白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年04月03日(木) 受け入れるしかないのだ……と。

今日は、昨日の話の続きをば……とても昨日は書ききれなかったので。
昨夜はレスリー・チャンの大ファンのN嬢と電話をして思ったことなど。

当たり前といえば、当たり前のことだがN嬢のショックは大きかった。
「事故とか、病気だったら、ともかく自殺というのがショックで」
「そんなに辛いことがあったなら、逃げ出したらよかったのに」
N嬢は悔やんでも悔やみきれず……といった風情だった。

ハッキリ言って自殺は数ある死の形の中で、特別な形だと思う。
人の死というのは、いつだって突然だし、突然であるがゆえに受け入れ難い。
だが自殺の場合は、その突然は「故意」のものだ。
そして完璧に、この世を拒絶して行ってしまうのだ。
残された者としては「はい。そうですか」と納得できる道理などない。

自殺は卑怯である。自殺する人はズルイ。自殺する人は弱い……
なんてことが言われるけれど、確かにその通りかも知れないと思う。
「なんかズルイ」って気持ちは、どうしても持ってしまうのだ。
だが……だからって、それを責める気にはなれないんだな。私は。
身内に自殺者がいるからかも知れないが、それだけではなくて。

私は自殺なんてアカンと思っている人間だけど、それは、それとして
「そうするしかなった」あるいは「それもまた生きる上での選択」だと思うのだ。
生きていると、自分の度量では、とても理解できないような人や考え方に出会う。
しかし自分が理解できないから、それが間違っているとは言えない訳で。
そう思えば「自殺」というのも理解できないまでも
それはその人の選択であり、生き方だと思うのだ。

結局は、受け入れていくしかないのだと思う。
そんな選択だったのだ……と。
そうするしかなかったのだ……と。

思えば、人の死に限らず、人間はたくさんのことを受け入れなきゃいけないのだ。
嬉しいことも、哀しいことも、楽しいことも、嫌なことも。
自分の感情とは、まったく関係のない次元で、それらはやって来るのだから。
N嬢には「色々思うことはあるだろうけど、受け入れるしかないと思う」
……なんてことを言ってみた。気休めだってことは百も承知だったけど。

それにしても、自分で命を絶つ瞬間って、どんな感じなんだろうなぁ。
想像してみるだに、かなり淋しい。
自分とは、なんら係わり合いのない人だったとしても。
人として。一切を捨てていくのは淋しくなかったのかな……と。
あるいは。淋しいというよりも、楽になる瞬間だったのか?
そんなことは他人の知るよしもないことなのだが。

まとまりもなく、つらつらと思ったことを書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年04月03日(水) 君笑ひたまふこと勿れ。

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