後に『羽田空港』へとGO!(笑)
・・・いや〜寒いね 最近続いている極寒日に比べれば思っていたよりは寒くないけど ・・・寒い(汗)
ま〜これから暖かい南国に行くから問題ないけどね〜(笑)
・・・・・・・・って、思っていたんですよ タイトルの通りです 2日間、福岡は寒かった(涙) 予報は今日は曇り時々雨。明日は晴れ時々一部雪。
・・・・・・・・・雪!?
どうせ雨も雪も降らないだろう!と何時もの様にご機嫌で空港で 搭乗手続きを済ませ、定刻通りに6:15に羽田空港を出発です!!
北へ行く便は、始発の便から欠航や悪天候で目的地で着陸出来るか不明 のアナウンスが流れる中、少し揺れるくらいで九州へと上陸します。
定刻を10分弱ほど遅れて『福岡空港』へと8:20過ぎに到着です。 今回は次の乗り継ぎの便や島行きの船の時間など時間的に余裕皆無な タイトスケジュールでは無い旅だったので良かったです(苦笑)
天候は曇り・・・・ほんの少し小雨
・・・・・・・・・・・・えー
寒い!!
朝の8時半とは言え気温が日向で3度って何!? 東京の気温よりも低いじゃん!(汗)
しかも冷たい強風がビュービュー吹き付ける中を空港ビルが工事中だった せいで空港からレンタカー屋が軒を並べるエリアまで10分くらい外を 歩く羽目に(涙)
ガタガタ震えながらレンタカー屋に入って手続きを済ませて出発です。
まずは・・・最寄りのすきやへ(ヲ) 空港前でカレーの看板を見てからカレー食いたくてヤバかったんです (苦笑)
朝飯を食ってから仕切り直しです!
まずやって来たのは『博多港』 対馬に行った時以来なので懐かしいですね〜(過去日記参照)
天気は晴れてきたのですが、それでも風は強く波は高く・・・ 最寄りのコースの船便が欠航に(汗) それでも待つ事1時間・・・我々が行こうとしている「玄海島」行きの 船が出向する事に♪ やったぜーーー!と喜び桟橋へ向かいます。 係員に往復券を渡すと 「・・・・往復?帰ってこれる保証は無いよ」 「多分、いやほぼ確定で船は玄海島から帰って来ない」 と頼もしいコメントが(涙) 船長さんにも確認に行ってくれたのですが 「・・・船長も「止めておけ」って」 マジか〜 ・・・ま〜乗船する客が俺とコチヤだけって時点でヤバいけどさ(汗)
さ〜どうしよう! いきなり躓いた(汗)
取り合えず、無駄に駐車場代を取られた港の駐車場から車を出して 本土側にある行先から先に行って見る事にします。
福岡県内に多数現存する中でも最大規模で見所も多い 『生の松原元寇防塁』を見て来ました。 文永11年(1274年)蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年 (1276年)に博多湾の海岸線に石築地を築いて再度の来襲に備える 事にしました。 これを元寇防塁と呼びます。 北九州地方に多々作られましたが、長垂海岸から小戸海岸にかけての 約2.5kmの間、白砂と松原の境を縫うように石垣が築かれています。 そんな今回見学したエリアを生の松原地区元寇防塁と呼びます。
昭和43年発掘調査が行われ、海への傾斜面に幅1〜1.5m、 残高1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強している事が 判明しました。 また積み上げられた石の種類が、西側は長垂海岸に見られる ペグマタイト(花崗岩)、東側は小戸岬一帯の砂岩ときれいに 分かれていました! 史料によればこの付近の防塁構築は、姪浜が肥前国、生の松原が 肥後国とあり、この石材の違いは両国の分担地区を示す可能性が あるそうです!! 本当にある面から積み方や石の種類がガラリと変わり、境目もハッキリ と区切られていて面白かったです♪
そんな防塁を息が詰まり体が持って行かれるほどの強風に晒されながら 頑張って見て来ました(汗)
防塁を見た後は車を停める場所が近くに無かったので 少し離れた場所にあった『壱岐神社』の駐車場に停めさせて貰ったので 一応神社の方も見学しておきました(ヲ) 祭神は壱岐真根子 壱岐真根子命は武内宿禰(景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の 各天皇に仕えたという伝説上の忠臣)の身代りとなり、無実の罪にて 死亡したとされる人物で、信仰篤き黒田藩主はその忠魂を称え、 松林4128坪を安永4年5月に寄附された事が発祥の神社です。
さて・・・どうするかね〜 海岸では強風を満喫?してきたので風の強さも海の荒れ具合も 分かっています。
次の目的地も島なんだよな〜(汗) ま〜でも玄海島は船で片道30〜40分で湾と外海の境目なのに対して これから行こうと思っている能古島は船で10分! 博多湾内の島
・・・・・・・たぶん行けるんじゃないかな〜(苦笑) 取り合えず島に渡る為の船が出る『姪浜渡船場』へと移動
10分ほど走り渡船場へと到着
受付で「能古島に行きたいが船は出ているか?そして言って帰って 来れるか?」と係員に聞くと
「能古島航路は朝から1便も欠航は無いです!」
素晴らしい! 港の駐車場に車を停めて、出向の時間まで20分程待って出発です!!
海は荒れていても流石に湾内は波も落ち着いていて、そんなに揺れる 事も無く『能古島渡船場』へと到着です。
能古島・・・ 福岡県福岡市西区に所属する島で、博多湾の中央に浮かんでいます。 大都市の目の前にありながら僅か10分の船旅で都会の喧噪を忘れら れるとあって、福岡市民の身近な行楽地として親しまれています。 福岡でも屈指の菜の花・桜・コスモス・水仙の名所としても有名! 能古島は日本の歴史上、外敵に蹂躙されたことのある地の一つです。 1019年(寛仁3年)の刀伊の入寇では4月8日から4月11日の 3日間に刀伊が軍を置き、早良群全体の被害量よりも多くの牛馬を 略奪されたことが「小右記」に記録されています。 1281年(弘安4年)の弘安の役では、島に上陸されたことが 「八幡愚童訓」に記録されています。
更には江戸時代には福岡藩の鹿狩りの場とされていました。 しかし、鹿が農産物を荒らすため、対策として1836年(天保7年)に 島の南北を海の中まで分断するような石垣を完成させて島南側の耕地への 鹿の侵入を防ぎました。 これは鹿垣(しかがき)と呼ばれ、幅3mの溝を掘り、溝の南側に 高さ2mに土を盛って土塁とし、土塁の北面に30cm〜50cm大の 石を積んだ構造でした。 幕末の1853年(嘉永6年)にはこの狩場でスターリング英国東洋艦隊 提督が鹿狩りに興じた記録も残っています。 ただし島の鹿は1945年(昭和20年)頃に全滅したそうです(汗) 更に度重なる地震などによって鹿垣はその殆どが壊滅してしまった そうです(涙)
そんな能古島に上陸したわけですが・・・
・・・・・・・・・メッチャ寒い 風が冷たくて強くて辛い(涙)
さっきから粉雪が強風で舞って、晴れなのに吹雪いてます(汗)
現在は島の北部にある「能古島アイランドパーク」にて花の名所と して有名で、観光客の9割9分がそっち方面に向かうバスに乗り込み ますが我々はここでも我が道を突き進みます! 島南部に点在する神社や史跡を巡ります!!(笑)
海の向こうに博多の高層ビル群を眺めながら歩く事数分 『永福寺』に到着です。 曹洞宗の寺で明治の初め頃まで神宮寺と呼ばれていました。 境内には地元出身の洋画家多々羅義雄の歌碑や、戦後すぐに遭難し28人 の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑、二八観音などがあります。
色々見所があった寺だったけど、参道に入ってすぐに遭遇した 目力の凄まじい達磨の石像が一番インパクトあったかな?(笑)
寺から更に奥へと登り坂を進んで行き、少し迷子になったものの 『能古焼古窯跡』へと辿り着けました。 島で唯一の登り窯で、能古焼という伊万里焼系の染付磁器と高取焼系陶器 を焼いた窯であり「筑前国続風土記」によると、1764年(明和元年) から1781年(天明元年)までの約20年間のみ操業したと云います。 現在、唯一の製品と思われる花瓶が隣接する能古博物館に展示されており、 登窯は福岡市指定史跡となっています。
・・・本当はもっと山側の遺跡に行きたかったのですが、港で配布された 島のMAPが適当過ぎて辿り着けずに盛大に迷子に!!(涙)
結局諦めて、海沿いの道まで降りて来て能古島の産土神である住吉大神 や神功皇后、志賀明神などを祭る『白髪神社』を見学しておきました。
そのまま島の西側まで海沿いを歩いて行き、たまたま気がつたから 良かったものの普通だったら絶対に看板を見逃して辿り着けないだろう! って言う小さな手作りの看板と、そこから「ここに入るの?」って レベルの細い路地を突っ切って『蒙古塚』へと辿り着きました(汗)
元寇の時に犠牲になった人々を慰める為に建てられたものです。
見学後は西の端から港の有る東側まで海沿いを青空吹雪に晒されながら 歩きます・・・ と言っても15分くらいですが(苦笑)
さて!飯だ!! 『能古島』名物の「能古うどん」を港の待合室の食堂で食いました♪ 細めんでコシがあります! 海風で冷えた体に温かいうどんが!! 最高に美味かったが・・・量的には全然足りないね(苦笑)
コチヤはご当地バーガーを食ったそうですが、特徴は「普通!」 味は「普通!」だったそうです(笑)
食後、船の時間まで港から更に東側にある『北浦城跡』へと行って 見る事にしました。 「筑前国続風土記」では築城者として山上憶良と、藤原純友家臣の 伊賀寿太郎の2名を挙げていますが平安時代に築かれた説が有力ですが 詳しい事はまだあまり分かっていないそうです。
いや〜しかし・・・ 遺構無いね〜 それらしい地形と、民家?の門に「城跡」って書かれていたのですが 案内板も無いし、城の区画でメインがあった山の方へ行きたいのですが 道も無く、泣く泣く民家の門と遠景で地形写真を撮って 撤収しました(涙)
さて、帰りも船も大きく揺れる事も無く無事にあっという間に 九州本土へと戻って来れました!
今日はもう観光終了〜 寒いし疲れた(汗)
・・・の前に、最後に1つ追加で入れたポイントへ立ち寄ります。 『須崎台場跡』 幕末期、黒船の来襲を防ぐために多々築かれた砲台跡の1つです。 12貫目砲など15門の大砲が備え付けられたとされ規模は中々に 大きかった様子。 明治21年には、旧台場から時刻を知らせるためのドン(午砲)が 発射されたが、あまりに発射音が大きかった為、後に西公園下に移され たそうです(汗) 現在、福岡県立美術館が建つ須崎公園の北側に、那ノ津通りに面して 石垣の一部が残っていましたのでそれを見学して来ました。
良し!見るもの見たし即撤収ーーー! 今日の宿は『天神』の繁華街の中にある「ホテル天神プレイス」
ツアーだとダブルのコースしか空きが無かったので、1回ダブルで予約を 取って当日朝にゴリ押しして、追加料金はかかりましたがツインの部屋に 変更さました(邪笑)
チェックインを済ませ、部屋でゴロゴロ・・・・
あ〜ダメなパターンだ!と思ったものの時既に遅く、2人とも意識は ガンダーラへと旅立ちます(汗)
・・・2時間後、何とかベッドから這って起き出して飯を食いに外へ!!
外は寒いーーーー!! まだ雪降ってるーーーー! 風も強いままです(涙)
昼でも気温は4〜3度なのに夜になったら今では2度とか1度って なってます(汗)
しかも、いつも『中洲』で行っていた店が全部日曜日定休日で閉まって いると言う悲劇!!!(滝汗) 辺りをウロウロ彷徨い、キャッチの兄ちゃんのおススメの店を聞いたり して開いていた「博多再生酒場」と言う居酒屋へ入りました。
「水炊き」美味かった〜 朝から寒い日で体が冷えていたから熱い鍋物が染み渡ります♪
地酒の米焼酎を飲みながら 名物の「ゴマサバ」「餃子」 他にも焼き鳥の盛り合わせなどを頼み博多の夜を楽しく健全に 満喫します(笑)
で、追加で「もつ鍋」を頼んだら・・・ キャベツとニラしか鍋に入っていない!! モツが入っていない!!! まさか!?と思い何度も2人で鍋の中を探すが・・・無い モツ、後から来るの??火の通りが悪いモツが後入れ?・・・無いわ〜 店員に「モツが入っていない」と伝えるも、中国人の店員はアホで 「モツ追加でスネ!!」と
もつ鍋ってモツ別料金だったっけ??
見かねた日本人の店員さんがやって来て 何とかモツを手に入れました(汗)
苦労の甲斐もあり?もつ鍋も美味かったーー!
で、結構食って一人¥4500で済んだので意外と安くて 良い店でしたね♪ 鍋を頼む時に注意が必要ですが(ヲ)
食後、せっかく温まったのに極寒の中をホテルまで歩いて帰り、 コンビニでお菓子や飲み物を買ってから戻りました。
部屋でTVを見ながらゴロゴロとしながら就寝・・・
まだ雪は降っているな〜 明日は船には乗らないので飛行機が飛ばなくなるレベルの強風が 吹かなければどうでもいいのですが、ここまで降り続けると粉雪とは 言え雪が怖いな(汗)
ま〜明日は明日で何時も通りに、何とかなるでしょう!!(笑)
それではお休みなさい・・・
続く
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