| 2013年04月24日(水) |
本州最東端へ!(後) |
朝起きて天気は曇天
降っていなければセーフです!
10時に出発し、まずは盛岡市内へ
前回来た時に工事中で見れなかった(過去日記参照) 『旧盛岡銀行本店』へ
赤レンガの東京駅を設計した辰野金吾氏と盛岡出身の工学士・葛西萬司 の作品で、建築当時の姿を完全な形で残し、かつ現在も創建当初の目的で 使われている建物として全国最初の重要文化財に指定されています。
交差点を向いた正面にドームを頂き,市中心街のランドマーク的 建築として建てられたそうです。 構造は煉瓦造りの2階建(一部3階)。 屋根は銅板葺でドーム部分のみスレート葺。 ルネッサンス様式で、辰野式と呼ばれる赤れんがにアクセント効果を 与える白色花こう岩の帯とドーム屋根の組み合わせが綺麗です。
南東隅にドームを冠した八角塔と、南側に矩形塔を配して出入口として います。 また、東面北端に切妻屋根が張り出す凸凹に富んだ外観となっています。
盛岡の街中にイキナリ欧風な雰囲気を醸し出してくれる 素敵な建築物でした!
お次は、今回の旅で唯一盛岡よりも北に位置する『焼き走り溶岩流』
正直これを見終えるまで雨に降られて欲しくないです(汗)
岩手県八幡平市にある、1719年の岩手山噴火により岩手山中腹から 流出した溶岩流により形成された岩原で、国の特別天然記念物に 指定されています。
冬はスキー場になるような場所を登って行き、駐車場に車を停めて 山道を数分歩いて行きます。
すぐに左手側に黒い壁が出現します。 この上に出るには延々と歩き続けるしかないので、皆で頑張って黒い壁を よじ登ってショートカットです(笑)
黒い壁が溶岩が冷えて固まった物で、所々グラつく元溶岩で出来た 足場に登り辺りを見渡すと・・・・・・・・・・・・・・
黒い荒野
目の前に岩手山がそびえ立ち、それ以外は黒い荒野
山肌を流れるままに冷え固まって出来た扇状の黒い岩石帯は、 長さ約3km! 最大幅約1kmに及ぶそうです。
まさに圧巻!!!
登った以上、降りないと帰れないので グラつく足場に腰が引けながらも何とか無事に黒い壁をずり降りて 生還!(笑)
さて、後は真っ直ぐ帰路に沿って東北道を南下して行くだけです。
まずは『志波城址』 岩手県盛岡市の西の郊外、現在の中太田・下太田にまたがる地域に あった、中世よりも遥かに前の古代城柵です。 約1200年前の平安時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂によって 造営された古代城柵で、陸奥国最北・最大級の規模を誇ります。 現在は発掘調査成果を元に、その遺構を正確に復元してあり 外郭南門、築地塀、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物など が建ち並び、タイムスリップしたかの様な雰囲気が味わえます♪
やや南下して同じく古代城柵『徳丹城址』へ 志波城と同じ時代の城柵で、志波城が水害で被害を受けたのを 理由に作り直したのが徳丹城です。 志波城に比べて規模はかなり縮小されたようですが、材木列で周囲を 囲み7〜80mの間隔で櫓を建て、内部には官衙建物群があり、 志波城の政治機能を引き継いだものと考えられているそうです。
また2006年に徳丹城跡内の井戸跡で、国内初となる木製の兜が 発見された事で有名(?)です!
遺構はあまり残っていませんが、敷地内に南部曲がり家を併設し、 史跡公園として現在整備が進められているそうです。
だんだんと雲が厚くなっていきますが、まだまだ降っていないので ガンガン進みます! お次は『花巻城址』 実は過去に訪れた際、役場に残る現存の時鐘堂のみを見て帰ってしまった ので(過去日記参照)今回は城跡と復元された遺構をメインに見学です!
昔からこの地を治めていた稗貫氏が、天正19年の秀吉の奥州仕置で 没落(小田原攻めの時に参陣しなかったのが理由)すると、同年に 南部氏の家臣である北秀愛が現在の花巻城を築城。
その後、関ヶ原の合戦が始まると、南部氏が慶長出羽合戦 (長谷堂の戦い(過去日記参照))へ出陣している隙を狙い、稗貫氏の 生き残りが主体となり一揆を起こします(岩崎一揆)
・・・ま〜実は伊達政宗が裏で手を引いていた説が有力ですが(苦笑)
主力不在ながらも、城主の父が城代となり奮戦して主力が戻るまで 耐え抜き撃退に成功! =後の支配が磐石なものになった。 まさにその後の盛岡藩の礎ともなった大きな出来事の発端となった 場所です。
西御門が立派に復元されていて見に来て良かったです♪
見学中に残念ながら小雨が降ってきました(涙)
ま〜後は温泉に入って飯食って帰るだけですから、よく今まで曇天で 済んだなって感じです!
花巻の市街からやや山へと入って行き、辿り着きました『鉛温泉』 開湯は600年前。 桂の木のたもとから湧出している温泉に白猿が使っていたとことを 発見したと云われています。
名前のインパクトで一回入浴に来たかった温泉です(笑)
1841年開業した老舗旅館の「藤三旅館」にお邪魔して 日帰り入浴です♪
降りしきる小雨が、また山間の鄙びた旅館と硫黄の匂いにマッチして 旅情感が満載です!
露天風呂にて、目の前を流れる渓流を眺めながらの入浴・・・
旅の疲れが癒されますな〜〜
で、更にこの旅館の名物である「白猿の湯」も入って来ましたよ! 白猿の湯は階段を下りていく地下構造と高い天井が特色で、更衣場所も 浴室内にあります。 ・・・・・・・・・・・・・・混浴です(爆)
朝、午後、夜のそれぞれ1時間ないし、一時間半ずつの女性専用時間を 設けているので、俺らが入るまでに10分程待ちましたが ま〜その程度の待ち時間で済んで御の字です!
先に女性専用時間に老ちゃんには入っておいてもらったので 後は俺らが入ればミッションコンプリート!
さぁ行くぜ!
立って入る温泉で、その深さは日本トップレベルの深さ! 俺とミッキー。比較的身長の高い俺らが結構アップアップな深さで 中々に独特な入浴を楽しめました♪
風呂上がりに勿論牛乳で乾杯☆
風呂でサッパリして、更に南下を続けます。 そろそろこの旅も最後です。
『岩崎城址』 岩崎城は室町時代の前後約400年間に渡ってこの地方を治めていた 和賀氏一族の城で、本城に次ぐ規模を誇っていた城です。
1590年の秀吉の奥州仕置によって所領没収、城地追放の処分に 反発した葛西大崎一揆に協調した、和賀氏の反乱の舞台の一つとなった 城で、更に1600年に伊達政宗の暗躍で勃発した和賀氏の旧領の回復を 図った和賀忠親の一揆で修復され、その拠点として使われ南部氏との 1年にも渡る激戦の舞台となった城。
まさに東北で最後まで戦国の名残が残っていた城でもある訳です!
遺構は本丸、二の丸、三の丸の曲輪とそれらを囲むように土塁、 枡形虎口、空堀、 後、やっちまったな地方自治体的な天守閣風の公民館が本丸に 建っているとの情報だったのですが、見当たらず!! 本丸なんてほぼ原っぱで、ネットで見た写真の写っている あんな大きな建物があれば見付からない筈は無いのに(汗)
・・・・取り壊されたか?
結構探したのですが、結局見つからずに撤収です(涙)
最後は『北上』市にて ご当地グルメの北上コロッケを食べて帰ります! ご当地食材の里芋・県産黒毛和牛・しらゆりポーク・アスパラガスの 4種類が入っていれば認定されるコロッケで、今回我々が選んだ店は 「大安楼」さん
・・・明治29年創業の老舗料亭でした(滝汗)
その料亭の方ではなく、ここはレストランもやっていて、勿論そちらに お邪魔しました(苦笑)
俺はコロッケとコロッケサンド! 老ちゃんはコロッケ丼! ミッキーはコロッケとコロッケ丼!
コロッケは普通のコロッケよりも粘りがあり アスパラの食感がアクセントになって美味しかった♪ サンドも勿論最高!
老ちゃんが食べ残したコロッケ丼も勿論美味しく頂きました♪(ヲ) おかかが混ざったやや醤油御飯とキャベツ そしてコロッケが絶妙に混ざり合いこちらも美味!!
さてさて、お腹も膨れて時刻も夕方・・・ 名残惜しいですが帰路に着きますか〜
今回も老ちゃんを実家近所で降ろすので、ご家族が迎えに来てくれる 美野里PAまで行くので常磐道経由です。
途中、大雨に当たり前が見えにくいくらいの豪雨で大変でしたが 何とか無事に豪雨ゾーンを突破!
宮城県に入り、SAに立ち寄り土産を買ったりして 運転を交代したりして更に東北道を南下します。
間違えずに常磐道に入り、22:00頃に美野里に到着! 迎えに来てくれた老ちゃん父へ老ちゃんを引渡して解散です!
老ちゃん今回もお疲れ様&親御様今回も有難うございます(苦笑)
次のSAに立ち寄り晩飯を食ったりして時間を調整して、割引が効く 0時に三郷ICを通過して都内へ!
首都高工事・・・ しかも通行止め区画が直撃して、まさかの銀座付近で高速から 強制的に降ろされると言う悲劇が!!
っつーか、駅周辺のタクシーの渋滞が酷すぎる!!(怒)
何とか都内の混雑を突破して、ミッキー宅に着いたのが2時前(涙)
で、我が家に帰って来たのが3時やや過ぎ!
はぁ〜 早く寝ないと明日、いや今日の仕事がダルい〜〜(涙)
いやはや、今回は都内の工事に泣かされたイベントでしたな(汗)
でもずっと行きたかった本州最東端も制覇できたし、ミッキーがずっと 行きたがっていた龍泉洞にも行けた! 被災地の爪痕も見る事が出来たし、桜も見れた!
よって今回のイベントも大満足でした(笑)
次回は何処に行こうかな!? それでは今回も皆さんお疲れ様でした。
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