| 2009年12月06日(日) |
広島東部の旅(後)瀬戸内海に魅せられて編 |
朝、前日の疲れでしょうかね? かなり起きたくなかったです(汗) ・・・・・・何時もだろう!って言う突っ込みは不許可で!(マテ)
昨日は俺が寝てからも、3時くらいまでユースケともりへーは 飲んでいたそうです。
クラウザーも、その後1回起き出したものの飲みもせずにトイレへ 駆け込み篭城していたそうです(汗)
そんな話を聞きながら、ユースケ、もりへーが風呂に入っている間も 布団でゴロゴロして、結局行動を開始したのがチェックアウトギリギリの 11時でした(笑)
いや〜それにしても今日も晴天だ〜♪ 部屋からの景色が最高だ〜!! 夜景もいいが、昼の景色もいいね〜!!! 水面が陽光の反射で煌いているところなんて、まるで影絵みたいに 綺麗で最高だ〜〜!!!!!
見送りに来てくれた宿の人にお礼を言って出発! 車は船着場の無料駐車場に停めたままにして、舟に乗って尾道へ・・・
尾道の商店街をお土産を買いながらブラつき、丘の上に建つ熱海城的な 歴史背景も皆無な城の形をした展望台『尾道城』を見上げて皆で 記念撮影(笑)
熱海城との大きな違いは一点! お互い歴史背景皆無な展望台で海を見下ろす高台に建っています・・・
大きな違い
それは、熱海城が開館しているのに対して尾道城は閉館中! って言うか潰れてますから!
城だけが残っていて、もちろん中に入る事も出来ません(爆)
その後、お腹が空いたので昨夜とは違うラーメン屋「伝でん」さんに 入ります。 で、俺は尾道ラーメンと餃子のセットを注文♪
あっさりと魚介系の醤油味でここのラーメンも美味しかったです♪
食後にマッタリしていたら、サービスでミカンを貰いました(笑)
食後、尾道の代表的なお寺と階段の続く街並みを散歩します・・・
後ろを振り返ると眼下には港と瀬戸内海が広がっていて、何とも 言えないノスタルジックな雰囲気にさせてくれますね〜
高台の公園で、景色を楽しみながら昨日の夜コンビニでクラウザーが 買ってくれたアイス等を食べました♪
・・・・・・・クラウザー、そんなの食べてお腹は平気なの?(汗)
食後はお寺の多い尾道でもおそらく一番有名なお寺であろう『千光寺』 を拝観して来ました。
千光寺は千光寺公園内にある真言宗系の単立寺院で、中国三十三観音の 第十番札所。
境内からは尾道の市街地と瀬戸内海の尾道水道、向島(昨夜の御宿♪) 等が一望でき、ここから取られた写真がよく観光案内などに 使用されているほどの絶景♪
寺伝によれば大同元年(806年)に空海(弘法大師)によって 創建され、源満仲(多田満仲)によって再興されたというが確証はなく、 中世以前の寺歴は判然としていないそうです。
ただ、ここのお寺の鐘楼は尾道のシンボル的な物らしく、大晦日の 除夜の鐘は大いに賑わうそうです。
千光寺を拝観後は、再び尾道の街並みを楽しみながら船着場へと戻り、 向島まで行き、車を取って再び(車に乗ったままでは初)舟で尾道まで 運んでもらいます。(運転は人数+車が一般乗用で¥20(笑))
思っていたよりも尾道で時間を費やしてしまったので、急ぎ足で次の目的地へ向かいます!
次に向かったのは福山市の北に位置する備後国一の宮『吉備津神社』 昔、広島、岡山をメインに中国地方に広大な領土を持っていた 吉備国が三国(備前、備中、備後)に分離された後の大同元年 (806年)、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと 伝えられています。
吉備分国に関連し、備中国一宮の吉備津神社より備前国の吉備津彦神社と ともに分祀されたもので、主祭神は備中国の吉備津神社と同じ 大吉備津彦命であるそうです。
境内は思っていたよりも広く、微妙な感じの桃太郎の銅像が建っていたり 「乳房神社」なる神社が在ったりと地味に笑わせてくれました(笑)
その後、南下して福山駅前にある『福山城』を見学! 福山城は本丸跡と二の丸跡の石垣の一部が残るだけですが、国の史跡に 指定され、山陽新幹線福山駅のホームから間近に白亜の櫓群と城壁、 その後ろに復元された五層の天守を眺めることが出来ます。
昔、旅の途中で電車からこの天守閣を見て何時か行って見よう!と 思っていたので結構嬉しいです♪
思っていた通りの(復元とは言え)立派な天守閣を間近で見て来ました。 復元だけあって、中は普通にコンクリ造りの資料館になっているので もちろんスルー!外見だけ見て来ました! 天守閣周辺の櫓、城門、石垣、井戸も確りと見学して、十分満足した ので急ぎ足で撤収!
時間が〜!そして何より日没が〜〜!!(汗)
ラストスパートだ! 最後まで好天候が続いてくれた事に感謝しつつ、かなりアクセルを 踏み込んで突き進みます!!!(マテ)
福山〜鞆の浦の予想移動時間は60分。 福山出発が15:20 鞆の浦到着が15:40
・・・・・・・・・・・う〜ん(苦笑)
そうです! 今回最後の目的地は、スタジオジブリのポニョやら埋め立て反対だので 大いに盛り上がった『鞆の浦』!
ゲレゲレが大好きそうな細い細い、見通しの利かない路地が延々と クネクネ続く古い街並みを抜けて、『鞆城跡』=現・鞆歴史民俗資料館 に車を停めて、鞆の浦観光を開始します♪
鞆城は備後を領有した尼子氏に対抗して、鞆の浦を根拠地にしていた 毛利元就が天文年間(1532年〜1555年)に築城したと推定されて います。 今では石垣の一部と碑が残るだけですが、小高い丘に築城された この鞆城からの眺めは最高です! 眼下に広がる美しい瀬戸内海、鞆の浦! 瀬戸内海までの短い間には古い家々が軒を連ねているのが見下ろせます。
尾道と似ている様で、全然印象の違う風景に感動です!!!
しかも!丁度やや夕暮れ時と言う事もあり、美しさが倍増だ〜〜!(笑)
鞆城からの景色を楽しんだ後は、先程まで見下ろしていた街並みを 抜けて港まで歩きます。
途中、幕末に尊皇攘夷を主張する三条実美ら7人の公家は公武合体派に 追われ長州に下る途中、鞆の浦に寄港。 その時に寄ったとされる福山藩の御用名酒屋を務めた保命酒の蔵元 「中村家」の屋敷で、明治時代に太田家の所有となった『太田家住宅』 もサクッと見学して港へ到着!
鞆の浦のシンボルになっている『常夜灯』を見て来ました♪ 常夜灯をバックに皆で写真を撮ったり、埋め立て反対の署名運動に皆で 協力して来ました!
なお江戸時代の港湾施設である「常夜燈」「雁木」「波止場」「焚場」 「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみです。
それを道が狭いから、一部埋め立ててとか寝ぼけた事ぬかして 景観を滅茶苦茶に破壊して道路を通す計画が最近まで在ったとは、 何たる非国民的所業!(怒)
海を埋め立てなくても、埋め立て反対派が出した山の方にトンネルを 通す案の方が予算も安くて工期も早くて景観も損なわないのに、あえて 埋め立て案を押し通そうとした連中は、砂利業者から金を貰ったに 違いないです!
・・・・・だって、海を埋めるか山を掘るかの作業で参入する業者が 変わるのは砂利業者だけ! それって=砂利業者が利権に食い込めるか否かの一点だけでしょう?
ユネスコが 「鞆の浦は貴重だから早く世界遺産にしたいから申請を出してくれ!」 って言ってるのに申請を出さずに埋める!と言い続けた福山の議員どもは いったい砂利業者から一人頭幾ら貰ったのかね??
最近、やっと裁判で反対側が勝って埋め立て案が撤回されたので一安心 ですよ! いや〜良かった良かった♪
港をブラブラと散策しながら、日溜りでまどろむ猫の親子に 萌え死にしそうになりながらも辛うじて写真撮影をすませ(ヲ)
常夜灯がある湾の逆サイドにある『圓福寺』に到着。 圓福寺は戦国時代には村上水軍の一派の拠点となり、江戸時代には 紀州藩の船と坂本竜馬所有の「いろは丸」による海上事故の際、 (いろは丸事件)では紀州藩の宿舎として使われました。 それ以外にも朝鮮通信使の宿舎をはじめ句会や歌会等数々歴史の舞台と なった場所です。
港の最南端に位置する丘の上に建てられているので、海が目の前! ここもまた絶景です♪
・・・・・・・・・ただ、ここまで来る道が本当に狭く、住宅街を 縫って歩いてくるので本当に着くのか歩いていて結構不安でした(汗)
そろそろ、日も落ち出してきたので鞆の浦観光も大詰めです!
圓福寺から、またも住宅地をウネウネと歩き大通りまで出て (大通りといっても、今まで歩いて来た道と比較してって意味で) 『対潮楼福禅寺』へ!
対潮楼とは、現在の本堂と隣接する客殿の事。 江戸時代、朝鮮通信使が日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい)と 讃えたのが、対潮楼からの景観です。 現在、国の史跡に指定されており、龍馬たちと紀州藩との交渉は (いろは丸事件)この対潮楼でも行われました。
ちゃんと拝観料を払って(ヲ) 対潮楼福禅寺から対岸に見える鳥居と御堂の見える弁天島。 奥の大きな島、仙酔島が見えます。 仙酔島は、島からみる美しい景色を見ながら酒を飲んでいた仙人が、 酔ってうたた寝をしてしまい、その姿を人間に見られてしまった (仙人は人間に見られてはいけないのに)という逸話がある島で、 仙人も酔ってしまうほど美しい島ということで仙酔島と呼ばれるように なったそうです。
対潮楼から望む弁天島、仙酔島の風景は、障子の柱が丁度額縁のように 見えて、本当に一つの切り取られた絵画のようでした・・・
ただ、ずっと最前列で座り込んで写真を撮ったりマッタリしている 糞ジジイが居やがって、常に写真に入り込んできます!(怒)
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜邪魔!! こいつの両足持ってジャイアントスイングでそのまま 外に投げ捨てたい!!!!(マテ)
舌打ちしまくって、糞ジジイがこっちを見た時に思い切りガンつけて やって、やっと退いたし(汗)
どうやら「邪魔!ジジイ死ね!!」と思っていたのは俺だけではなかった 様で、ジジイが退いた瞬間に他の観光客も皆凄い勢いで写真を撮り出して いました(笑)
時刻は16:40・・・・・
さ〜って、帰宅は何時になるかな〜(邪笑)
鞆歴史民俗資料館に戻り、実は俺らが車を停めていた場所が 職員専用駐車場だった事が発覚し、ビクビクしながらばれない内に 静かに撤収!(マテ)
今日はずっとここまで俺が運転して来たので福山辺りで ユースケに運転をチェンジして俺は仮眠を取ります・・・・・
高速に乗り、俺もウトウトしていると ユースケが何故か連続してSAやPAに入ります(汗)
・・・・・・・どうした?
「・・・・・眠気が」(汗)
まさかの運転手交代だ(汗) クラウザー行け!
このイベント初のクラウザーの運転で恐々車は進みます・・・(涙)
途中、神戸近辺で渋滞に嵌ったり、大阪府内で迷子になったりしてものの 21時くらいにユースケの家の近所の牛丼屋で晩飯を食べて、22時頃 ユースケを家の前で降ろして再び運転手は俺!
も〜この時刻に大阪って時点で色々終わっていますが(明日の仕事的に) 取り敢えず、おちゃらけバイト店員の俺以外は翌日の仕事で 「眠くて仕事にならな〜い」ってのは厳しいと思い、2人には 「後で寝ておけ!」と言い付けて、ここからまさにずっと俺のターン!
草津のSAで職場の人に頼まれていた八つ橋を買ったり、トイレに 寄ったり眠気覚まし様におにぎりを買い込んで用意OK!
もう一回次のSAだかPAで給油をして準備OK!!
逝きま〜〜〜〜っす!!!!!
平均時速140k/mでかっ飛ばし、レーダーがオービスやら レーダーを感知した時だけ100k/mに落としてをずっと繰り返し、 7日の0時頃に甲賀を通過!
クラウザーが「懐かしい!」と言ってチョイスしたglobeのベスト。 DEPARTURESとか超・懐かしいです!
・・・・・・・・・でも、リピートして2度も聞く気は無いな〜 CD代え・・・・・・・・・って寝てるし! しかもクラウザーが、CDケースを抱え込んで寝てるから 自分で次のCDを取る事も出来ないし!(汗)
そろそろ少し眠くなって来たからおにぎりでも食べようかな〜
・・・・・・・・後で荷物がゴチャゴチャになってて、何処におにぎりが 在るのか不明だし!(涙)
取って貰おうにももりへーも寝てるし!
・・・・・・・・ま〜俺が「寝てろ」って言ったんだけどね〜
・・・・・・・・・・・・・はぁ〜(泣)
お腹空いたな〜 疲れたな〜 眠いな〜
・・・・・・・・・・・globeのCD、3周目はキツイな〜(爆)
途中、ナビが古いせいと急に減速した車のせいで道を分岐を間違えて 岡崎の辺りで15kmほど下道を走る羽目になりましたが、それでも 大和で東名を降りて最寄のスタンドで給油をしたのがAM3時! もりへーを大和駅前の自宅で降ろしたのが3:15!!
・・・・・・・・俺、がんばった!!!(涙)
流石に板橋まで送って行けなかったので、クラウザーに如何するか 聞いたら「始発まで何処かに居る」との事。
どうせならもりへーの家に泊めて貰ったら?と聞いてみると
「いや、それはどうかと思うし・・・いや、不味いでしょ? ・・・いや、・・・」とプチテンパり出すクラウザー! ・・・・・この永遠の思春期野郎め!(笑)
結局、横浜駅前間で送って行きました。 その後、クラウザーは始発まで待って始発で帰りました。
クラウザーと別れ、俺が帰宅したのがAM4時半頃。
いや〜今日はまだまだ長いな〜(涙) 今日はダルいぞ、絶対! 間違い無く仕事にならんな(マテ)
皆!今日も頑張ろう〜〜!(泣笑)
今回のイベントは、今後の土日における西方面へのイベントの 良い試金石になったと思います。
今後、このドタバタを生かしてもっとスムーズなイベントになる様に 頑張ります!
ただ、宿と言い飯と言い、旅情と言い、今回の旅は本当に良かった〜! 温泉が無かったのが心残りかな?
・・・・・・・あと、帰宅時間の遅さね(滝汗)
ま〜でも、これも良い思い出かな?(笑)
追記
その後、もりへーが有給を取った事が発覚!
「運転代わりますか?」って聞いて来た時に有給取ったって言えよ! そしたら1も2も無く代わって貰って俺も寝たのに(涙)
|