2002年04月10日(水)→→→日常

またまた吉本ばななだが、しばらくは「ばななブレイク」をちょっとづつ読んで、読んだら書く!みたいになると思われる。
吉本ばなな教の信者じゃんと思われるかもしれないが、実際信者です(勝手にだけど)。

日常と、日常を生きる銀色夏生についての章。
一般的にみんないかに日常から離れられるか、ということに心を砕くらしい。
確かに社会人の友達を見ていると、お休みのために生きているという人がいたり、日常をいかに創造的に過ごせるかという本とかもたくさん出ている。
あるいは日常を上手に流して、「刺激的な、高揚する出来事だけで人生を織り上げていくような錯覚をしたり」する。
でもその日常である「いつものこと」からは決して逃げられない。
(銀色夏生の「つれづれノート」を読むと、このひとは日常こそが人生なのだと思わせる、らしい。)
というようなことが冒頭に書かれていた。

おおと思った。
だってみんな日常に納得していないから、日常を嫌悪して、日常から離れていたいと思うわけでしょう。
日常=仕事と置き換えるといいかもしれない。
さて、私はそのように嫌悪する日常を得たくないがために日々あがいているが、それはそれで「日常をいかに創造的に過ごせるか」になるのだろうか。
ううむ。わからない。
だって全然創造的じゃなくても楽しいときは楽しいし、創造的でも楽しくない時は楽しくないし。
本を読んだり博物館に行ったり歌ったり映画を見たり散歩をしたりっていうのは、自分では創造的になってるつもりだったけど全然創造的じゃないし。

ま、よくわからないけれど嫌悪すべき日常というものとは、大学4年くらいから無縁の生活を送っているので、これから先がおそろしいかも。

…どうしても自分のことと結び付けてしまうので、すごい主観的だ。
「つれづれノート」のような気持ちのよい日記を書けるようになりたい。
そうしたら「『人生を終えるまで自分であるということをくり返し続けていくのは悪いことではない』と心から思える」ようになるかもしれないし。


     
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