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2007年05月10日(木) 改憲論で一言「平和を保つのは憲法ではありません」

宋 文洲の傍目八目
改憲論で一言「平和を保つのは憲法ではありません」

(日経ビジネスオンライン2007年5月10日 木曜日 宋 文洲)

「平和憲法を変えるべきではない」との意見をよく聞きますが、
その都度頭をよぎる疑問があります。
「日本には戦争憲法が過去にあったのだろうか」と。

 戦後の日本は徹底的に平和主義を堅持し国際社会における信用を高め、
社会の基盤作りと経済発展に専念してきました。
その結果、国際紛争に巻き込まれず、今の繁栄を手に入れました。

 日本が戦後、大きな経済繁栄を遂げたことに異論を挟む余地はありませんが、
繁栄を支えた平和主義は憲法がもたらしているとする論には、
僕は素直に納得できません。日本が平和を維持してきたのは、
日本人が悲惨な戦争を体験したこと、それによって生まれた信念が
大きく寄与していると思います。時の軍部、そして政府によって
「正当化された」戦争の正体のあやしさを、日本人は忘れずに戦後を
過ごしてきたことが、何よりも日本から戦争や紛争を避けさせてきたのです。

憲法は平和を保障してくれない

 僕が日本の改憲を議論すると「内政干渉」と言われるかもしれませんが、
一民間人ですのでどうか力を抜いて聞き流してください。
「傍目八目」ではこれまでも何度か“内政干渉”してきましたし。

 企業を経営する際、企業理念とそれに基づく行動規範が必要です。
その企業理念は国の憲法に当たると思います。いろいろな企業があるものです。
経営者が勝手に理念を作る企業もあれば、社員と十分に議論をして作る企業もあります。
数十年も変わらない理念を持つ企業もあれば、
経営者が代わるたびに理念が変わる企業もあります。

 1000社以上の経営コンサルタントを通じて分かったことがあります。
それは理念の良くない会社というのは、存在しないことです。
だからこの頃の僕は企業のパンフレットを手にした時、
理念を読まないことにしています。

 良い企業と悪い企業の境目は、書かれた理念の良し悪しではありません。
その差が出るのは、理念を具体論として企業活動に反映させる時です。
社員が書かれた理念をどのように認識し、それを具体的に行動として
移す時に差が出るのです。

 皆さんは恐らくどこの国の憲法を読まれても、その崇高さに感動すると思います。
しかし、現実はそうした“立派な”憲法の下で過去に何度も戦争、
そして虐殺が行われ、一部の地域では現在も進行しています。
これは“立派な”企業理念の下で不祥事と違法行為を繰り返す企業が
常にあると同じことです。


 冒頭に僕が「日本の平和政策は憲法ではなく国民がもたらしたものだ」と
述べた理由はここにあります。そのためたとえ改憲することになっても、
戦後の平和を維持すべきと考えるなら、戦後、日本国民は憲法の理念を
どう理解し、具体的に行動として示したのかを理解する必要があります。

 時がたつにつれて、理解や行動が変わってきたのかもしれません。
将来にわたって変わらないものもあれば、時代に応じて変えたものもあるはずです。
実際、憲法9条の解釈で見ても、イラク駐留などおよそ20年前には
考えられないことが、現在では正々堂々推進されています。

今、議論するのは9条の条文存続という形式的なことよりも、
戦後60年以上にわたって築き上げてきた日本人の普遍的な平和な意識とは
どのようなものか、という中身だと思います。
そのうえで、改めて強調したいのは
「憲法だけでは平和を保障してくれない」ということです。

自衛隊はなぜ悪いのでしょうか

 実質のある議論をする際に「9条は変えてはならないもの」というタブー視と、
「戦後憲法は米国から押しつけられたもの」という考え方から離れることが必要でしょう。
どちらも憲法制定時の情勢から頭を切り替えていないからです。


 過去の情勢に頭を縛られている象徴は、いまだに自衛権の是非を議論していることです。
そもそも自衛権は、なぜ悪いのでしょうか。
侵略は確かに問題ですが、理不尽な侵略を受けた場合、日本は戦わざるを得ません。
集団自衛権の問題はありますが、少なくとも日本が自国の領土を
侵略を受けた時に、それに対抗する手段は持つ必要があります。

 過去に日本の侵略を受けた国々には、
日本の再度の軍国化を心配する人々がいるのは確かです。
しかし、彼らに「日本が侵略を受けた場合、日本人が抵抗しなくてよいか」
との質問をすると恐らく「抵抗しなくてよい」と答える人はいないと思います。


 過去の戦争を離れ、未来の憲法の議論は日本の内政問題であり、
外国の政府は何の関与もあり得ません。
日本の改憲に批判的な海外の世論があるとすれば、
それは感情論であって本質論ではありません。


 未来に向けた議論についてタブーを無くすことが重要であると同じように、
過去の議論についてもタブーを無くすべきです。
どんな新しい憲法ができても、「臭い物に蓋をする」のではなく、
透明な議論に堪える戦争の真実を次世代の人々に伝えることが重要です。
これこそ現憲法の背景であり、平和の本質論に繋がるのです。


憲法は道具に過ぎず

 僕は決して憲法を軽視してよいと言っているわけではありません。
申し上げたいのは憲法が人間を守るのではなく、
人間は自分を守るために憲法を道具として使っているということです。
道具である以上、必要に応じて使いやすいものに変えるべきです。

 異論を持たれる読者も多いと思います。
しかし、あくまでも憲法は人間が作るものであって、
憲法が我々を作ることは未来永劫あり得ないのです。主役は人間なのです。
今の憲法を絶対視せず、日本人としてこの国がどうあるべきかをタブーを
廃して語り合うことが、建設的な改憲議論に繋がると思います。


-----------------------------(引用終了)----------------------------

中国や韓国の人は、日本のことに関すると反日的な感情に流されてしまい

暴論を語ってしまう人が多いのですが、そんな感情に流されることなく、

落ち着いた意見で正論を述べており、このコラムには好感が持てます。

 そして、知る限りにおいて日本人で憲法改正問題について論じた文章で、

このようなすんなりと納得できるものを読んだことも、

悲しいかなほとんどありませんし、なぜ日本の政治家から、

こういう冷静で分かりやすい言葉が出てこないのかと非常に残念に感じます。

(日本では、なぜかこういう正論を政治家が堂々と主張すれば、
 首を傾げたくなるような論調の批判に晒されることが多いので、
 あまり言いたがらないだけなのかもしれませんが。)

 さらに、日本の護憲派の論調の幼稚さが際立ちます。

日本の護憲派のほとんどが感情論や現実を垣間見ない理想論や

思い込みの妄想論を振りまくのみになってしまっていますから、

聞かせる(読ませる)論調がほとんどありません。

例えば、コラムの中のこの部分。

>「日本が侵略を受けた場合、日本人が抵抗しなくてよいか」との
>質問をすると恐らく「抵抗しなくてよい」と答える人はいないと思います。

日本には悲しいかなそのような考え方の人がいて、

憲法を守ってみんなで死ねばいいとTVで言ってのけた経済学者の森永卓郎氏や、

全国各地で「無防備地域宣言運動」を行っている活動家がその典型です。

 しかしながら、改憲派にも感情論的な論調を振りまいている人が居るので、

(例えば護憲派を馬鹿にしているだけで自己満足している人とか)

どちらの論調を見ても、最近はウンザリしてしまうことのほうが多いです。

 私としては、リアルタイムで変化する国際情勢の中で、

その動きに合わせる為に苦しい解釈議論を何回も繰り返すぐらいなら、

戦力を保持しないと言いながらも自衛の戦力は備えているのですから、

いい加減に偽りの9条の2項を排除して、

迎撃ミサイルが他国の脅威だとかバカなことを言い出さないように、

防衛と侵略の境界線を出来うる限り正しく認識できるようにして、

自衛隊を自衛軍として認めるべきではないかと思っています。

自国の防衛のための自衛軍を持つのは国家としての当然の権利であり、

国家というものは自国民の生命と財産を守るという名目で徴税しているのですから、

国民としても国に税金を納めているからには、

日本が万が一の事態に巻き込まれた時、

完璧とは言わないまでも最小限の被害で留まるように、

国家に防衛を要求するのは当然の義務なのではないでしょうか。


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