2001年10月14日(日)
ふと、幼い頃に読んだ昔話を思い出した。
確かそれは、グリム童話のひとつでこんなストーリィだったはずだ。
むかし、あるところに兵隊がいて、ひょんな事から悪魔に捕まって、地獄に連れて来られてしまう。 そこから逃げ出す為には、悪魔が出す三つの問題を解いてみせなければならないのだが、人間の目は欲に眩んでしまっている為に、兵隊には悪魔の持っているものの真実の姿を見出す事が出来ないのだ。 兵隊は物陰に隠れて悪魔の歌っている歌詞の内容からその答えを導き出して無事にこの世に戻ってくる。
何度も読んだ話だったハズなのだが、結構忘れているものだ。
何故、こんな話を今頃持ち出したかには理由がある。 この話の中の兵隊には、悪魔の持つ一枚の枯れた葉っぱがどうしても金貨にしか見えなかった。それは、欲に眩んだ人間の目には真実を見分ける事が出来ないからだ。 幼い私に、この話はひとつの視点を与えてくれた。
「アタシには、真実を見分ける力が、必ずしも備えられているワケでは無いのだ」、と。
あの頃から少しだけ成長したアタシは、この「業」を実感する。
外見、他人の意見、自分の見栄。 アタシは今、様々な「業」に惑わされている。 自分にとって大切にしたいモノを、持ち続ける事に不安を抱いている。ただそのモノの外見が見映えしないと云うだけで! しかも情けの無い事に、そのモノが本当に真実であるかどうか見定める事すら、今のアタシには出来かねているのだ。
素直に信じれば良いのに、それが出来ない。 他人の視線など気にしなければ良いのに、どーしても気になる。
そんな自分が無性に腹立たしく、憎らしく思えて、辛くなった。一瞬、何もかも投げ出してしまいたくなって、自暴自棄な気分になった。 そんなどうしようもない状態のアタシに付き合って、立ち直らせてくれたのは某氏だ。本人がどう云う気持ちでアタシに接していたのかはアタシには分からない。 でも、アタシはもう少しそのモノと共にいようと思うにいたった。 確かにアタシは「業」に阻まれて真実を見抜く事は出来ないけれど、アタシはそれを信じたい。そう、想う。
支え合うって云うのは、良い言葉だと身にしみて感じてみる、今日この頃だ。
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