白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年04月03日(水) 君笑ひたまふこと勿れ。

愚弟は整形外科と外科の病棟に監禁…ではなく入院している。
やっかいばかり起こしてくれる家族のおかげで
「入院」という行事は慣れっこの私なのだけれど
整形外科だの、外科の病棟は
死ぬの、生きるの…といった事態にいる人が少ない分だけ
なんとなく雰囲気が明るくて見舞いに行くのも気が楽だ。

愚弟の病院には病棟ごとに「ディ・ルーム」と名付けられたスペースがあり
動ける患者さんは、そこで食事をとることになっている。
強制ではないのだけれど、ディ・ルームは明るい雰囲気で
見舞いにきた家族や友人と一緒にテーブルを囲めたりするので
たいていの患者さんは、そこに集って食事をとっているようだ。
たぶん入院でもしなければ、同じテーブルを囲むことは無かっただろう
老若男女が一緒に食事をする光景は、なんとなくイイ感じだったりする。

でも今日はディ・ルームで不愉快な光景を目にしてしまった。

素敵な寝巻きを着た婆様が4人、1つテーブルに集って
なにやら、楽しそうに大笑いしているので
「なんか面白い話でも?」とて私は聞き耳を立ててしまったのだが
その「笑い」は、非常に不愉快なタイプの笑いだった。
彼女達は少し離れたテーブルの婆様のことを笑っていたのだった。

その婆様というのは、整形外科で足を治療中の
年の頃なら、80過ぎ……といった婆様なのだけれども
痴呆症が進んでおられるらしく
「誰かに物を盗まれた」という被害妄想の中で生活しておられる。
その日も、盗まれないようにと、大きな荷物を抱えて
ディ・ルームにこられていた。
40代くらいの男性が
「ばぁちゃん、病院には大事なもん持ってきたらあかん。家に置いとき」
……などと婆様の話相手になっていたのだが
彼女達は、そのやり取りを聞いて笑っていたのだった。

「あんな風なんったらオシマイだ」とか
「でも身体が動けるからマシだ」とか
「それにしてもトンチンカンで笑っちゃう」とか
婆様が何か言うたびに、聞き耳を立て、その言葉をあげつらっては
大笑いしていたのだった。

ちょっとババァ、そこ並べや! その口と根性叩き直したる!

……といって、4人のババァの頬にビンタ食らわしてやりたいと思ったが
私とて老人に暴力をふるうほど乱暴者ではない訳で
黙ってその光景を見ていただけなのだけれども
ムカッ腹立ったこと、この上もなかった。
もしかしたら、自分達が辿るかもしれない道を行く人に
嘲笑を浴びせていい訳がないぢゃないか。

戦争を知っている人は苦労している分、人間が出来ている…とか
近頃の若い者は苦労を知らないから、どうしようもない…とか
一般的に言われることは、あくまでも一般論であって
あまりアテには出来ないと思う。
禄でもない年寄りもいれば、立派な若者だっている。
苦労して根性がひん曲がってしまう人もいれば
苦労を知らなくたって、心優しい人もいる。

身体の不自由な人やお年寄りを見て笑っちゃいけません
なんてことは、幼稚園くらいで教わることではなかろうか?

老人介護の問題について、色々と議論が交わされているし
私にとっても興味のある問題なのだが
肝心の老人達も、もっと考えて欲しいと思う。
↑しっかり考えておられる方も多いだろうが。
一部の心無い人がとった行動を見ただけで
すべての人が「そうである」と定義するつもりはないが
なんとなく、そんな事を考えてしまった。

そんな、こんなを考えて、今日の日記は、これにてオシマイ。


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