白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2006年01月04日(水) 日記を読み返す

昨夜、ふとしたことから自分の書いた日記を読み返してみた。

私は何でも書いちゃうと気が済むタイプのようで、これだけ日記を書いていても、書いたものを読み返すことは滅多に無い(なので誤字脱字もそのまま放置されている)。時折「昨年の今頃は何をしてたっけ?」とて、かっきり1年前のものを読むことはあるが、初期に書いたものなど、自分で書いておきながら、何を書いていたかなんて、サッパリ覚えちゃいなかった。

日記を書き始めた頃は、愚弟がまだ入退院を繰り返していて「今回で7度目の手術」なんてことが書いてあった。その当時の出来事は人生の一大事レベルの大事件だったはずなのに、詳細など綺麗サッパリ忘れていて「そんなに何度も手術してたっけか?」と他人事のように驚いた。しかし書いたものを読むと記憶が蘇ってきて、日記には到底書けなかったことなども次々と思い出してしまった。いったい、どうやって自分と折り合いをつけていたのだか。まったくもって謎である。

あの頃の私が今の私を見たら、きっと嫉妬するだろうなぁ……と思う。

あの頃の私は「弟が完治してくれることだけで充分です」なんてことを本気で思っていた。それ以降も、願い事と言うにはささやか過ぎるような、つくづく涙ぐましいようなことを思って生きていたようだ。

最近の私は傲慢になっているなぁ……と、当時の日記を読んで反省した。

現在の恵まれた環境は、周囲の支えあってこそなのに、そのことを忘れかけていた。もちろん私自身の頑張りもあるので「すべて皆様のおかげです」だなんて卑屈なことは思っちゃいないが、自分1人でやってきたように思うのは勘違いも甚だしい。

愚弟が事故にあった翌日、東京から駆けつけてくれた友人のありがたかったこと。遠い大阪南地方から、地元駅まで来てくれた友人に抱きしめられて泣きそうになったこと。影となり日向となって支えてくれた年長の友人達。一緒に頑張ってきた乙女な母と愚弟。そして、これから共に歩いてくれるという未来の夫。彼らにはどんなに感謝しても足りない。

「もっと・もっと」と思うのは人間のあるべき姿だし、そうでなければ前へ進めない。だけど、今の状況に満足したり感謝することも忘れちゃいけないよなぁ……という当たり前のことを、今更ながら気付いた。

当時の日記は稚拙で卑屈で、自分自身で読み返すには少々キツイ代物である。人として恥ずかしいことも沢山書いているのだけれど、書いたものを消さずにいて良かったと心から思った。

……なんて新年早々、いつになく殊勝なことを思った。そんなことを言いながらも、すぐにまた俺様的発想でもって自分勝手な思考に身を浸してしまうのだろうけれど、大事なことは出来るだけ忘れないでいよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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