きのうバイト中にふっ。と「のちのおもひに」ってフレーズが頭をよぎった。 のちのおもひに? なんか万葉集かなんかだよね? あひみてののちのおもひにくらぶれば…とかいうやつ? なんかあのひとに会うまでは何にも思わなかったのに〜ってやつだよね? と思っていた。 しかし! 人間の記憶というものは、似たようなことを勝手に繋げてしまうと特命リサーチで言っていたがその通り。 前述の短歌は、
逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔は物も思はざりけり
という百人一首の権中納言敦忠の歌でした。のちの心に、だっちゅうの。 百人一首って覚えさせられたからなんとな〜く語感が体に染み付いているというかね…。 そして「のちのおもひに」は、あろうことか、立原道造の詩だった。 そうよすっかり忘れていたわ。 ほら、萱草に寄す、とかいう詩集のやつよ。 しかも合唱曲とかにもなっていたはず(歌った覚えはないが)。
ああすっきりした。 デジャブ、とかってのもそういう自分の似たような経験を勝手に脳が繋ぎ合わせてしまうことで、前にも見たことがあるって思うんだそうだ。 人間の記憶ってのはほんとうに頼りなく、そして甘い。 でもね、そーんなあまあまの構造のおかげで、あまあまの時間が過ごせたりしちゃうわけだからいいのかもね、それで。
あ、虎に2勝1敗〜うっふふ〜♪
「のちのおもひに」 立原道造
夢はいつもかへっていった 山の麓のさびしい村へ 水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しずまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠っていた ― そして私は 見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を だれも聞いていないと知りながら 語りつづけた…
夢は そのさきには もうゆかない なにもかも 忘れ果てようとおもひ 忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう そして それは戸をあけて 寂寥のなかに 星くずにてらされた道を過ぎ去るであらう
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