金色の夢を、ずっと見てる

2006年06月15日(木) 出産ドキュメント

ご無沙汰してます。咲良です。

本日、久々のPCからの更新です。

いや、一応実家にも母親所有のノートパソコンはあるんですよ。でも接続がすんごい遅い上に、なんでも産後って目を疲れさせちゃいけないそうで。新聞とテレビはなんとか許してもらってるけど、読書は厳禁。当然ネットなんてとんでもない!という感じで、なかなかPCに触る機会がなかったのです。

ちなみに今は家族全員が仕事に行ってる隙にこっそり書いてます。これ書いたらまた休憩しよう。(疲れやすいのは事実)


さて、遅くなりましたが、出産に際してお祝いのメールまたは日記上でのおめでとうのコメントを下さった皆様、本当にありがとうございます。おかげさまで、7日には無事退院し、今は実家でのんびりしております。

記憶が新しいうちに出産の時の話を書き残しておきたいな〜・・・・というわけで、本日は表題の内容となりました。長いですがお付き合いください。



まずは5月31日。

この日、私は普通に外出していました。月末だったので振込みを次郎君に頼まれて銀行へ。ついでに郵便局で自分の振込みも済ませ、さらに借りてた本の返却のために市立図書館へ。そのままスーパーとコンビニで買い物をして帰宅しました。

夕方、早めに帰ってきた次郎君は何やら書類を作っていました。私は少々疲れたので横になって休憩。そのまま夕飯の時間が近づいたのでそろそろ準備しようかな〜・・・・・とぼんやり起きたところで、次郎君から素敵な提案。

「・・・・なんか疲れてそうだね。今日は夕飯どこか食べに行く?」

え、いいの?じゃぁこないだから食べたかったお寿司を食べに行こう!


というわけで再び外出。まぁお寿司といっても『ちょっと上等な回転寿司』なんですけど(笑)


お腹いっぱい食べて帰宅。テレビ見て、お風呂に入って、いつも通りの時間にはおやすみなさい。


そして運命の6月1日。


朝方、5時ぐらいに目が覚めました。ここ最近はいつも夜中と朝方にトイレに行きたくて目が覚めるので、いつものようにトイレへ。次に目が覚めたのは午前7時。

・・・・・・おかしいな、トイレに行きたくなるにはまだちょっと早いんじゃないか?

と思いながらも、なんとなく水分が染み出すような感覚を覚えたので半ば無意識にトイレに行こうとして・・・・・・え、何コレ。




下着とパジャマの股間がぐっしょり濡れている。



汚い話で申し訳ないんですが、最初は尿漏れかと思いました(苦笑)でもトイレに行って改めて見てみると、色は透明だし別に臭くもない。しかも量がやたらと多い。




・・・・・・・・・これ、もしかして、破水ってやつか?


でもまだ予定日まで11日もあるし、なんたってこの前の診察(3日前)で
「まだまだ産まれそうな気配はないですね」
と言われたばっかり。ちょっと様子を見ようととりあえず着替えて、再びベッドに戻ったのですが、やっぱりなんか水分が漏れてる感じがする。30分もしないうちにまたトイレに行き、また下着とパジャマのズボンだけ着替えて・・・・さすがにこれはただ事じゃないかも、とようやく思いはじめました。


このあたりで次郎君も起きて
「どうしたの?」
と声をかけられたので
「ん〜、破水したかも」
と答える。でも次郎君はその『破水した』がどういう状況なのかいまいちわかってなかったみたいなんですね(笑)とりあえず私が結構落ち着いてて
「ちょっと様子見て、なんだったら病院に電話してみるわ」
なんて言ったもんだから、そのままPCに向かってまた何やら書類を作り始めました。


一方私は、
「確か・・・・・陣痛から来たら、痛みが10分置きになったなったら病院に電話しろって書いてあったけど、破水したらまず電話を入れてからすぐ病院に行けって書いてなかったっけ・・・・でも破水ってこんなふうにおもらしみたいにじわじわくるんじゃなくて、もっと急にパシャって感じで来るものなんじゃなかったっけ?これって本当に破水なのかな・・・・・でもとりあえずおしっこじゃない事は間違いないみたいだし・・・・・・えーとこれが本当に破水だとしたら、病院に行ったらそのまま入院になるよな。じゃぁ・・・・・・・とりあえず朝ご飯を食べておこう」

病院の待合室で見た『プレモ』(マタニティ雑誌)の記事を思い出しながら、まずは朝食(笑)ついでに次郎君にもコーヒーを入れてあげて(爆)しばらく『目覚ましテレビ』を見ながらおとなしくしてたんですが、どうにも気になってようやく病院に電話をしたのが8時過ぎ。

状態を説明して、
「これって破水してるんでしょうか?」
と聞いたら、電話に出てくれた看護師さんは
「とりあえず見てみないとわからないので、病院に来て下さい。9時から診察始まりますから」
という返事。

・・・・・わざわざ『9時から診察始まりますから』と言われたって事は、時間外に行かなきゃいけないほど切羽詰った状況じゃないのかな。

じゃぁ9時頃行けばいいか。


しかし実はこの時点で、なんだか不審な痛みは感じていたのです。久々に味わう生理痛のような腰の痛み。しかも、時計を気にしていると、どうも既に10分置きぐらいにこの痛みは来ている。これってもしかしなくても、陣痛なんじゃないか?(陣痛の痛みは生理痛によく似ている、という話は友達から聞いていた)

8時半を過ぎたあたりで次郎君に状況を説明し
「病院に連れてってくれる?」
と頼む。月初めだったので次郎君は自分の仕事関係の集金に廻るつもりで、偶然まだ家にいたんですよ。これが普通の日だったら、とっくに出勤してる時間です。


病院に到着したのは9時半頃でした。待合室に2〜3分座ってたらすぐに中へ呼ばれ、まずは先生の内診。

「・・・・あ、1cmぐらい(子宮口が)開いてますね」

え、結構痛いんだけど、まだ1cmしか開いてないの?じゃぁ全開になる頃にはどれだけ痛いんだ?

とかなんとか思ってるうちに、奥の検査室へ通され
「じゃぁちょっとモニター付けて様子見ますね」
とお腹に何か機械をつけられてそのまましばらく放置。

この時、私は確か
「10〜15分ぐらい様子を見ますね」
と言われたと思ったんですよ。だから
「なんか痛みがきつくなってきたな〜・・・・・まだ15分経たないのかな〜・・・・・もうとっくに過ぎたと思うんだけど・・・・でも痛いから時間の過ぎるのが遅く感じるのかもしれない・・・・・っつーかマジ痛いんだけど・・・・」
と痛みに耐えながら横になってました。


そうやって痛みに耐えながらどれぐらい経ったのか、やってきた看護師さんがモニターをはずしてくれて、
「じゃぁ中待合室で待っててください」
と言ってそこまで手を貸してくれました。なんとか椅子に座って、あきらかにさっきより間隔が短くなってる痛みにそろそろ限界かも・・・と思い始めた頃、事務員さんがやってきました。

「このまま入院になりますけど・・・・・・立てますか?2階の病室まで行けます?」
ちょうどその時痛みの波が来てたので
「・・・すいません、今はちょっと無理っぽいです・・・・」
と答えたら、車椅子登場。表の待合室に出た時に、待合室のテレビから
『答えてちょ〜だい♪』
のテーマが聞こえて
「え、病院に着いたの9時半頃だったよね?これが始まってるって事はもう10時回ってるのか・・・なんだよーやっぱり15分以上経ってるんじゃーん」
と思ったのは覚えています。

しかし後で次郎君に聞いたら、実はこの時点ですでに11時を過ぎていたのだそう(苦笑)なんと私、1時間以上もモニターにつながれたまま痛みに耐えてたようなんですね。最初に『10〜15分』って言われたと思ったのは気のせいだったんだろうか?

次郎君、妊婦さんばっかりの待合室で1時間半近くも1人で待つ羽目になり、相当居心地の悪い思いをしたそうです(^^;


そうこうしてるうちに2階の入院用個室へ。よろよろしながらベッドに横になり、
「しばらくここで休んでてくださいね」
と次郎君と2人にされました。この頃にはもうはっきりと
「あ〜こりゃやっぱり陣痛なんだわ。って事はこのままお産になるのね・・・うわ〜今から何時間かかるんだろう?この痛みがあと10時間とか続いたら体力持たないよ」
なんて事を考えてました。

次郎君に手を握ってもらい、時々腰をさすってもらいながらどのぐらいそうやっていたのか、あまりの痛みに耐えられなくなり、ナースコールで看護師さんを呼んでもらいました。
「助産師さんが診察に来るって」
という次郎君の言葉に頷き、しばらく待つ。やがてやってきた助産師さんが
「じゃぁちょっと見ますね〜」
と診察して言った衝撃の言葉。


「・・・・・・・・あ、もう全開やんか」(←関西弁の人だったんです)


え、全開!?さっき診察された時にはまだ1cmって言われたんだけど・・・・・そんなにハイペースで全開になるものなの!?


驚きながらも、
「もう分娩室に行きましょうね。立てますか?」
と支えられて、再び車椅子で分娩室に運ばれたのが12時頃だったそうです。(この辺の時間の経過は後で次郎君に聞いたものです)


ちなみに、病室に入ってから分娩室に行くまでの間に、それまで着てたTシャツとジャージから産衣に着替えてるんですが、いつ着替えたのかは覚えてません。



前にもちょっと書いたかもしれないけど、私が通院していたY産婦人科では『ソフロロジー法』という出産法をとっています。事前にイメージトレーニングをして、陣痛の痛みを“怖いもの”ではなくて“赤ちゃんに会うために必要なもの”とポジティブに受け入れる練習をしておき、息を細く長く吐く事で痛みを逃しながら出産に臨む、という方法です。これだと、母体に余計な力が入らないので産道で赤ちゃんを締め付けたりする事もなく、結果、お産の時間も短縮できるし、母体にも赤ちゃんにも負担がかからない。

助産師さんや看護師さんの
「咲良さーん!呼吸を意識して!吸うんじゃなくて吐く方を意識して!はい、大きく鼻から吸ってー・・・・はい、一瞬止めて!はい、ゆっくり少しずつ吐いてー」
という声かけに合わせて必死で呼吸をコントロールします。時々耐えがたい痛みに襲われて絶叫しながら、とにかく言われた通りにするのが精一杯。

2〜3度そうやって痛みの波に合わせて呼吸法をしたり休憩したりした頃だったでしょうか。ふいに助産師さんが
「あ、そういえばご主人見えてるんですよね」
と言いました。

はい。本当は立会い出産をしたかったんだけど、病院にはまだ言ってなかったんです。せっかく次郎君も一緒に病院に来てたんだけど私だけ分娩室に連れてこられちゃって、ちょっと
「あ〜しまった〜」
って思ってたんですよね。

そんな事を思いながらもさすがに説明する気力はなかったので、とりあえず
「・・・・来てます」
と頷いたら、
「じゃぁせっかくだから入ってもらいましょうか」
と明るく言われてビックリ。え、そんな簡単にいいの?

驚いてる間に看護師さんが
「ご主人、こちらから中にどうぞ〜」
と次郎君を呼んじゃいました。

本当は、次郎君は
「なんか怖いし痛そうだし・・・・あんまりな〜・・・・」
と立会いには消極的だったんですよ。でもその状況では断れなかったらしく、本人の意思とは無関係に問答無用で立会い出産になってしまいました(笑)


そこからどのぐらい時間がかかったのかはわかりません。両側の看護師さんと足元の助産師さんの声かけに合わせて必死で“細く長く”の呼吸をしながら、時々枕元の次郎君が汗を拭いてくれてるのを感じながら、どのぐらい経ったのでしょうか。助産師さんが言いました。
「もう頭がそこまで見えてますよ。あ、赤ちゃん、髪の毛ふさふさですよ〜・・・・・見ます?」



は?


見ます?って・・・・・どうやって?


なんと、足元に鏡を持ってこられました。今まさに赤ちゃんが出てこようとしているその部分が写るように持って
「見えます〜?赤ちゃんの頭」
・・・・・・・関西弁で言われるとなんか妙に和んじゃうんですよ(苦笑)

しかし残念ながら、私はこの時コンタクトもメガネもしてなかったので、実は全然見えなかったんですね(笑)でも見えないと言える雰囲気でも状態でもなかったのでとりあえず頷いておきましたが、次郎君はばっちり見たようです。


・・・・まぁ(下世話な話ですが)次郎君は見た事ある場所だしなぁ(苦笑)



ところが、ここからがまた辛かった。だって考えてもみてくださいよ。赤ちゃんの頭って、男の人の握り拳ぐらいあるんですよ?それが、アノ部分に挟まって止まってるんですよ!?ぶっちゃけ、陣痛の痛みよりも赤ちゃんが産道を降りてくる時の痛みよりも、私はこの『赤ちゃんが挟まってる時』の痛みの方が100倍ぐらいしんどかったです。冗談抜きで
「すいません、そのつかえてる物引っ張り出してください!」
って叫びたくなったもん。





時々痛みに負けて悲鳴をあげたりもしつつ、何回ぐらいそうやって痛みの波を超えたのか・・・・・・・繰り返される
「はい、ゆっくり吐いてー!」
の声に合わせて息を吐き出した時、何かがズルッと出て行く感触がしました。


・・・・あ。


もう1度、同じように細く長く息を吐く。


また何かが、さっきよりもうちょっとラクにスルッと出て行きました。


・・・・・・もしかして?

と思った次の瞬間でした。

「はい!赤ちゃん出てきたよ!!」
助産師さんのその声と共に、温かくてやわらかいものが、私のお腹の上に広げられたパラフィン紙のような紙の上に乗せられました。

「まだ直接は触らないでね。紙で赤ちゃんを包むように抱いてあげてください」
看護師さんにそう言われ、その小さくて温かいものをそっと抱いてみました。



・・・・・・・赤ちゃんだ。


さっきまで私のお腹の中にいたあの子だ。


突然目の前に現れた赤ちゃんに気を取られてる間に、胎盤もスムーズに出てきて後産も無事に終わったようです。看護師さんが赤ちゃんを一度取り上げて簡単にささっとキレイにして、改めて、今度は直接抱かせてくれました。

「じゃぁお母さん、最初のおっぱいをあげてくださいね」
と言って、看護師さんが赤ちゃんを私の体の横に置きました。背中にクッションを入れてもらって私も横向きになり、看護師さんが手伝って赤ちゃんの口におっぱいを含ませます。


・・・・・すごい、ついさっき私のお腹から出てきたばっかりなのに、ちゃんと吸い付いてる。一生懸命口を動かしてる。

いつのまにか次郎君が隣の椅子に座ってました。何度も目元を拭いながら、
「よく頑張ったな・・・・・お疲れさん」
そう言ってくれた時、初めて涙が出ました。


ちゃんと産めたんだ。やっと私達の赤ちゃんに会えたんだ。
「・・・・・・・疲れた〜」
思わず呟いた私の汗を拭いてくれながら、次郎君がうんうんと頷いてくれて、また涙が出そうになりました。


そうしてる間にも、周囲では慌しく職員さん達が動き回っています。ふと気づくと、先生がいました。そういえばさっきまでいなかったよね?


後になってわかった事ですが、このY産婦人科ではお産には先生は立ち会わないみたいなんですね。というのもここは個人病院で、先生は1人しかいないんです。何時間かかるかわからないお産のたびに先生が立ち会ってたら、外来が回らないんですよ。なので、お産の時は助産師さんと看護師さんだけで、お産が終わってから産後の処置の時だけ先生が来る、というスタイルをとってるようです。


ついでに言うなら、こんな日記を書いてる事からもおわかりかと思いますが、お産の間中、基本的に私の意識はハッキリしてました。痛みで我を忘れた瞬間はあったんだけど、痛みのあまり覚えてない・・・というのはほとんどない。


だから覚えてますよ。分娩室に入ってきた先生の最初の一言が
「もう終わったの!?」
だった事もハッキリと(爆)

私が分娩室に入ったのは12時前後。そして産まれたのが午後1時ちょっと過ぎ。つまり、分娩室に入ってから1時間ぐらいで産まれたんです。そりゃ確かに早いわ。先生も予想外だっただろうなぁ。


赤ちゃんに初乳をあげながら先生の診察。ここで、出産の時に会陰や産道(まぁ要するに膣ですね)が切れてたり裂けてたりしたら先生が縫合してくれるわけですが・・・・・

「きれいなもんですねー!」

・・・・・・はい?

「咲良さん、聞こえます?あのね、入り口近くの内側にちょこっと擦り傷程度の傷ができてるだけで、全然切れても裂けてもいないんですよ。これ、縫ってもいいんだけど、縫うと却って縫う時も抜糸の時も痛い思いする事になるから、縫わずにおきますね。軟膏だけ出しときますから」

・・・・はぁ。


診察もあっさり終わり、
「おっぱいあげながら、しばらく休憩しててください」
とそのまま次郎君と3人で1時間ほどそこで過ごしました。その後、赤ちゃんは体重などの計量のために別室へ。次郎君は両方の母親に連絡を入れてから昼食を取りに行き(そう、彼はまさかこんなにいきなりお産になるとは思ってなかったので、朝からコーヒーを1杯飲んだだけ。後は飲まず食わずで立ち会う羽目になったんです)、私は助産師さん達による産後の処置。入院のスケジュールなどの説明を受け、また小1時間授乳して、ようやく病室に戻ったのは午後4時過ぎでした。


朝から破水したかもと気付いてから6時間、病院に着いてからだと3時間半という、初産とは思えない安産だったようです。助産師さんに
「初産でこれだと、次のお子さんの時はもっと早く出てきちゃう可能性ありますから。あれっと思ったらすぐ病院に来て下さいね」
と真顔で注意されてしまったほど。




でもさー。いくら安産だったとは言っても、やっぱり痛いもんは痛いんですね、当たり前だけど(苦笑)安産だっていうのはようするに『短時間で済んだ』っていうだけであって、痛みの度合いに変わりはないんですよ。そりゃ痛い思いをする時間が短くて済んだってのはありがたいけど、いや〜やっぱり痛かった!本っっっ当に
痛かった!赤ちゃんは2,500gちょっとだったんだけど、あれであんなに痛かったんなら3,000g超えてたりしたら死ぬかもしんない(^^;


予定日よりかなり早かったけど、偶然にも次郎君が家にいた時でよかったです。じゃなかったら自分で運転して行ってたかもしれないな、私(笑) 本人の意思はともかく、結果的に私が希望した通り立会い出産もできたし、安産で母子共に健康。いやぁ良かった良かった。


次郎君は予定外に仕事を休む羽目になり段取りが少々狂ったようですが、実際に立ち会ってみたら泣いちゃうぐらい感動したようです。本人は
「ちょっとじわっと来ただけで泣いたってほどじゃない」
なんて言ってましたが、後日お義母さんに聞いたら
「やっぱり泣けてきたって言ってたよ」
だって(笑)



以上、覚えてる限りの出産の記録でした。入院中のあれこれはまた後日改めて書きたいと思います。


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