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☆つづかない日記☆ 


2003年07月12日(土) あれだけやって、私大じゃねぇ。。。



昨日の日記で、訂正したい というか、確認しておきたい部分が。



親戚に優秀な大学出が多いと書きましたが、

私はその中には入っておりませんので 念のため。(^^;)



うちの母は、兄が小学校に上がる時 

地元の小学校に とんでもない悪ガキとして有名な子供が、

同級生で入学することがわかっていたので 

遠くの小学校に越境入学させました。

私も三年後、同じ小学校に一緒に電車に乗って通っていたのですが、

越境して地元以外の小学校に通うことが 私が三年生の時からできなくなったので

地元の小学校に転校することになりました。

母は家庭教師を雇い、兄に付属中学を受験させたのですが

それがダメだった時には 大阪市内の高校の校区の良い地域に

引越しまでするという、「孟母三遷」を地で行く教育ママゴン<死語? でした。

孟子の母が、はじめ墓所の近くに住んでいたところ、孟子が葬式のまねをして遊ぶので市中に引っ越した。今度は商売のまねをするので学校のそばに引っ越した。すると礼儀作法をまねたのでそこに居を定めたという故事〕教育には環境からの感化が大きいという教え。

その時、私は4年生で 地元の小学校に一年だけ通って

また転校することになったのです。

(結局、兄は地元の公立高校には行かず 私立の進学高校に進んだので、

校区は関係なかったのですが。)



兄のおかげで私は 小学校を3つも行くはめになったのです。

私たち一家は大阪に引越したのですが、その時

一応 編入試験を受けてまぐれ合格したのは、(急な話で試験勉強を一週間やっただけ)

幼稚園から大学まである、エスカレーター式の私立小学校だったのです。



娘は大学まである女子校に放り込んでおいて、

母は兄の進学一筋に 力を入れました。



現役の高校の先生や、大学の先生を家庭教師に雇い、

私立の進学校に通わせ、それはそれは一生懸命勉強させましたとも!



おかげで兄は東京の一流私立大学に合格したのですが、

それもこれも、

私の犠牲の上になりたっているということを忘れないで欲しいもんです。




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