朝起きて! って言うか起きれたよ(笑)
飯無しプランだったので10時にマッタリとチェックアウト
天候は曇天! 良し! 今日の観光は徳島市内のみです。 淡路島観光は今度の姫路周辺と絡めて行きます!
まず向かったのは、昨日幾つか当たりを付けておいた(過去日記参照) 『津田台場跡』 元治元年(1864年)に徳島藩が完成させた砲台場。 大砲は、口径15センチの一等砲二門を含めて全部で三十門。 台場上に二十門と左右の松原に各五門を配置。 徳島藩領内の台場としては最大規模を誇るものだが実戦で使われた事は 無いそうです(笑) 現在は火薬庫まわりを残すのみとなっており津田砲台史跡公園として 整備されています。
公営団地と住宅が密集する中にあり、車で探すには道が狭くて 行き止まりも多く大変ですが探す範囲も結構広かったので全部徒歩は 無理(汗)
昨夜当たりを付けた場所を虱潰しに探します。
見つからず(涙)
最後の最後で、車が入っていけない道の先にナビの画面上だと空き地? 公園??みたいなのがあったので近所の月極?駐車場に停車!して 小雨が降ってきた中を徒歩で偵察に!(マテ)
ありました! ここです!!
団地と住宅に囲まれた小さな広場に土塁、火薬庫障壁の遺構が残って いました!
サクッと見学後、次へと移動します。 お次は四国88ヶ所霊場13番『大日寺』へ 徳島市内にあるお遍路の一番西に位置し鮎喰川を渡った平地にあり、 車の往来が激しい県道沿いに建っています。
開基は弘法大師とされ、縁起によると「大師が森」というこの地で 護摩修法をされていたさいに、空中から大日如来が紫雲とともに 舞いおり、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と 告げられた。 大師は、さっそく大日如来像を彫造して本尊とし、堂宇を建立し 安置したと伝えられている。
寺の名の由来もこの縁起によるとの事。
境内は大きな木々に覆われ、かなり歴史の古そうな雰囲気を漂わせて いますが、実は戦国時代に「天正の兵火」により堂塔は全てが罹災して います(汗) その後、江戸時代の前期に阿波3代目藩主、蜂須賀光隆により本堂が 再建され、諸国に国の総鎮守の一の宮が建立された時には、その別当寺 として同じ境内にあり、管理に当たっていた歴史を持ちます。
なので、今も大日寺向かいにあるかつて阿波の総鎮守であった 『一宮神社』も一緒に見て来ました♪
で、見学後がここの(俺ら的には)メインです!!
お次は神社の裏手にある『一宮城址』を見学します(笑) 一宮神社脇の登山道を・・・・・・・・登ります!! お待たせしました、山城です(笑)
延元3年(1139年)、阿波守護小笠原長房の四男、一宮長宗が 築城しました。 その後、南北朝から戦国時代まで一宮氏の居城でした。
天正10年に12代当主であった一宮成助は、長宗我部元親に 騙し討ちに遭い殺されてしまい、一宮氏は滅亡します(汗)
天正13年、豊臣秀吉による四国征伐にて総大将豊臣秀長が 長宗我部元親の家臣谷忠澄の守る一宮城を大兵力で攻め、開城させて います。
その後、阿波18万石を与えられた蜂須賀家政は、一宮城に入城。 後の阿波の中心として栄えた徳島城築城中をこの城で過ごします。 徳島城完成後は家政は徳島城に移りますが、その後も一宮城は 阿波九城の一つとして重臣である益田宮内を城主にする事で重要性を 残しています。 ・・・・が、この城も元和の一国一城令により、寛永15年に廃城と なりました(涙)
登る事20分弱、山頂付近にて遺構とご対面です♪ 山頂までの道でも倉跡の曲輪、竪堀、僅かに石垣の残る2つの曲輪など 確りと遺構が残っており 素晴らしい山城です♪ 才蔵丸と呼ばれる曲輪の虎口と堀切を経て、帯曲輪と呼ばれる曲輪へ 続きます。 帯曲輪虎口には石段が残っており、帯曲輪の右側に明神丸、左側が 本丸が配置されています。
総石垣造りの本の丸は、東側の虎口の石垣が特に素晴らしく見応えが ありました!! まず殆ど勾配のない石垣には圧倒されます!
丁度、津田台場跡からここまでの移動中で雨が降っていて、止んだり 小雨が降ったりと繰り返していたので、本丸から眼下を望むと辺り一面が 霧の海に沈んでいます!!
耳が痛くなるくらいの静寂と霧が深く全く山の麓の寺や神社すら 見えない状態で霧と雲の白と山肌の黒が水墨画の世界の様でした・・・・
さて、再び本降りになる前に急いで下山! お次は今回最後の目的地になります。
車で30分ほど走り到着したのは 『見性寺』 臨済宗妙心寺派で勝瑞城址です♪ 勝瑞城は阿波を本拠に海を越えて、京の都を含む畿内一体まで勢力を 誇った三好氏の居城です!
現在は遺構は、僅かに曲輪、土塁、堀が残るのみで、嘗て阿波国の 中心だった頃の様子は残っていません(涙) 因みに見性寺は三好氏の菩提寺でして、見性寺が本の丸跡になります。 その周囲を水堀や土塁が囲っています。
平成9年に発掘調査され、堀幅14m、基底部12m、高さ2.5mの 土塁が周囲を回っていたことが確認されているそうです。 現在残っている現存土塁はこれに該当するそうです。
三好氏の居城ですが、築城したのは延元2年(1138年)、細川氏の 当時の当主細川頼春が築いたそうです。 以来、阿波守護所として阿波の中心であったものの、応仁の乱で 衰退した守護細川氏に替わり三好氏が台頭。 天文21年に三好義賢は、細川持隆を攻めて城を奪いました。 しかし、三好氏も3代経て、天正10年、三好氏の本流は絶え、 名跡を継いだ十河存保が阿波を支配しますが、土佐の長宗我部元親に 攻められ、中富川の合戦に敗れ讃岐へと逃れ、三好氏の阿波の支配は 終わります。
さて、これで今回の観光は終了〜 老ちゃんの終電の時間もあるので早急に帰りましょう!!
徳島ICから高速に乗って一気に帰ります・・・・の前に、行きに仮眠 を取った淡路SAにて土産購入&トイレ休憩&霧の中に浮かぶ 明石海峡大橋の撮影&『淡路』のご当地ラーメンである 「淡路玉葱ラーメン」をSA内の「ラーメン尊」と言うラーメン屋で 食って行きました!!
淡路島名物の玉葱をこれでもか!って位使ったラーメンで 具は叉焼、煮卵、スライス玉葱、揚げ玉葱、ネギです。 油もネギ油(笑) 麺にも玉葱を練り込んであるらしく更に醤油のスープには玉ねぎオイルの 隠し味が入っているとか! まさに玉葱ラーメンの名に相応しい逸品です(笑)
玉葱の甘さが強いですが、醤油ベースのスープと合い、どこか優しい 感じの味でしたね。
食った後の口臭がネギ臭いのが難点ですが(苦笑)
食後は何処にも止まらずに行けるとこまでGO! 途中の四日市周辺の渋滞が怖かったですが、そこも何とか動いてくれて 助かりました。 最後に静岡県内のSAで給油をして、流石に結構疲れが出ていたので 一時間ほど仮眠をとっておきました。
仮眠後は一気に秦野中井ICまで! 途中の鮎沢PAだけ「満車」の警告が出ていたので何かと思って 通過したら 馬鹿がPAの入り口で事故っていて、完全にPAに入れなくなって いました(汗)
秦野中井で降りて、最後の給油を済ませて生産を済ませて、一応 安全策で秦野駅で老ちゃんを降ろして解散しました。
いや〜 今回の旅は本当に当日その場その場で変更の変更と 良く言えば臨機応変 悪く言えば行き当たりばったりでした(苦笑)
ま〜それでも楽しかったので無問題でしょう!
しかしな〜やっぱり1泊は最低でも3人は参加して欲しいな〜 皆、頑張ってくれ!!!
今回行けなかった淡路島は、頑張って日帰りで済まそうと思っていた 姫路周辺の諸々とくっ付けて1泊で行こうと思います。 それでは今回もお疲れ様でした!
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