金色の夢を、ずっと見てる

2007年11月28日(水) 少子化対策とはなんぞや。

自分が子供を持ってみて、改めて考えさせられるテーマである。

定期健診の費用がないからと1度も産婦人科にかからないまま、何のデータも準備もなく飛び込みでハイリスクな出産をした挙句、出産費用を踏み倒す人もいるらしい。そういう人にとっては、検診費用に公的負担が出るようになったらありがたいのだろうけど、逆に、そもそもそんな人は助成が出ても検診なんて行かないんじゃないか?という気もちょっとする。

出産費用がタダになるとか、児童手当が増えるとか、それはそれでありがたい事なんだけど、政府が提案する少子化対策ってなんか的外れというか、良い事なんだけどなんかちょっと足りないようなずれてるような・・・・というものが多くて。


なんかスッキリしないな〜と思っていたら、地元の新聞でこんな記事を見つけました。

イギリス・フランスで出産・育児を体験してきた人が、日本との違いや感想を綴ってきた連載の最終回の文章です。これはぜひいろんな人に読んで欲しい!と思ったので、ここでご紹介。

・・・・・・・・無断転載とかになるかな、もしかして。出典も著者名も明記すればいいのかな?まぁもし怒られたら削除しますって事で、全文を転載させていただきます。読みやすいように、段落分けなど若干手を加えてますが、文章はすべて原文のままです。



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【熊本日日新聞 2007年11月21日】

『まずママが幸せに 〜日英仏 子育て体験記〜』 薗部容子


 ベビーカーを押しながら手動の扉を開けようと苦戦していても、子どもが寝入って重くなったベビーカーを持ち上げて階段を上ろうとしていても、忙しい街の中では誰も手伝ってはくれない。
 そう、ここは日本だったのだ。英国、フランス生活を終え、六年ぶりに帰ってきて、“日本”に気付くようになった。
 
 最近もお蔵入りになったとはいえ、政治家らによる「子育て指南」として、「子守歌を歌って寝かせよ」「絵本を読んで聞かせよ」と、相も変わらず「どんなときも愛情いっぱいの母親の理想像」が提唱されていた。
 
 専業主婦のママは二十四時間の育児を当然と思われ、ベビーシッターに子供を預けて自分の時間を持つなどなかなか認められない。仕事をするママは、自分が働いてることが、わが子の成長に悪影響を及ぼさないかと心配しつつも、職場に迷惑はかけられないと気をつかう。
 
 母乳が出ないで悩むママに「母親としての自覚を持って」と説く助産師もいれば、熱を出した子供を診て「こんなに小さいのに保育園に預けてるから」と説教する小児科医もいる。「母乳を冷凍してまで仕事をするとは」と嘆く政治家もいる。

 英国には、「赤ちゃんを憎らしいと思う瞬間はどんなママにだってあるのよ」といってくれる助産師や、母乳を自分で搾ることがどれだけ大変かを知っていて、それでも母乳を与えたいというママの愛情をくんで、冷凍母乳を預かる保育園の先生がいた。
 フランスにも「赤ちゃんを預け、夫婦でゆっくり食事にでも行かなきゃダメ」と教えてくれた先輩ママ、少子化対策は「まずママを助けること」と考える政治家がいた。

 子どもの誕生日だからと会社を休み、子どもの調子が悪いと聞けば飛んで帰るパパ、そしてそれが許される社会。両国とも、誰もが家族を優先順位の一番に置くことに疑問を感じていなかった。
 そんな社会であれば、私たち母親も子守歌をたくさん歌うでしょう。絵本もいっぱい読むでしょう。今の日本で、歌いたくなるくらい、気持ちに余裕のある母親がどれくらいいるでしょうか。

 私の子どもたちが父、母となる頃には、誰もが「一番大切なのは家族」と胸を張って言える社会になっていてほしいと、願ってやみません。




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転載、おしまい。


これを読んで
「・・・・なるほどな〜・・・・」
というのが最初の感想。そうなんだよ。私達が・・・というか、おそらく世の中の“母親”である人達の大多数が願ってるのは、こういう事なんだよ、きっと。

別に、子供を言い訳にすればなんでも許されると思ってるわけじゃない。でも、まだ言葉が通じない、意志の疎通も簡単にはできない、理屈も通じなければ世間の常識なんてもっと通じない、そんな小さな怪獣を連れてる母親達は、ちょっとした事でいいから周囲のサポートがあればずいぶん暮らしやすいんじゃないだろうか。

そしてそういう暮らしやすさがあれば、もう1人ぐらい子供を持ってもいいな・・・と思ってる人も、少なくはないと思うんだ。


自分で望んで子供を持ったのだから甘えるな、周囲の手助けを望むなんて図々しい、そんな事をいうぐらいなら子供を持たなきゃいいんだ、という人もいます。

実際、子供ができたらいろいろ大変だろうから、仕事がしにくくなるから、周囲の手助けは期待できないから、そんな理由で子供を持つ事を諦めてる人もいます。でも、そうやって諦める人が多くなったからこそ、今みたいに少子化が社会問題になるまでに子供が減ってしまったんじゃないの?



甘えてるのかな、とも思います。子供が熱を出して会社を休む時に、申し訳なく思わなくて良い。それが当たり前だと会社が思ってくれるといいなって事ですから。

でも実際に、子供の事で恐縮しながら休暇をお願いしたり、子連れで出かけて神経磨り減るような思いをするたびに、
「あと1人分(あるいは2人分)こんな思いをするのはしんどいな」
と思うのも正直な気持ち。2人目ができたら、自動的に“子供の発熱で上司に頭を下げて休暇をお願いしなきゃいけない期間”があと何年か延びるわけだ。それはしんどいな、と思うのも事実。

だからって、子供が小さいうちは専業主婦になったら?って言われると、なんで女だけが育児のためにやりたい仕事を諦めなきゃいけないの?って思うし、でもそう言ったら言ったで
「育児も仕事もって自分で決めたんなら、甘えた事言ってないで頑張りなさいよ」
って言われちゃったり。


母親だって万能じゃない。子供の事を気にせず旅行に行ったり、時間を気にせず友達と食事に行ったりしたい。でも子供が小さいうちは無理。そう思うと、2人目は諦めて今いる第一子を早く育て上げてしまいたい、早く自由になりたい・・・と思ってしまう事もあるんだ。子供のためなら大概の事は我慢できるけど、そもそもなんで母親だけがそんなにいろんな事を我慢しなきゃいけないの?って気持ちにもなるんだよ。



うちの会社は1年間の育児休暇がもらえて、復帰してからも育児時短が認められてて、両方の実家も近くて預けたり手伝いに来てもらったりも簡単に頼れて、それってすごく恵まれてると思いますよ。ありがたいし、申し訳ないなって思う。でも心のどこかで、
「なんで申し訳なく思わなきゃいけないんだろう。なんでこんなに気を使わなきゃいけないんだろう」
とも思ってるの。感謝はもちろんするけど、セットのようについてくる“罪悪感”や“申し訳なさ”が鬱陶しい。そう思っちゃう事自体が図々しいのかな。甘えてるのかな。



経済的な援助だけじゃなくて、そういう意識の改革や社会的な受け皿の整備の方が、大事で難しい事なんじゃないでしょうか。言い尽くされた言葉だけど、『産みやすい、育てやすい社会』にならないと、少子化対策にはならないんじゃないかなぁ。



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咲良 [MAIL]

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