フジ『とくダネSP』で、「北朝鮮がもし日本にミサイル攻撃をしたら」というシュミレーション特集を放送していました。ゴールデンタイムにこういう番組をやってくれるだけでも有り難いのですが、 今の日本の法律では、どう考えても国民見殺しってことがよく分りました。平和憲法の名の下に私たちは死んでいくのね・・・(´д⊂ヽ ●安保委、議事録公表できず 自民が発言削除を要求昨年12月10日の衆院安保委での「救う会」会長佐藤勝巳氏が致事件の解決が遅れた理由について、自民党の故・金丸信元自民党副総裁と自民党の野中広務氏、加藤紘一氏、中山正暉氏、渡辺美智雄氏の5人の名前を挙げ、「こういう人たちが北朝鮮の意を体して絶えずコメを出すとか拉致問題を不問に付して日朝交渉をやれとかいうさまざまな動きをやってきた」と発言。これに対し翌日、名指しされた議員の間から具体名の削除要求が出されました。佐藤氏は「内容を訂正しなければならない事実関係の誤りはない」と削除を拒否。現在もこの問題は協議中で、議事録公開はさらに遅れるもよう。この衆院安保委については、以前、この日記でも取り上げました。議事録は公開できなくとも、ネット上では公開されています。(衆議院TVのビデオライブラリの46分頃から、この発言が聞けます。)どうせなら、ネット上の名指し批判にも「ピー」と音を入れろと要求したら。数週間前の『週刊新潮』にも出ていましたが、中山氏は佐藤氏の発言に激怒して訴えてやるとほざいたそうです。そんなことしたら自分が恥をかくだけですよ。「幽霊」妄言その他が法廷で、一切合切明らかになるのですから。そもそも、この中山正暉氏は、平成9年に発足された北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟(旧・拉致議連)の会長でした。その当時「北朝鮮の食糧支援は拉致疑惑が解明してから」というスタンスで超党派の国会議員150名で議員連盟を組織し、会長として拉致問題解決の先頭に立っていました。その中山氏が同年11月に与党三党訪朝団の副団長として訪朝。拉致問題を日本人政治家として初めて北朝鮮に提起しました。ところが、平壌から帰ると言動が一変したのです。よほど、喜び組み(満足組み)のエロエロご奉仕がお気に召したのか、翌年(平成10年)、再訪してからは、名称の「拉致疑惑」を「行方不明」に変更すると言い出し、平成11年には4回訪朝し、なんと、拉致議連会長のまま日朝友好議員連盟の会長に就任するのです。そして8月の記者会見で、「拉致の証拠を出せ」と日本政府に迫り、朝鮮総連の機関紙『朝鮮新報』(2000年9月4日付)で、>南北分断後、朝鮮に対してはまず日本の敵視があった。>例えば日朝交渉でも出ている新潟少女の場合、>20年前には行方不明とされ、『拉致』などという話には>なっていなかった。97年に発表された警察白書が、>『拉致』について触れると、それに合わせるように北からの>亡命者が韓国で拉致について語り、話に火がついた。>時期の一致には大きな力が働いたものと思われる」>「政治家の勘だが、色々出ている話は、幽霊のように実態のないもの>だと思っている。往来がなかったがために、日本側はそうした幽霊の>実態をつかめないでいた。往来を活発にすれば光があたり幽霊もいなくなる」拉致は北朝鮮を敵視する韓国の安企部や日本の公安のでっち上げだと言い、拉致被害者を「幽霊」呼ばわりするしまつ。そのくせ、その後も拉致議連会長として居座ったままで、2002年3月20日には、有本嘉代子さんに電話をかけ、「救う会の運動から手を引けば平壌に連れて行って恵子さんと会わせてやる」とまで言い、家族会や救う会の分断工作を画策し、拉致問題が解決に向けて進展することを妨害し続けたのです。結局、旧・拉致議連は機能しなくなり、同年、石破 茂防衛庁長官を会長とした新・拉致議連が発足しました。そんな中山氏は昨年の秋の叙勲で野中氏と共に最高ランクの勲一等を授かりました。(ウワサでは今年は土井たかこ氏が勲一等を貰えるらしい・・・。)売国奴に勲章を与えるなんて、日本は素晴らしくボケた国ですね。 ↑投票ボタンです。今日の日記が良ければ押して下さいまし。Myエンピツ追加