もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2016年04月20日(水) 北陸記14

1年半振りに北陸へ!

今回は前回海が荒れていたせいで好天にも拘らず
船が出ずに行けなかった「蘇洞門巡り」のリベンジがメインの
企画です!!

メンバーは俺、キタイ。
そして超久しぶりのイベント参加になるジュンさん。
&ジャガーさん(笑)

超変則メンバーで行きたいと思います♪

因みにジャガーさんとはキタイとジュンさんは初顔合わせです(笑)



まずキタイに伊勢原まで来て貰い、仕事後の俺が回収。
仕事後に埼玉から車でやって来たジュンさんと合流し、俺の駐車場に
ジュンさんの車を停めて家を出たのが2時過ぎ(汗)

・・・行先は近くて良かったぜ(苦笑)
しかしジュンさん、仕事後そのまま来たとは言えスーツだよ!


・・・・・・山城登山の予定を今から突っ込もうかな?(邪笑)



で、家の近所のジャガーさんを自宅まで迎えに行き全員集合!
「ジャガーさん・・・お客さん」「ジュンさん・・・大学の同期」
「キタイ・・・大学の後輩」「以上!」と説明を終えて出発です(マテ)


行きの高速で
「京都は遠いよ〜」と少し見ない間に腑抜けた事を言うようになった
ジュンさんに「京都は近い!」と説教しながら西へと進みます(笑)

新東名が伸びていて豊田の先まで行けてビックリでした!

途中の養老SAでジャガーさんに運転を交代して貰いました。
出発が遅かったとは言え、順調に何時も通りに休憩無しで進んだ結果
目的地福井県の『小浜港』へは7時頃には到着しました。

一応昨日の夕方に電話して、その段階での今日の船出の確立を
聞いていたのですが、実際に乗るまでは安心出来ません(汗)


船の始発が9時からだったので、暫し車内で仮眠を取り時間を潰します。



8:45
乗船券の販売開始!


やっと一安心です(笑)

乗船までの間、土産物屋を見て周り時間を潰してからイザ乗船!
クルージング開始です♪

外洋は流石に波が高く揺れます・・・
俺は下のデッキで写真撮影!

他の人間は誰も立ち入らなかった1階デッキよりも間違い無く良く揺れる
2階デッキに最初から最後まで居たジュンさんとジャガーさんは・・・
(笑)


そもそも『蘇洞門』とは福井県小浜市の内外海半島にある、日本海に
面した海岸景勝地で、全長は6kmに及び、一帯には洞門、瀑布、断崖が
見られる花崗岩の柱状節理が主に波に侵食されて形成された景勝地です。
昭和9年に国の名勝に指定されました。

中でもメインの大門小門と呼ばれる海蝕洞はまさに船でしか行けない
洞窟の様で近くから見るだけでもメッチャテンション上がります!!

運が良ければ裏の船着き場から上陸して大門の裏から覗けるそうなの
ですが、流石に波が高くて上陸は出来ませんでした(涙)

ま〜過去、乗船すら出来ず、そして今日も昼から風が強くなるなんて
天気予報で言われていて、朝の状態でこの波の高さなので運航していた
だけでもラッキーと思いましょう(苦笑)



さて、船の揺れと寝不足で若干フラフラしますが(ヲ)無事に
船は港に帰還。
本当は港の食堂で昼飯を食う予定だったのですが、食堂が開店するまで
後1時間以上もあったので、流石に時間が勿体無かったので移動する事に
しました。

途中の道の駅でご当地の鯖を使った料理を各々食いました。
俺は鯖のすり身を使った練り物が乗ったうどんと、福井名物の
ソースカツ丼を!
ジュンさんとじゃがーさんもうどんとかソースカツ丼を食い、
キタイは鯖のフライを食っていましたね♪


食後、次の目的地へと出発!
お次は『松ヶ瀬台場跡』へ
若狭湾の一部である小浜湾を形成する大島半島東端に位置する小浜藩の
台場跡で江戸時代に異国船への備えとして作られました。
現在はキャンプ場内に遺構が残っており、松ヶ瀬台場跡は、大島半島東端
に位置し、和一文字形を成す1号台場と半円形の西洋式を成す2号台場
から構成されています。
特に、今回見に行った2号台場跡は5基の砲座と火薬庫と考えられる
焼紅弾室跡が確認されていて、その復元。大砲も2門置かれており
中々に迫力のある台場跡でしたね!!

ここで再度ジャガーさんから運転を引き継ぎ俺の運転で更に西へと
若狭を移動していきます!

途中、大島半島で何故こんな山しかない半島でこんなにも大型トラックと
すれ違い、更に警戒厳重なゲートがあったりと、いったい何なんだ?と
思っていましたが・・・・周辺地図を見て大納得!
原発がありました(爆)

しかし、あの台場の砲台。
原発を狙える位置取りじゃないよな??(汗)



ま〜何かが起こる前に撤収!(マテ)
福井と京都の境目付近で『はまなす温泉』へと立ち寄り温泉タイム♪
「わたつみの湯」と言う日帰り入浴施設にGO!
地域唯一の天然温泉らしく、海の目の前だけあり湯室は勿論
ナトリウム塩化物泉♪

目の前の海と波の音
そして貸切り!!

・・・・は〜幸せだ〜〜(笑)


しかし、温泉に着く前から周辺の海岸は綺麗だと車内で皆で絶賛していた
のですが、この『若狭和田海水浴場』
調べてみたらアジア初の環境保全などの基準を満たした海岸に与えられる
国際環境認証「ブルーフラッグ」を習得した海岸だったんですね!
・・・ま〜若干ゴミとかはありましたが、風呂上りにまさに白い砂浜
青い海ってやつを、これも貸切状態のロケーションで大いに満喫して
きました♪


さて、一路福井県を抜けて京都府へ
『舞鶴港』へとやって来ました。
昔から港町として栄え、明治時代からは特に軍港としても栄えて来た
舞鶴。勿論今も海上自衛隊の基地があります!

そんな街、舞鶴にはその当時に海軍の倉庫として作られたレンガ造りの
倉庫が幾つも残っています。
『舞鶴赤レンガ倉庫街』
過去にもイベントで(過去日記参照)、個人旅行でと何度か訪れた
場所ですが、今回は舞鶴発来訪のジャガーさんの強い要望で
立ち寄りました!

ま〜本当に雰囲気のあるレンガ造りの大きな倉庫が幾つも建ち並び、
すぐ目の前の海には海上自衛隊の艦船が浮かんでおり、静かであり
ながらも見所が満載で良い場所だし俺も好きだったので二つ返事で
OKでした(笑)


倉庫街や倉庫内の資料館の展示、倉庫街の奥から見える海上自衛隊の
艦船などなど大いに満喫しました♪



さて、お次は今回の旅最後のポイントである『宮津城址』へと
ジュンさんに運転を代って貰い向かいます。

天正6年、織田信長の命により細川藤孝と明智光秀は丹後に侵攻。
建部山城主一色義通を滅ぼして丹後を平定します。
その戦功により細川藤孝は丹後一国12万石の領主となりました。
宮津城は天正7年、藤孝が丹後支配の本城として築いた城です。

城の遺構はすっかり宅地開発の波に飲まれて消えてしまっています(涙)
辛うじて城門が移築されていると言うので見て来ました。
現在は宮津小学校に移築され、普通に門として使われています。



さて!
時刻は15:30とまだ早く空も十分に明るいですが、そろそろ
帰路に着きましょうかね?
今から天橋立って行っても時間的に中途半端だし、今回は真っ直ぐ
帰りましょう・・・

帰り、京都縦貫道と綾部宮津道路、丹波綾部道路とが何時の間にやら
繋がっており予想以上にスムーズに名神まで戻れました♪

途中の四日市辺りでやや渋滞が合ったものの、概ね順調に進み
途中のSAで19時頃に晩飯を食って、再び俺に運転を交代し
帰りも新しく作られた新東名の豊田〜浜松区間を通って見ました♪
追加されたのはSAが1つとPAが1つです。
今回は立ち寄らなったので、今度通る時は立ち寄って見るのも
ありかもね(笑)

途中、ジャガーさんと交代しながらマッタリと静岡を順調に抜けて、
22時には伊勢原に到着です。
駅前でキタイと別れ、ジャガーさん宅でジャガーさん別れ
家の前で車を入れ替えてからジュンさんを見送って終了〜


いや〜今回もお疲れ様でした!

・・・不思議なメンツだったので面白かったです(笑)
ジュンさんにも久しぶりに会えて良かった!
・・・しかし、今回の旅の間中ずっとスーツだったから、ふとした
瞬間に視界に入ると仕事中のサラリーマンが居る!って感じで違和感が
凄かった(汗)
・・・今回の旅に山城が無くて良かったね(邪笑)


ま〜仕事終わりに遠くから大変だと思うけど、今後もガンガン遊ぼうぜ!
ってな訳で乙!!


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