もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2016年11月14日(月) 北陸記16

日帰りイベント!


前回のイベントは凄い事が起こって流れた?から(過去日記参照)
・・・今月初?イベント??になるのかな〜(汗)


行き先は北陸石川小松〜福井敦賀
メンツは俺とゲレゲレ!


ガス代をケチって俺のプリウスで行く事に!

0:30頃、我が家までマイカーで来たゲレゲレ。
俺の駐車場にゲレゲレ車を停めて乗り換えてからGO♪



スタートは俺の運転で!
ま〜車内では何時も通りに、お互い職場の愚痴で延々と
盛り上がります(苦笑)


殆ど休憩らしい休憩も取らずに一気に進んで行き、目的地直前の
安宅PAにて仮眠を取りました。


4時間以上確りと寝てから再起動!


高速から降りて、コンビニに立ち寄って朝飯を買って食ってから
まずは最初の目的地『那谷寺』へと参拝です!
那谷寺は717年泰澄神融禅師により開創。
白山の神を信仰し、洞窟の中に千手観音を奉る古刹!
洞窟は母親の胎内とみて古い時代より、「胎内くぐり」の聖地です。

胎内くぐりとは、再び胎内を通る事で新たに生まれ変わり、罪が浄めら
れると云うものです。
嘗ては岩屋寺と呼ばれていたものを平安時代花山法皇により那谷寺と
改名されました。
中世には一向一揆等の戦乱で伽藍が焼失・・・
江戸時代になり、三代藩主前田利常公が荒廃を嘆き、再興されました。
現在は7棟の国重要文化財と、名勝指定園があります。

いや〜

素晴らしい!!
狙って行った訳ではないのですが、紅葉が見頃を迎え
境内は赤や黄のグラデーションが満開でした♪

奇岩霊石がそそりたつ遊仙境と呼ばれる大岩の岩肌を
滑る足元に気を付けながら登り切ると、眼下には寺院と五重塔、そして
庭園が紅葉に彩られ、最高の景色が堪能できました!!!


さてさて
素晴らしい物を見た次は石川県を代表する名湯の1つ『山中温泉』へ!


湯質は硫酸塩泉

奥の細道の松尾芭蕉の句にも詠まれる、ほのかな匂いが特徴。
芭蕉は「扶桑三の名湯」の一つと褒めています。
開湯から1300年とされ、奈良時代行基による開湯伝説も存在する
らしいのですが、広く知られる開湯伝説は平安時代の開湯とされ、
鎌倉武士、長谷部信連は傷を負った白鷺が傷を癒しているところから
発見し、改めて掘ってみたところ温泉が湧き出たと言われる。

この開湯伝説は後に名古屋駅・米原駅発着の北陸本線エル特急や
北陸鉄道6010系電車の愛称の由来の1つともなっています。

室町時代には蓮如が湯治のため滞在した事もあるそうです。

山代、山中、片山津と言われ、山代温泉に次いで加賀国の代表的
2番目の温泉地です。
「山中温泉ゆけむり健康村ゆーゆー館」と言う道の駅内の施設にて
温泉を満喫しました♪

駐車場には昭和46年までに大聖寺〜山中間を走っていた「しらさぎ号」
の車輌が展示してあり、自由に車内など見て周れたので入浴前に
一応探索しておきました(笑)



で、少し風は冷たいものの穏やかな日差しの下でマッタリと
露天風呂を満喫♪

癒される〜〜



風呂上り、もうここで昼飯を食ってしまおう!と食堂へ
俺は親子丼、ゲレゲレはソースカツ丼を注文!

「大盛りで!」

店員「すみません。大盛りはやってないんです・・・」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・大盛り・・・・無いの?」


店員「えぇ、すみません」


「・・・・・・・・・・・・・・大盛り・・・・無いのか〜(涙)」




店員「オーダー!親子丼とソースカツ丼1,1で
・・・・・気持ち大盛りで!!」




おばちゃん有難うーーーーーー☆



温泉&昼飯を堪能した後は福井県へと戻り(入り)ます。


やって来たのは『丸岡藩砲台跡』
砲台は、丸岡藩が沿岸警備のために坂井市三国町梶の東方に突出した
海岸部に建設したものです。
外面は土砂で築き、内面と側面は石を積み上げて作られています。
銘文によると嘉永五年(1852年)の2月、高島秋帆の門人と
伝えられる栗原源左衛門の設計で築造されています。

現存する遺構は、海に面して弓形を呈し5つの砲眼を開く東西33m、
高さ1.8mの土塁と石垣で出来た砲台跡が見学出来ました。


やや雨がパラついてきましたが、元々今日の天気は福井県は曇りで
降水確率は60%
良く持った方だと思いますね(苦笑)

しかも福井の周辺県は全て1日中雨予報ですからね!(汗)


何とか天候は小康状態を保ちつつ、続いて福井市内にある
『御泉水屋敷』へと到着です。
御泉水屋敷は越前藩主松平家の別邸で、その庭園は元禄12年
(1699年)に回遊式林泉庭園として完成したものです。

しかし御殿・茶屋・亭などの建物は昭和20年7月9日の
空襲で全焼(涙)
その後も庭園も都市計画で一部市道になったりしましたが、昭和57年
に国の名勝に指定されたことから、文政6年の「御泉水指図」に従って
復元整備されました。

御殿建物は平成5年の復元だそうです。


此方も紅葉が見頃で、回遊式の日本庭園と日本家屋が赤や黄色、
緑に茶色の木々に彩られており、しかも観光客が数人しか居らずに
ガラガラだったので静かにマッタリとほぼ独占状態で見学する事が
出来て超ラッキーでした☆

そろそろ見学を終えると言うタイミングで雨が強く降って来て
慌てて駐車場に戻る羽目になりましたが・・・

出発したら雨は止み、再び曇り空に

いや〜今日の天気はかなりギリギリで保っているな〜(笑)


最後に飯を食って帰る・・・その前に!
福井〜鯖江を高速を使って急ぎ足で
鯖江市にある『萬慶寺』へと立ち寄ります!!

福井県鯖江市深江町にある曹洞宗の寺院で1720年(享保5年)
陽光により万松庵として創建されたとされています。
鯖江藩主間部氏の菩提寺で、貞享3年に福井藩半知の処分があり、
鯖江に幕府の代官所が置かれた時の鯖江陣屋の唯一の遺構である
陣屋の赤門が裏門に移築されています。 
 
辺りは流石に天気の悪さも加わって結構暗くなり始めていましたが
辛うじて普通に写真は撮れたのでギリギリセーフでした!(汗)


さて、鯖江から再び高速で『敦賀』へと移動して、ご当地ラーメンの
「敦賀ラーメン」を食しましょう!!
ベースはトンコツ。
中華料理店では、中華スープを使ったあっさりめの味。
ラーメン専門店では、鶏ガラとトンコツを合わせたスープに醤油味。

1953年、敦賀に初めてのラーメン屋台が開店しました。
その後屋台は増え、当時「中華そば」と呼ばれ多くの人に親しまれる
ようになります。
夜になるとチャルメラの音が響き渡り、23時を回ると屋台は敦賀駅前
に集い、駅に降り立つ客や旧国鉄職員たちが食したそうです。
1960年代後半からは中華料理店もでき、多くの人々がラーメンを
食するようになりました。
また、団体旅行ブームで観光バスが深夜敦賀駅へ立ち寄り、市外からの
乗降客が屋台に立ち寄ったそうです。
そしてトラック運送全盛期の時、国道沿いに屋台は移り、多い時には
15台もの屋台が立ち並ぶ「ラーメン街道」と敦賀は呼ばれていた
そうです。
そんな屋台ラーメンの特徴?が濃く残る敦賀ラーメン
「中華そば一力」なる店にて食しました!


店の入り口にあった看板
「本日、スタッフ少ない為、お待たせする事もあります。
それでも良ければお入り下さい。」
・・・この看板、うちの店にも置いておきたいぜ(ヲ)



そんなに待たされる事も無くラーメンは運ばれて来ました♪
スープの色は豚骨系。
でも醤油が入ってアッサリしつつも、アクセントに乗っている
紅ショウガとの相性も良く、何より叉焼が美味い!!

2人ともほぼ無言で大盛りをあっと言う間に完食(笑)


食後は近所の敦賀ICから高速に乗って一気に帰ります。
途中のSAで土産を軽く買ってサクサクっと帰ります・・・

途中、大きな渋滞も無く18時頃に敦賀を出て
22時半には我が家に帰って来れました♪


流石はプリウス!
燃費が良い♪
石川の小松まで行って帰って来てで1回給油で足りました(笑)
戻ってからの給油は1000円くらいで足りましたし!

最近は参加人数が少ないイベントが多いので、この燃費の良さは
非常に助かります!

さてさて、今期は行く機会が多かった北陸方面も流石にネタが
尽きて来たね〜(汗)
後は1泊系のイベントばかりだね

ま〜花の見所など見つけてはイベントを補強しているので
皆も何か面白いイベントや見所など見つけたら即教えてくれよ!



それではゲレゲレ
今回もお疲れ様でした!
プリウス初運転で運転に戸惑っていたけど、今日たくさん運転したし
これで次回からは完璧だね♪(笑)


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