白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年08月13日(火) 仏の愛も金しだい?

今日は朝から、お買い物に出掛けた。

明日は、お坊さんがお参りにくるので仏壇周りのディスプレイ用品を買う。
仏壇の花。牛と馬を制作するためのキュウリとナスビ&おがら。
それにお供え用の果物を色々と買い込む。
お供えといっても、最後は自分の口に入るので食べたい果物を選んだ。
マンゴーとか、ゴールデン・キーウィ、パパイヤ……その他諸々。
仏壇には似合わないトロピカル・フルーツがメインなのはご愛嬌。
せっかくの機会なので、日頃、食べつけない物が食べたいのだ。

買い物の帰り道、おばぁの居るブドウ屋で、ブドウを送る手配をした。
送り状を書いて「ぢゃぁ、よろしくおねがいします」と店を出ようと思ったら
「ちょっと、姉ちゃん」とて、おばぁから呼び止められる。
おばぁは、売り物のブドウを一房、ビニール袋に入れてくれた。
オマケとのこと。ラッキー♪ 仏壇前の果物が1つ増える。

帰宅後、四苦八苦しながら牛&馬を制作して、果物を並べた。
戴いたお供え物なども、仏壇前に並べて、花を飾って準備完了。
私にとっては、家で迎える2度目のお盆だが、面倒なことこの上ない。
ほんのちょっぴりでも信仰心があれば、そうでもないのかも知れないが
私の場合「なんで、こんなことしなきゃならないんだろう?」と思ってしまう。
仏教的には、お盆には死んだ人が帰ってくる……らしいが
「もう死んぢゃったことだし、あちら側で、ごゆっくり」
……と思わずにはいられない。

それなのに、あえて形式に従っているのは
乙女な母の意向と、ぶっちゃけた話「世間付き合い」を考えてのこと。
日本の社会で生きていく上で、必要な行事ならば
大人しく従っておこうか……みたいな。
面倒臭くても、仏教行事をすることで、人間関係が円滑にゆくのなら
これくらいの面倒は我慢しなきゃいけないのだろうと思う。

余談だが、仏壇に飾る花は、お盆になると普段の倍の値段に跳ね上がる。
ちょっぴり理不尽を感じつつも、仕方なく買っているが
そもそも仏壇の花は、仏の袈裟を象徴しているのだとか。
袈裟=仏の懐=仏の愛(仏教的には慈悲)ってことらしい。
↑高校の授業でならっただけなので、出典は不詳。
思わず「愛もお金で買えるのね」なんてブツクサ言ってしまった。

なんとなく用事をしたぞ……ってことで、プチ・ご褒美として
夕方、レンタル・ビデオを借りに行った。
1年半以上ぶりに行ったので、会員カードが切れていて驚いた。
夜はビデオでも観ながら、ゆっくり過ごそうと思う。

そんな、こんなでお盆休み初日終了。
……ってことで、今日の日記も、これにてオシマイ。


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