白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2011年06月06日(月) 散々な週末。昭和育ち。

この週末は娘が胃腸炎でダウンしていて散々だった。

週末に特別な予定の無い金曜日は夫と「明日はどうしよう会議」を開催する。この週末、大阪は貴重な「梅雨の晴れ間」が楽しめるとのことだったので、土曜日はお弁当を持ってピクニックに行くことにした。行き先は娘が好きそうな大きな滑り台がある緑地公園。翌、土曜日は休日だけど平日と同じ時間に起きて朝食を取ったのだけど、朝食後に娘が食べた物をリバース。予定は全て白紙にいて小児科へ行ったところ、ウィルス性の胃腸炎との診断を受けた。

土曜日の晩は一晩中大変だった。娘の吐いた物を頭からかぶってしまう……なんて悲劇もあったりしてグッタリ。せっかくの晴れ間が台無しになってしまったのは残念だったけれど、次々と生産される洗濯物が気持ちよく乾いてくれたのは大助かりだった。そんな娘も昨日の午後には症状が治まって、今日はもう普通に食事が出来ている。明日、もう1日幼稚園を休ませて家でのんびりしていれば、すっかり元気になることだろう。

胃腸炎でグッスリしている娘を見て「青菜に塩だね」と言ったら夫から「昭和的言い回しだね。会社の若者の1割は分からないだろうと断言出来る」と言われた。私は日常的に「青菜に塩」と言う言い回しを使っていて、それはものすごくメジャーな言葉だと思っていたのだけれど、分からない人がいるとは! そんなことをツイッターで呟いたら「いつの間にか平成時代の方が長く暮らしているのに……」と言うような話を返してくれた友人がいたのだけれど「昭和よりも平成の方が長く暮らしている」という事実に、今さらながら驚かされてしまった。

なんと言うか……色々と昭和なのだ。私は。

今回のことに限らず、最近「自分が昭和の人間である」ってことを思い知らされることが多々ある。日常生活の端々で「感覚のズレ」を感じるのだ。それは「昭和が正しくて平成が間違っている」とか「平成が正しくて昭和が間違っている」とか、そういう類の物ではなくて、空気や肌触りレベルでの感覚なのだけど。自分自身の加齢を思い知らされるようで、寂しくはあるけれど、それでも私は昭和的なことが嫌いではない。

だって、昭和育ちなんだもの。

古き良き昭和。負の遺産もいっぱい作りだした昭和。これからも私は自分の中に昭和と言う時代を抱えて、今の世を生きていくのだろうなぁ。今の時代に違和感を覚えるような年齢まで生きてこれたのかと思うと、ちょっと感慨深いものがある。昭和人間、明日も頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2006年06月06日(火) 八百屋のツバメ
2005年06月06日(月) クリームソーダ
2004年06月06日(日) 酒量。
2003年06月06日(金) 贈り物を選ぶ。
2002年06月06日(木) 優しい人ほど涙を流す

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