今日から姫路へGO! 1泊です!!
・・・・・・メンツは俺と老ちゃんのみ
舐めとんのか!? 最近気合足りてないんじゃないか!?!?
ま〜行ける人間だけで楽しめれば良いので良いけどね(邪笑)
老ちゃんには伊勢原まで出て来て貰い、0:30に合流。 そのまま秦野中井ICから何時もの様に東名でGOGO!!
2日間の天気は最近ずっと変わらず今日は曇りで明日は1日雨予報 ですが、きっと何とかなるでしょう! ・・・傘すら持って来るの忘れたぜ☆(マテ)
どのみち明け方には何処かのSAで4時間は仮眠を取る予定なので 車内では老ちゃんにも起きていて貰い、大量のトラックの隙間を 縫いながらガンガン軽快に飛ばして西へ西へと移動します♪
取りあえず、俺が夕方から何も食っていなかったので岡崎SAに立ち寄り 夜食を食って少し休憩・・・
再び走り出して後は行ける所まで行きたかったので頑張ります!
計画では兵庫県までは入っておきたかったのですが、無理しても 危ないので手前の大阪の吹田SAにて明け方立ち止まり仮眠を取りました。
6時頃から10時過ぎまで4時間仮眠を取って再出発!
天候は晴れ!
今日は姫路から瀬戸内海の島へと渡る予定だったので 晴れてくれて良かったです!!
1時間チョイ走って姫路に到着したものの、次の船の時間が 13:10だったので、朝SAで調べて追加した『英賀神社』へと 立ち寄ります。 播磨の地を開拓創始した、英賀彦神・英賀姫神を祀る神社で、古代より 水の要所として知られた英賀は、室町時代に大きく発展を遂げました。
一時は 「播磨最大の都市」と言われ
=
戦に翻弄された都市でもあります(汗) 1576年の英賀合戦で播磨進出を狙う毛利と黒田官兵衛はこの地で戦い、 官兵衛の見事な戦術により、毛利軍を撃退しました。
続く1580年。 中国進出を本格的に開始した秀吉軍の英賀攻めにより、城のみならず 町全体が火の海となり、一夜にしてすべてが焼失したといわれています。 戦火により数多くのものが失われましたが、英賀神社には、失われた 巨城・英賀城の土塁が今も残されていました。
そんな感じでサクッと寄り道をした後は 『姫路港』へとやって来ました。 港に車を停めて・・・
後1時間30分ほどマッタリと船を待ちます(笑) 2階の港の歴史を解説するコーナーに行って見たり、海を行く船を 眺めたりしていたら結構アッと言う間に時間に! 姫路港からは小豆島や香川への船が出ていますが、その航路の1つで 「家島諸島」へと向かう船も数多くあります。 兵庫県の南西部、姫路市の沖合約18kmに浮かぶ家島諸島は、 古くから国生みの島「オノゴロ島」と伝えられてきました。 大小44の島々からなり、人が住んでいるのは家島本島、坊勢島、 男鹿島、西島の4つです。 今回はその中でも最大の「家島本島」と歴史的に貴重な物が多く残る 「坊勢島」に絞って観光してきました♪
出港してから30分程で 家島本島の2つある玄関口である1つ『真浦港』 にて船を降ります。
因みに家島本島の家島神社の天神祭で演じられる「真浦の獅子舞」は 島内唯一の県指定無形民俗文化財だそうです!
船を降りて、港に立ち並ぶ5〜6階建ての立派な病院や公民館とか 地区センター?に島のリッチさを見せ付けられて焦りました(汗) まずは港を抜けて住宅街に入る手前にて『どんがめっさん』を見学!
どんがめっさん・・・
家島本島・真浦区民総合センターの隣にある亀の形をした岩です(笑)
主人の帰りを待ち続けた亀が石になったと伝えられるこの岩は、水天宮と して地元の信仰を集めています。 真浦港下船後すぐに見つかったので見学して頭を撫でておきました♪
続いて・・・・『城山公園』へ 家島本島・真浦港の近くにある標高約70mの城山の事を指します。 城山という名前は、中世の頃、この山頂に城郭が築かれていた事に 由来します。 当時、飯盛山と呼ばれていたこの山に城を築いたのは、 苦瓜助五郎本道と伝えられ、現在も構居(砦)跡と老松数本が一応 遺構って事になるのかな? しかし、城山って書いてあるのに何城って名前だったのかの資料が 無いって何さ(汗) 名無しの城ですか?? 飯森山は戦国時代の瀬戸内水軍の東端の根拠地と考えられている そうですが(汗)
いや〜 短い距離で舗装された道とは言え、やっぱり我々のイベントには 1個は山城が来ましたね(爆)
ま〜その甲斐あって、ここから見下ろす家島湾の眺望は絶景でした!
山城を見てから、公園を突っ切って反対側の道を通って下山。 車道だったので歩きやすかったです♪
再び港エリアに戻って来て『真浦神社』を拝観。 真浦神社は竈神である奥津彦神・奥津姫神を祀る神社です。 藻塩焼きに由来するものと考えられています。
続いて長閑な島を風景を眺めながらマッタリと歩いて行き 『宮浦神社』を参拝。 この社はその昔、滋賀県高島町にある白髭神社から勧請されたものと 伝えられています。 「播磨鑑」の漢詩は「神のご威光はおごそかで、全ての悩みを 助けてくださる。周囲の緑がお霊屋を隠しているが、付近の港を 率いているようだ。世の中が順調なのは仏が姿を変えて助けてくださる からだろう。風景は麗しく輝き、年々咲く花も美しい」と意訳されます。 社から振り返ると鳥居の中に移る海の風景が見事で、家島十景?の1つ に入っているのも納得の素晴らしい絵の様な風景でしたね!!
思っていた以上に面白く、かつ島が広くて時間的な都合で 行こうか悩んでいた部分は大幅カットで次の島へと渡る準備をします(汗)
島の反対側にある坊勢島との渡し船が出ている『綱手港』を目指して 歩き出したのですが・・・
道に案内板が無い(涙)
この道であっているのか恐々携帯の地図を片手に進みました(苦笑)
港も、造船所の脇に小さく海に突き出た桟橋が1つ その手前に待合所?って小屋が1つで、ここにも案内板も時刻表も 無くて困惑しましたが、船の時間が近づいて来ると人が集まって来たので やっと安心出来ました(苦笑)
待ち時間にPSVITAをやろうと思ったら・・・ まさかのバッテリー切れ!!!
1人、桟橋でリアルにOrz状態でした(涙)
さて次に行く坊勢島は行政上の地名としては「家島町坊勢」 姫路市役所坊勢サービスセンターと坊勢中学校、家島坊勢郵便局がある 瀬戸内海で唯一、人口が増えている島だそうです。
坊勢島の名は、新・姫路の町名では883年(元慶7年)学論に破れて この島へ流された比叡山の高僧・覚円が「坊勢寺」を建立した事に ちなむと云います。 あるいは「ぼう」が浸食地形を、「ぜ」が瀬や岩礁をさすことによる ものであると言う説もあるそうです。
漁船みたいな船に乗り込んで出港を待っていると 地元高校生たちが自ら係留のロープを結んだり出港時に外したり 船の奥から自分たちが座る椅子(ビールケース)を取り出して来たりと 地元の日常を垣間見る機会と遭遇出来てホッコリしました(笑)
10分ほど荒波を掻き分けて瀬戸内海を進み、綱手港から目視出来ていた ほど近い坊勢島の『奈座港』へと到着です。
まずは港から近いと言うか、船から見えていた 『弁天島』へと移動します。
島と言っても陸地から少しだけ離れた小さな島で、短い橋で繋がって いるのですぐに行けます。 坊勢島奈座港の入り口に、海からぽっかり突き出した岩山。
弁天島とも「神権さん」とも呼ばれています。 岩の上には漁師の守護神である弁財天が奉られています。 この島は、伝説の島と伝えられており、昔、掟破りの漁ばかりする 漁師とその娘が漁に出たところ、珍しく大漁となり喜んで漁を終え 港を目指しましたが、途中で激しい嵐に見舞われ、船が転覆寸前に なりました。 娘は父に「嵐は無法な漁の祟りだから、魚を海に返すように」と 説得しましたが、父は聞き入れません。 娘は自分を身代わりにと、自ら海に身を投じたところ嵐はおさまり、 水煙がみるみる固まって岩になりました。 この娘の心が まるで弁天様のようだということから、この岩が弁天島と 呼ばれるようになったと云う事です。
続いて、港から暫し入り江沿いに歩いて行き、この島一番のメイン 『恵美酒神社』へとやって来ました! 坊勢島奈座港西端の山頂にあり、瀬戸内の眺望が楽しめます♪ 建立は元慶7年(883年)以前と伝えられていますが、詳しい年次は 不明です。 蛭子大神を祭神とし、例祭として坊勢の秋祭りが毎年行われます。 この神社は、飾磨津が発祥した頃は、事代主命を祀り守護神として いましたが、左遷された菅原道真公がこの港に立ち寄った際、人々は 道真公を慕い、後に菅原道真公を祀る天満神社になったといわれています。
社殿の創建に関しては、弘安4年(1281年)に蒙古襲来の際、諸国に 御勅使が使わされ、戦勝を祈願されたそうです。 風雨により敵船が壊滅すると、戦勝を報告するため再び勅使が使わされ、 西国、中国の海岸44ヶ所、そのうち山陽道8ヶ国に18ヶ所に神社を 建て、この神社もその中に入っていたことから、恵美酒宮天満神社の 創建は弘安4年ともいわれています。
天正8年(1580年)に、羽柴秀吉と三木、別所との戦いにより 社殿は焼失(涙) 正徳4年(1714年)5月に焼失した神輿の再建について協議が 行われ、同年9月大坂で製作された神輿が海路より東堀の浜に到着し、 氏子各町を巡行したのが現在の本神事の始まりといわれています。
恵美酒宮天満神社の秋祭りは、屋台の「台場練り」と「練り合わせ」が 見どころです! 練り合わせは他の秋祭りでは見られないほど長時間にわたって行われ、 一度練り合わせた屋台は数分間にわたって練り続けることもあります。
「台場練り」とは・・・ 神輿の屋台を差し上げたときに、台場(泥台)に24人の練り子が入り、 拍子木と掛け声に合わせて、本棒、脇棒、閂の練り子が一斉に手を離し、 台場の練り子だけで屋台を練るという力技です。 遠くから見ると、屋台が宙に浮いているように見え、練り子の心と技、 体が一体となり、受け手との信頼関係がなければ決して出来ないと いわれています。
最後に坊勢島の由来になったと云われているお寺の跡があるそうなので それを見て撤収しましょうかね?
いや〜 見付からない(汗) 迷路みたいな町並みを狭い階段や坂を上ったり下りたりして それらしい場所を探したものの見付からず(涙) 郵便局に入って局員に聞くも「・・・はぁ?そんなのありましたっけ?」 と言われるレベル(滝汗)
局員の微かな記憶と詳細地図を照らし合わせて貰い、やっと 『坊勢寺跡』に辿り着くことが出来ました! 坊勢島の奈座地区にある坊勢寺跡で往時を偲ぶ石碑です。 その昔、島に比叡山西塔実相院の高僧であった覚円が配流されました。 その後、覚円を慕って比叡山の若い僧が大勢島に渡ってきたと言われて います。ちなみに坊勢という島名は覚円にちなむとも言われています。
狭い崖沿いの家と家の間の道の途中 崖からの転落防止のフェンスの向こう。 フェンスと崖の隙間に石碑が建っていました・・・
寺があった場所が正確に分からないのは良いとして、ならばどうして ここに敢えて碑を建てた?(怒)
予想外に迷子になっていたので、帰りの船の時間が結構ギリギリに なってしまい、慌ててダッシュで港まで戻る羽目になりました(汗)
しかしこの島は凄かったな〜
今までの経験上、色々な島に行ったけど島の中って結構交通ルールが 適当で、特に原付はノールール状態が多かった(過去日記参照)
でも、ノーヘル無灯火、携帯通話、2ケツ そして3ケツ当たり前状態で 更に警察官の前でもみんなその状態・・・ 警官黙認です(爆)
いや〜凄かったよ(笑)
奈座港より姫路港行きの船に飛び乗ります! 帰りの船からは夕暮れ時の瀬戸内海が見れてとても綺麗でした♪
姫路港に戻って来た時には流石に辺りは真っ暗でした。
今日の宿は『姫路』市内に取ってあったので30分ほど車を走らせて 本日の宿「姫路グリーンホテル坂元」へとチェックインです。
部屋に荷物を置いて、ロビーで老ちゃんと合流した後は ホテルは姫路城の超近所だったので、ライトアップされている 姫路城を見て歩きました♪
散歩後は老ちゃんが調べて来た「亭主」と言う店で姫路名物 「姫路おでん」を食します!!!
生姜醤油で食べるのが定義のこのおでん 2回目の実食になりますが(過去日記参照)、おでんに生姜?と 思う人もいると思いますが、全然違和感が無く確り醤油の味が染みた 具に生姜の爽やかさと温かさがプラスされて、とても美味です!!
体調不良でくたばっているミッキーに早く良くなるように♪と 只管おでんや串焼きなどの写真を送り続けます♪(マテ)
食後はコンビニで少し飲み物とかを買って21時頃に お互い部屋に撤収です!
さーて! 久しぶりの旅ガンプラだ!!(マテ) HGのフォースインパルスガンダム
コンビニで買い込んだ飲み物やお菓子でダラダラしながら 作り続け0時前に完成! 急いでシャワーを浴びて寝なくては!!(汗)
明日は天気が崩れるとの事ですが・・・・きっと何とかなるでしょう☆ 明日の見学ポイントは少ないので余裕をもって周って早めに帰路に 着きたいと思います。
明日も頑張ろう!
続く
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