金色の夢を、ずっと見てる

2005年04月24日(日)

大学の先生が亡くなりました。去年の8月11日8月13日の日記に書いてた先生です。


悪性リンパ腫という病気で、まだ56歳でした。


今日がお通夜で明日がお葬式なんですが、明日は平日で行けないので今日行っておこう・・・とサヤカとアヤノと3人で行ったら、とんでもない数の人が来ててビックリしました。


多いだろうと予想して開式の30分前には着くように行ったのに、すでに会場の半分近くが人で埋まってました。2会場をぶち抜きで使ってあって、本来ならロビーなんだろうなというスペースも扉を取り払って椅子が並べてあって、それでも座れなかった人が後ろにぎっしり立ってて、それでも入りきれなかった人が階段から1階ロビー、さらには外にまで並んでました。


遺影が・・・なんていうか、とてもいい写真だったんです。私たちが一番よく見た顔でした。背景が緑だったからもしかしたら学内で撮った写真だったのかもしれません。ちょっと斜めにこっちを見て、
「なぁ、そう思わんかね?」
とか
「これ、どう思う?」
なんて私達に問いかけていたいつもの顔でした。


先生にも招待状を出していたのです。昨年の夏に倒れられて、お見舞いに行った時に結婚の報告はしてました。
「来て欲しいので、5月までに治して下さいね」
と言ったら嬉しそうに笑ってくれました。その後病状がどうなったかよくわからなかったので迷ったのですが、来れるかどうかはともかく『来て欲しい』という気持ちだけでも伝えたい・・と思い、少し遅れて招待状を出しました。



お焼香した後、喪主である奥様にご挨拶した時に
「この前、結婚式の招待状を出してたんです・・・」
と言ったら
「あぁ・・・!えぇ、見ました。主人もわかってましたよ。行きたがってました。ありがとうね、呼んでくれて。ごめんなさいね、行けなくて。幸せになってくださいね?おめでとうございます」
と言って下さったものだから泣けて泣けて。


いろんな事を思い出して泣いて、友達と話して泣いて、他の先生と話して泣いて。


1度は帰ろうとしたんだけど、やっぱり最後に先生のお顔をもう1度見ておきたくて、弔問客が一段落するのをするのを待ってサヤカと一緒にまた会場へ上がりました。




久しぶりに見る先生のお顔は、痩せて少し小さくなってて、黄疸で顔色も黄色くなってて、まるで知らない人みたいで。


でも、いつものようにスーツを着てて、お顔の横にはいつもかけてた眼鏡と、授業で使ってたテキストが入れてあって。


頑張ったんだろうなぁ。

頑張って頑張って、必死で病気と戦って、でもダメだった。

でも、先生は精一杯頑張ったんだ、きっと。



涙が止まらなかった。



「いっぺんに皆帰っちゃうと先生も寂しがるから」
と通夜ぶるまい(?土地によって呼び方違うかも)の席に誘われ、ちょっとだけお邪魔することにしてまた2階にあがったら、ちょうど奥様がロビーに出てこられたとこでした。4年前に亡くなった別の先生の奥様を見つけて駆け寄って、抱きつくようにして泣き出されました。


正直、この時が一番辛かった。

訃報を聞いた時も、遺影を見た時も、奥様にご挨拶した時も、お顔を見た時も、すごくすごく悲しかったけど、この時の奥様の涙が一番辛かった。
「これからどうしたら・・・どうすればいいのか・・・・・今までは主人が一緒だったから頑張れたけど・・・どうしたら・・・・・」
途切れ途切れに聞こえる奥様の声があまりにも悲しくてまた涙が止まらなくなって。

「一緒に逝きたかった・・・!」
その言葉にぼろぼろ涙が出ました。


結局、奥様からも
「よかったら混ざっていってください。主人もまだそこにいますから」
と声をかけられてそのままちょっとだけ宴席に参加して、もう1度お線香をあげて先生のお顔を見てから帰ってきました。



いい先生でした。勉強熱心で、授業に誇りを持ってて、生徒と飲むのが大好きで、進路や就職の相談に親身になってくれて。


心残りもたくさんあったと思います。3人の娘さんはまだ若くて1人も結婚されてないし、ゼミを持ってる生徒達もいました。

でも、きっと先生は最後まで頑張ったんだと思います。結局病気に勝てなかったけど、最後まで諦めてなかったと思います。



今も、泣きながらこの日記を書いてます。

最後にもう1度会いたかった。式にも来て欲しかった。また教室に戻って欲しかった。同窓会だってしたかった。





先生。


ありがとうございました。


先生。




さようなら。


 < 過去  INDEX  未来 >


咲良 [MAIL]

My追加