| 2002年04月16日(火)→→→in my own way |
ええと最近とみに勉強に対する「やる気」がない。 だからHTMLとかそういうのに逃げているわけだ。 で、ちょっと思い立ってきょうは専門科目をやってみた。
楽しーい!
やっぱり化学は楽しい。 ついでに数学とか物理もやらにゃいけないのだけれど、それすら楽しい。 数学とか物理ったってまあ高校レベルなわけで、物理なんて高校生のときあれほど忌み嫌っていたのに、今となるとおもしろいのねー。 まあ、今となると簡単に思えるから楽しいんだろうけれど。 専門科目はやっぱり何だかんだ言って自分の専門なわけだから。
さて、楽しんでないで一般教養科目をさっさかやらなくてはね。 さらに一般知能ってやつもあるからね。 今年は受かるつもりなくても、とりあえず全部ざっと勉強しておかないと。
なぜ、今年受かるつもりで死ぬ気で勉強しないのか、と言われそうだ。 なぜなら「死ぬ気で勉強」ってのは楽しくないから。 そんなことしても身につかないから。 わたしにはわたしのペースがあるから。 長い時間をかけて、ゆっくりちょっとづつ身につけていくしかない、ってことが最近よーくわかったから。 本当は塾みたいなのに行くのがわたしみたいな怠け者には最良なのだとわかっているけれど、それはお金がもったいないし、自分でやったことにならない気がするし。 試験ってものはいつでも自分との戦いですな。 でも就職活動よりは数十倍、数百倍、精神衛生によい。 就職活動、たぶん周りのひとより全然してないけれど、もし無理してあれ以上やっていたら確実に病気になっていたと思われる。 そこんとこの防衛本能は発達しているのね。
一瞬一瞬を生きる、とかいまを生きる、という言葉は何も自分のやりたいこととか自分の正直な気持ちとかを犠牲にして生きるってことではないと思う。 それは勉強のために遊ぶ時間を削るとか、そういう具体的なことだけではなくて、死ぬほど勉強しなくてはいけない、っていう考えに縛られることも含まれる。 いまを生きるんだったら、勉強も生活も、みんな楽しくないと意味ないでしょ。
…今年の試験に受からないだろうという推測に対する、精一杯の言い訳と、受かるために「死ぬ気で勉強」するのはいやだという気持ちに対する精一杯の正当化。 ま、すべてはかわしまくんじゃないけど「怒られないため」なのかも。 そう思うと面倒くさくなってきた。 自分は自分、ひとはひと。ってどうして思い切れないのかしらね。
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