国連特別報告者が日本に「共謀罪」懸念の書簡 菅義偉官房長官「明らかに不適切な内容で強く抗議」(産経新聞 2017.05.22)先週、国連特別報告者のケナタッチ氏が共謀罪に懸念の書簡が届きまして、マスメディアや野党や左派系団体が一斉に「国連が反対しているぞ」「国連が安倍を批判しているぞ」とキャンペーンを始めてたわけですが、ところが、国連事務総長からこのような発言がありました。国連事務総長が慰安婦の日韓合意に「賛意」「歓迎」 テロ等準備罪法案批判「国連の総意ではない」 安倍晋三首相との会談で(産経新聞 2017.05.27)安倍晋三首相は27日午前(日本時間27日夜)、タオルミナ市内で国連のグテレス事務総長と会談し、慰安婦問題に関する日韓合意について日韓双方が履行することの重要性を強調した。グテレス氏は合意に「賛意」と「歓迎」を表明した。首相がグテレス氏と会談するのは今年1月の事務総長就任後、初めて。 首相は、日本政府が国際組織犯罪防止条約締結に向け「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案の今国会成立を目指していることを説明。グテレス氏は改正案を批判した国連特別報告者のケナタッチ氏について「特別報告者は国連とは別の個人の資格で活動しており、その主張は必ずしも国連の総意を反映するものではない」と述べた。国連事務総長が「あれは国連の総意ではなくケナタッチ氏個人の意見」と梯子を外したことで、一部マスメディアと野党が持ち上げてたケナタッチ氏は「国連の方から来ました」なだけの人物だったことが判明したわけですが、蓮舫氏は振り上げたこぶしを下ろせずに自分の頭を殴っている状態です。民進・蓮舫代表、国連特別報告者の批判「提言内容軽視すべきでない」(産経新聞 2017.05.28)公明・山口那津男代表が野党を批判「国連の特別報告者を金科玉条にする主張は全く信頼できない」(産経新聞 2017.05.29)G7加盟国も共謀罪に賛成しており、まあそんなもんです。風知草 国連特別報告者って?=山田孝男(毎日新聞 2017.05.29)18日、ケナタッチという学者が、公開書簡に「共謀罪」法案への「懸念」をつづり、安倍晋三首相に送った。その人の肩書は国連人権理事会の特別報告者。公表時期は、衆院法務委員会で「共謀罪」法案が採決される前日だった。 主張の核心は「拡大解釈による人権侵害」。具体例の中で、日本の国会で話題になった<キノコ採り>の森林法違反が強調されるなど、日本の野党の論理構成とよく似ていた。 22日、官房長官が「書簡は不適切」と批判。すると23日、特別報告者がたちまち反論、「批判に中身がない」とやり返した。 反論書は23日朝、民進党の法務部門会議で披露された。官邸にも外務省にも届かぬうちに−−。 国連の特別報告者は、民進党や日本の人権団体と連携していると見るのが自然だろう。報告者への情報提供を誇示する日本の人権団体のサイトもある。 民進党推薦の参考人として衆院法務委(16日)で法案反対の意見を述べた海渡(かいど)雄一弁護士(61)に聞いたところ、報告者とは面識がないが、国連側に情報を提供し、報告者の反論を仲介した−−と明かした。 断っておくが、情報提供が悪いと言いたいわけではない。人権は国連活動の重要な柱。特別報告者はれっきとした制度である。報告者への働きかけ自体は違法でも邪道でもない。 ただ、個人の資格・責任でなされる報告であり、客観性を保証するしくみはない。政治的な偏りは免れない。そのわきまえが要ると思うのである。 国連の主要機関は ・総会 ・安全保障理事会 ・経済社会理事会 ・国際司法裁判所 ・事務局 −−の五つ。特別報告者を指名する人権理事会は総会の補助機関という位置づけで、47の政府代表(任期3年)から成る。報告者は無給だそうだ。 ◇ 国連は総会と安保理の決議、事務総長報告などで各国に国際組織犯罪防止条約締結を促している。 日本政府は条約締結のために必要と判断し、「共謀罪」法案を出した。 答弁のマズ過ぎる法相の進退で紛糾、与野党とも抜き差しならぬ対立にハマっているが、民進党は条約を結ばなくていいと言っているわけではない。 民進党は、「共謀罪」の代わりに、より犯罪の実行に近い「予備罪」(準備行為の処罰)を拡充する対案を提出している。 海渡弁護士は国会の意見陳述で、とりわけ(1)組織的威力業務妨害罪(2)組織的強要罪(3)組織的信用毀損(きそん)罪(4)組織的逮捕・監禁罪の危険性を指摘した。 政府案のうち、市民運動や労働組合活動を害する恐れのある「共謀罪」を除けば歩み寄れる−−との示唆とも受け取れる。 グローバル化と情報化の利便は享受するが、グローバルな犯罪の抑止は知らない−−ですむか。 日本はグローバル時代の建国を迫られている。国連もいろいろだ。国連を持ち出されて驚き、平伏するような感覚では国際社会という世間は渡れまい。我々自ら国連を担うという自覚が問われている。