白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2004年03月26日(金) 休息。

今日も面接に行ってきた。今日の会社は、前職場とは良い意味で180度違う社風で面食らった。面接も「面接」というより、面談という感じで、もし入社したら上司になるだろう女性と1時間半も話をした。図面を触る仕事なのだが、今まで使っていたCADは、ほんの触りしか使わないとのこと。せっかく習った3次元もお呼びぢゃないのだけれど、ああいう会社だったら働きたいと思うような、そんな体制。

22名ほどの小さい会社なのだが、すごく個人主義というか合理的と言うか。「一般事務」の女子社員なんてポジションがなくて「自分のことは自分で」するのが基本のようだ。社内が妙に生き生きしていた。「長く働いてくれる人がいい」とのことで、出産だの、親の介護などで、在宅勤務で仕事をしている人がいる……てなところなどは素敵だと思った。今まで使っていたCADの活躍する場面は少なく、残業も多そうだが、しかし興味深い仕事なので「この会社だったら働いてみたい」と思ったが、しかし結果が出るのは来週の水曜日。じっと待つべし。

今週はガンガンに頑張ったせいか、今日は家に帰ってきたとたん炬燵に潜り込んで、泥のように寝てしまった。仕事をするよりは楽な生活とはいうものの、また違った緊張感があるようだ。しかし週末は就職活動もお休み。土・日は「お休み」を楽しもう。

歳をとると涙もろくなってしまう……という話を某所で拝見。

私自身、親が死んだ時も泣かなかったくせに、違うところでは、けっこう大泣きしてしまった経験があるだけに、すごく分かる。そういうことに対して痛みを感じたり、泣けたりするのは「経験ゆえに」という部分があるのかも知れない。痛みや哀しみという体験の希薄な人よりも、それらを経験してきた人の方が、そのテの痛みや哀しみには過敏になるんぢゃないかと思う。

生きていると、どうしようもなく哀しく理不尽な出来事に遭遇する。

哀しい時は、哀しんだ方がいいと思う。物分りが良くて、格好のいい人よりもずっと人間らしいぢゃないか。哀しみという感情は理屈では割り切れるもんぢゃないのだ。しかしそんな気持ちを胸に、やはり人は生きていかなくちゃいけない……というあたりが、さらに哀しい。そして私は、そういう事柄をハスに構えて流す人より、身悶えして哀しがる人の方が好きだ。

失業して1週間。やたらと濃厚な1週間だったなぁ。ま。とりあえず、この週末は就職活動のことは忘れよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年03月26日(火) 「スーパー・ドルフィー」〜趣味人への賛歌〜

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