江國香織を読んでいて、海の話が出てきて、思い出した。 3年前の夏(もうそんなに前なのか…)、私は博物館実習で観音崎の博物館に14日間通った。 海の近くの博物館なので、磯の生物を観察するという催しがほぼ毎日ある。 ということは当然毎日海に入らなければならない。 海に入って泳ぐこと、照りつける陽射しの下で動き回ること、これらが相当体力を消耗させる。 大学院入試直前だったが、体力の乏しい私は毎日へとへとで勉強どころではなかった。 だから海に入るのは本当に苦痛だった。 あんまりというかほとんど泳げないし。 しかしそんな実習中、観察会が終わったあとにぽっかりと時間が空いて、自由に泳いできていいよと言われたことがあった。 手伝いで来ている水産系の大学の子達は嬉々として、網だの容れ物だのを持って潜りに行った。 私もいちおうついては行ったが、毎日魚も貝も海藻もメリベも見飽きていたし、泳げないから深いところには恐くて行かれないし、体力使うのもいやだしで、ぽっかりと仰向けに海に浮かび続けることに尽力した。 仰向けに海に浮かんでゆらゆらと波間を漂っていると、晴れた空と波と太陽しか見えない。 そのうち、自分がぽっかりとひとりで地球に浮いているような錯覚を感じた。 ああ私は地球に浮かんでいる一物体なのだ、と思った。 海は広くて果てしない。 そんな歌詞の歌があったが、私は海に浮かんで、果てしない宇宙を思った。 私は海があまり好きではなくて、毎日海に入るのは苦痛だった。 しかし、今思うと、それはひどく贅沢な時間だったような気がする。 毎日会社の部屋に一日中閉じ込められてパソコンの前に座って目をしばたかせまた電車という箱に詰められて帰路につく埃と喧騒とニ酸化窒素と電磁波にまみれたいかにも日当たりの悪い生活。 そんな「都会暮らし」を平然と続けていられることの方が、むしろおかしいのかもしれない。 そんな生活をして、IN TERRA PAX(ラテン語で“地に平和を”)なんて言えるのだろうか。 TERRA(地)をちっとも感じることがないというのに。
きょうはBRILLANTEでした。 今週はきょうのために働いたと言っても過言ではないかも。 やっぱり好きな歌を好きな人たちと歌う。 私にとっては究極の癒しです。 卒業する時に研究室の人々からもらったトルマリンゴ(1500円くらいするのねーびっくり!)よりも、アロマテラピーよりも、インセンスよりも、足つぼマッサージよりも、何よりも、歌と博物館とチョコレートと友達。 ってことで明日はカールステン・ニコライ展@ワタリウムに行くぞっと。 二岡復帰! でも試合が見られなかった…ファン失格? いや、その程度のファン心なんだよねきっと。
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