* *

2005年12月02日(金) うるわしき懲罰の庭


  「光のことだけ考えるんだ、僕の可愛い鳩よ」
             (スチュアート・ダイベック「夜鷹」)



リハビリ記録になりつつありますが…。まだ暗くてすいません。あとすこし、か。

ショックな出来事から数日経過。できれば私も光のことだけ考えていたいものですが、家で話していて笑ったりするとその都度、頭にふと暗い影が。「何を笑っているのだろう笑ってていいのだろうか自分は〜」と罪悪感を感じて自問。会社では平気なんですが、どうも家では駄目だ。
ほんとうはしばらく何もせず暗く過ごしたいけど、親が心配するんでそうもいかない。知人のおばさんが「娘さん元気出して」などとケーキをくれたりもして、そういう好意を受け取らぬわけにもいかない…しかし「おいしいケーキなんか平気に食べてていいのか自分!もうケーキが食べれない子を私は知ってるのに!」といった疑問は常に覚えるわけで。嗚呼。

要するに、喪に服したい。悲しみを誠意で示したい。明るく元気に健康的に生きていてはならない気がする、すくなくとも今は。もっと悲しみのあまり病気になったり痩せ衰えて骨と皮だけになったり意識が朦朧としたりすればいいのだと思う。それが正しいのではないかと思う。漫然とした暮らしの中で享楽的な楽しみに耽る自分はどうにも許せない。すくなくとも、今は。
しかし何をしたらいいのかわからないあまりに、最近は断食したりエレベーター使うのやめたり睡眠時間を削ってみたりとひたすらよくわからないプチ苦行を自分に課してばかりだ。かなり間違った方向に来ている気がする。昨日などは新宿まいしてぃかふぇで食べた麻婆豆腐が本当に辛かったんですが、こんなに辛いのは店の手違いか私が知らぬ間に店の恨みをかったかどっちかだってくらいに辛かったんですが、「ああ辛さのあまりに左腕が痙攣してきた…ああでもいいや…これぐらい苦しいのがちょうどいい…」などとよくわからないマゾヒスティック状態に。しかも麻婆豆腐は辛くてもおいしかったですよ。ああこんなのはすこしも苦行じゃない…。やっぱり間違ってきてるよ…自分で自分の思想の修正がどうにもきかないところが自分の恐ろしいところだ…

出家とか修道院にはいるひとっていうのは今までは「精神的で厳しい生活が好きなのかなぁ〜」とか思っていたけど、「自分を罰したい」っていうタイプはあるんだろうか…。いや、まぁ、別に修道院はいったりしませんけど…。ああでも一ヶ月くらいなら…


冒頭の一文で使用した、スチュアート・ダイベック作/柴田元幸訳の短編集「シカゴ育ち」。先日読んだら大変よかったので、昨日勢いで同じ系統っぽい「イン・ザ・ペニー・アーケード」を買ったのですが、なんだか細かい描写表現が続いてどうも読めず。そういうのが好きなときもあるんだけどなぁ。今は時計の歯車のロマンについて詳しく書かれてもあんまり気分がのらないようだ。読もうとしたら電車で熟睡してしまった。ひさしぶりに熟睡できた。その点では、買ってよかった。


あーあとわたしが買ってきたバラの香りのろうそくを墓前に灯してたら、母親が「焼き芋のにおいがする」というんですけど…。いやまぁたしかに焼き芋のにおいの方が犬的には嬉しいとは思うんですけど…。


これから一週間くらい家のパソコンがなくなります。
あと明日の怒濤の最終節が社員旅行で見れない!なんたることだ…!



桐野| HomePage