本日も快晴也!
飯無しプランだったので昨夜買っておいたコンビニ飯をサクッと食って 出発!!
・・・本日、最初から予定外のコースです(汗)
ホテル目の前の『徳山港』より船に乗り瀬戸内海の島 大津島へと渡ります。
・・・と、言っても船で20分くらいの短い船旅です♪ 島の南『馬島港』で下船。 大津島で馬島・・・ 大津島は、Y字を少し崩したような形の南北10km足らずの島です。 かつては大津島と馬島で二つの島だったのですが、400年くらい前に 二つの島が繋がったといわれており、南端の馬島は現在では島と 言いながらも、大津島の中の1つの集落の呼び名になっています(笑)
えー・・・この島 実は太平洋戦争末期に、日本海軍の特攻兵器の一つである人間魚雷 「回天」の訓練基地が設置されたことで有名です。
昨日、近隣の地図を見ていてこの島を見つけ、どうしても行って 見たかったので、色々考えた結果「どうせ萩の方にもう1回行きたいね って言ってたし、今回予定していた幾つかはその時で良くね?」と 昨夜サクッと行く事に決定しました(笑)
回天 魚雷の中に人間が入って限界ギリギリまで目視と手動で操縦して 命中率を上げ、確実に敵艦を沈める事を考えた狂った兵器の1つです。
島の中を歩き、長閑な瀬戸内海の景色や春の花を楽しみながら 歩いていたので油断しました。 山の斜面に掘られたコンクリート製の長い長いトンネルを抜けて 海に面した『回天訓練基地跡』へと到着。
かなり劣化しているので勿論立ち入りは危ないので出来ませんが、 海の上に迫り出すように建てられた建物の目の前まで行って見る事が 出来ました。
2階の指令室?やそこに続く階段 そして海に降りる為の細長いスリット ここから回天を降ろして来るべき時に備えて訓練を続けていたのでしょう 説明板を読むと、やはり訓練中にこの基地や先ほど通ったトンネル内で 何人も亡くなっているそうです。
一気に腹の底がズンと重くなった気がします・・・
今度は神妙な思いでトンネルを通って山の方へと登って行きます。
満開の桜を眺めながら登る事10分ちょい 『回天記念館』へと到着です。
回天の実物の部品や原寸大の模型。 訓練資料や当時の町や島の資料。
何よりキツイ乗組員たちの写真や手紙・・・
特攻隊員同様に何で笑って出撃するかね?(過去日記参照) 20代前後の若者が笑顔で死にに行く様は、写真とは言え見ていて マジで結構辛い(涙)
心の中で黙とうを捧げて資料館を後にしました。
馬島港まで戻り、帰りの船を待つ間に通り掛かったトラックから 聞こえたアンパンマンマーチがやけに歌詞が危なく聞こえました(汗)
島から戻り、もう今日は予定度外視で好きなように行こう!と 開き直ります(マテ) 行って見たかったのですが、他と離れていて諦めていた『柳井』へも 足を延ばして見る事に♪
江戸時代、岩国吉川家の領地として、明治維新後も商業都市として発展 した商業の街。 現在柳井駅北側には白壁が多く見られ、「岩国吉川領の御納戸」と 称された昔の繁栄が今も見る事が出来ます。 この白壁は「柳井白壁の町並み」として重要伝統的建造物群保存地区と して登録されています!
名物の金魚ちょうちんが吊るされた綺麗な白壁の古い町並みを マッタリと歩きました♪
この寄り道が一番東だったので、後は来た道バックでは無いですが 西へと戻りつつ『室積台場跡』を見学! 長州藩は江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を幾つも 築きました。 当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になって台場を 築きました。 このことから、通称「女台場」といわれています。
海辺のキャンプ場の先を進んで行き、瀬戸内海に突き出た半島の 先端に今も台場の石垣が現存しています。
お次は徳山市まで戻り・・・・・・・・・お待たせしました! この旅で唯一の山城でございます!!!(ヲ) 『若山城址』 大内氏の重臣陶氏の居城として文明2年(1470年)陶弘護が 築城したと考えられています。 この城は、連郭式城郭と呼ばれる中世山城の典型的な造りをしていて 山頂の本丸を中心に、東西にのびる屋根上を利用して東に二の丸、 三の丸、西に西の丸、蔵屋敷が配置され、その周囲には壇床と呼ばれる 階段状地形や空堀、堅堀など防御施設が作られました。
・・・国道から急に入る鋭角曲がり角なので、初見では絶対に 通り過ぎてしまって行けないと思います(汗)
俺らは昨日、この道を通って見ていたので何とか無事に鋭角を 曲がる事に成功しました(笑) 急な坂道を登って行き、本丸の近くまで車で行けてしまいます(ヲ)
遺構は曲輪、石垣、土塁、空堀、畝状竪堀、堀切と良く残っていて 本丸からの眺めも良くて良かったです!
徳山市を出て西へとまだ進み(戻り?)ます 次の大きな目的地に着く前に『湯野温泉』へと立ち寄り 一ッ風呂浴びて行きます♪ 当初調べていた施設が休業で焦りましたが、近所にあった 「湯野荘」と言う国民宿舎で日帰り入浴をしていきます。 「徳山の奥屋敷」と呼ばれている天正年間に発見と伝わる湯野温泉。
湯質はぬめりのあるアルカリ性硫黄温泉。 世界有数のラジウム濃度の泉質だそうです!
湯はあまり熱くなかったので、大浴場でマッタリマッタリと 旅の疲れを癒します〜・・・・
さて! 体力気力も復活したところで ・・・・ま〜元々あまり減っていませんでしたが(笑)
防府市へと入ります。 今日の残りの予定は全部防府市内です!
まずは『防府天満宮』へ 防府天満宮は学問の神様としてあがめられている菅原道真を祀った 「日本最初の天満宮」で、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と ともに日本の三天神といわれています! 都落ちの道真公は九州への西下の途中、防府に立ち寄りすっかり この地が気に入り、自分が死んだら魂となって帰ってくると約束した そうです。 九州で道真公が亡くなった翌年の904年に、国司がこの地に松崎の社を 建立し道真公を祀ったと伝えられ、この事から日本で最初の天満宮として 創建されたといわれているそうです。
菅原道真にちなんだ梅の花が境内には多く植えられており、今は時期では 無いので咲いておらず残念でしたが、その分、桜が満開でしたので 無問題です(笑)
お次は『毛利本邸址』と併設された『毛利氏庭園』へ 邸宅は、江戸期の御殿さながらに、明治・大正期の建築技術の粋を つくした壮大な建物で、毛利家代々の宝物を所蔵する博物館として 公開されています。
着工20年をかけた大邸宅で、総費用は当時の金で38万円! ・・・・・現在の貨幣価値では150億円ぐらいです(汗) 広くて立派な邸宅だけでも凄いのに、そもそもその邸宅に至るまでに 城門?ってくらいに気合の入った正門を潜り、そこから庭を延々と進み 橋まで渡ってやっと邸宅まで到着出来ます(苦笑)
邸宅も家の中で迷子になれるレベルの広さです(笑)
で、邸宅の正面に広がるのが毛利氏庭園と呼ばれるエリア ・・・邸宅とは別料金(涙)
・・・・・・・・・・・・え?門から邸宅までの庭?
それとは別物です♪
左右の丘を利用して、ひょうたん型の池(8000平方メートル)をつくり、 北の小丘には山林的風致を加え、林丘の周囲を環状に水を流し、 北からは飛瀑として、東からはせせらぎとして池に注がれます。 池の周りの広庭には、石組・植栽・芝生・回遊路・石橋・四阿屋などを 配して、重量感のある幽玄な遊歩地を構成しています。
・・・・・・って、説明板に書いてあった(笑)
邸の内外には他にも平庭が配置されていますが、客殿・書院前の平庭は、 平庭中最も豪華だそうです。 庭内の樹木は松を主に250種もあると云われ、築庭時にはたくさんの 老松があったとの事。
ま〜あまりに凄過ぎて圧倒されつつも気が付いたら1時間半くらい 経っていて驚きました! 行き先の残りもまだ幾つかあったので、慌てて撤収!!
・・・・庭園から門外の駐車場までの距離が長い!(汗)
車に飛び乗って本当に本当のラストスパート!! 駆け足で『三田尻御茶屋』へも立ち寄って見ました。 江戸時代に毛利綱広によって建てられた長州藩の公館。現在では英雲荘 と呼ばれており、萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内英雲荘として国の 史跡に指定されています。 因みに御茶屋とは、参勤交替や領内巡視の時の旅館として、また他藩の 特使等をもてなす時などに使用していた藩の公館の事です。
生憎と開館時間は過ぎていて、中へは入れませんでしたが立派な門構え と白壁の塀。 そして塀によじ登って覗き見した館など気合で見て来ました!(マテ)
さて、通報される前に撤収!! この旅最後に立ち寄るのは『玉祖神社』 周防国一ノ宮! 御祭神は三種の神器の一つである八坂瓊曲玉を造られた玉祖命。 神社の創建はあまりにも古く定かでは無いそうですが、景行天皇十二年 西征にあたって戦勝祈願のため宝剣を奉納されたものが今も御神宝として 伝わっているそうですので、その時点でかなりの歴史の古さが確定して おりますな・・・
市内にある同名の神社3社と大阪府八尾市にある玉祖神社を合わせた 玉祖神社の総本山でもあります(笑)
これで本州にある一之宮は制覇だぜ!!!
ってな訳で、最後の最後でかなりマッタリと玉祖神社を拝観して しまったので、飛行機系イベントで俺らにしては結構ギリギリまで 遊んでしまったので、かなり急ぎ足で空港まで戻ります!
とは言っても、途中の指定スタンドで給油を済ませてレンタカー屋に 着いたのが契約終了の30分前でしたがね(笑)
レンタカー屋が空港内なので後は荷物を片付けたり最後に空港の売店で 土産を買い足したり、ゲームしたりしながら搭乗手続きを済ませて マッタリと時間を使い「山口宇部空港」を20:00発で飛び立ち、 上空でやや揺れましたがほぼ定刻通りに「羽田空港」 に21:40着で した。
羽田空港で老ちゃんと別れて、俺とキタイは無駄に地下道を通って 空港の反対側へと移動して駐車場に移動です(苦笑)
車の料金は予定通りだったので地味に一安心でした(笑) 後は真っ直ぐ帰路に着きます。
三ツ境の駅前でキタイを降ろしてから我が家に着いたのが30日1時頃 だったのまずまずのタイムです♪
いや〜 山口終わった!
学生時代、北海道の僻地並みに観光をどうしようかと悩んでいた エリアでしたが、広島と絡めて岩国を(過去日記参照) 津和野とセットで萩と長門を(過去日記参照) 北九州と一緒に下関エリアを(過去日記参照) 削りに削って最後は残った山口県の真ん中エリアを制覇しました!
・・・ま〜萩エリアはもう一度行くのが確定しているので 再び山口に来る事はありますが、今回の旅は学生時代からの 目標の一つでもあったので、何気に感慨深いモノがありますね〜
流石に今期のイベントはこれで終了ですが、来期は来期で 春先からガンガン遊ぶ気なので気合い入れて行きましょう!!
それでは今回もお疲れ様でした♪
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