| 2005年03月25日(金) |
引越しおかたづけ&道院ご挨拶&監督と会食&お好み焼き |
起きたらお昼過ぎていました。あらー…。 父上と母上は当然ご立腹です。 せっせせっせと引越しの準備を進めてくれていました。
あれ?はとバスは?と思ったあなた。よく読みこんでくれていますね。 ん?書いたかなぁ私。 23日が雨だったので、25日にはとバスツアーを予約したんです。
でも、実は昨日のうちにキャンセルしてしまったんです。 卒業式のあと、二人ともぐったりしてしまって。移動がこたえたかなぁ。
…あと、私がいろいろ遊びまわっている間に、 お母様は本当によく働いてくださいました。
お父様は部パーカーを着てくつろいでいました。すっかりお気に入りです。 もう一着ほしいくらいです。 お父様は何もしないわけではなく、ゴミ捨て職人です。
府中市に住んでいなければ、私の引越しは無理だっただろうなぁ…。 恐ろしい。
今日は監督との会食ということでしたが、 引越しの進み具合で決めます、という保留状態にしてありました。 でも本心としてはやっぱり行きたくて、会食参加を目標に頑張りました。
でも70%くらいお母様が助けてくださいました。 私は甘えん坊です…。 両親がこうして健康で動き回れるからこそできる引越しです。 早く一人前になって自立して、仕送りできるように頑張るしかない。
で、夕方になりかけたころ。 ガスも水道も電気もNHKも手続き完了。郵便局も終わり。 どうやら会食には行けそうだということで、 U作さんにご連絡。
…保留ってしてたんだけど、まだ大丈夫?
と。
そしたらいつのまにか幹事はMやこになっていた。 あれあれあれ。 どうやら、この時期で新宿で金曜というのは なかなか見つからなかったらしく、Mやこが引き受けることになったらしい。
Mやこ、お疲れ様です…本当にごめん。
会食までの時間、行けるかどうか分からなかった道院にも お菓子を持ってご挨拶に行くことに。 本当に短い間で申し訳ないけれど、本当にお世話になりました。
私がお邪魔していたこともご存じない先生方も多くいらっしゃいましたが、 それでも私にとってはご挨拶ができた、というだけで かなり気分が楽になりました。
会食に参加するTんてんと15もいたので、 3人で会食に合流しようと見学させていただいていたのですが、 見ているだけでも勉強になります。しばらくやっていないのでとても 体がうずうずしました。
NモとJr.もいました。Jr.頑張るなぁ。 本当に彼女には刺激を受けっぱなしです。
あとで聞いたら、 Nモと15は見学している人が私だとは分からなかったらしいです (近眼のためか)。こらー。わかってくださいよー。
中学生のSとちゃんたちにも会えてよかった。 もう明日引越しなんだよー、と言うんだけど、 自分で言っててなんか切なかったです。
15さんも、練習後の連絡のときに皆さんに留学の旨を伝えていました。 そうか、28日だっけ。いよいよだなぁ。
K保先生が握手してくださいました。ありがとうございます。
そのあと、皆で写真も撮って解散。 そして新宿の会食会場へ。 途中からの合流で一時間もいられなかったけれど、 お料理もおいしかったし、監督のお仕事のお話も聞けました。 有意義でした。 MやこにIくよからのカードも渡せました。
監督が、「少林寺拳法をやっていてよかった、と思うことは何?」 という質問を皆に向けて出されました。
…本当にいろんなことがありすぎて、 一言では言えないので、その場で言ったことも言わなかったことも含めて ここに書いておこうかな。
まずは、それまでの自分とくらべて。
人に慣れました。
私、ものすごく人見知りするんです。 それは今もあまり変わりませんが、以前はもっとひどかったです。 最初は先輩とか同期とか全然知らない人と向かい合って練習するだけでも ものすごく緊張していました。
目とか見れなかったし、手を握ることにも戸惑ったし、 人の顔に向かって突いたり、胴めがけて蹴ったりなんて!と 思っていました。
あと、自分で相手の「もっとこうしたほうがいい点」を指摘して直したり、 直されたり、ということにも戸惑っていたかな。
そんな私だったけど、さすがに4年もやるとマシになりました。 わりと人並みに知らない人と話したり、目上の方とお話することが あまり苦にならなくなりました。 少しずつではあるけれど、度胸がついてきたかもしれません。 いまだにちょっと本番には弱いのですが。
次に、体力がつきました。さすがに。 あと、自信がちょっとつきました。 私、それまで運動部に入ったことがなかったんです。 というより、体育は2とか3を行ったり来たりするようなレベルで、 この世から体育がなくなってくれればいいのにと思うくらい苦手でした。
でした、ではなく、それは今も変わりません。 体を動かすことが比較的好きになりましたが、 競技などをうまくやる、ということについては今も不得手です。 走るの遅いし泳げないし、球技なんか苦手のきわみ。
そんな私がよく少林寺拳法部に入部したなぁと 自分でもものすごく思います。 実際、最初はつらかったなぁ。 痛いし、筋肉痛はひどいし。なかなか技も覚えられないし。 ちょっと部活行くの嫌だなぁと思ったこともあったな。
でも、なんとかしがみついて続けたら、だんだん楽しくなってきて、 コツをつかめるようになってきて、 私でもできるんだ!って思えてちょっと自信がつきました。
その次は、やっぱり人。大好きな人たちに出会えたこと。 本当にすべては人の質なんだと就活中なんか何度も思いました(笑)
少林寺拳法自体がちょっと続けるのつらいかも、と思っていたときも、 それでも部活に行こうと思えたのは、 自分に対する意地っていうのもあるけど、 部活に来るみんなに会いたいから、 というのはとても大きかった気がします。
この部に入ろうと思ったのも、「人」がよかったから。 この一言に尽きます。
逆に、「人」に惹かれなければ、私はきっと入っていなかっただろうな。 ここだから入ったんだな、始められたんだな、続けられたんだなと思います。 そして不思議なことに、そういう魅力的な「人」に惹かれてか、 また魅力的な「人」が寄ってくるのがこの部のおもしろいところ。 先輩ができたし、同期もできたし、後輩もできたし。 そしてみんなとても魅力的で。 みんな大好きです。
あと、部活の運営に携われたこと。 組織ってどんなものかを少し学べたこと。 今までこれだけの人数の組織に入って 運営に関わったことがなかったから、 私にとって大きなチャンスでした。
そういう経験がない人に比べたら、絶対社会に出て生きてくる経験。
最後に言いたいのは、自分が変われた、ということ。 絶対に変わった。確実に自分の中で。実感があります。 今も自分の良くないと思う部分や、いやだなと思うところはあるけれど、 以前からすれば少なくなったと思います。 以前に比べ、人に慣れたというのが大きいかなぁ。
大げさだけど、人生変わっちゃったくらい。 でも、あながちはずれでもない。きっと。
本当によかったなぁ。
お店を出て、監督も「やっていて良かったこと」おっしゃってくださいました。 なんだか心があったかくなりました。
皆で駅へ。 途中でMっつぁんからメールが。 …Mっつぁんもお子さんを私みたいな子どもに育てちゃだめよ。 買いかぶりすぎよ。 もったいないお言葉です。 でもMっつぁんの子ども、早く見たいな。 だんな様とともに。
NモとJr.が別のお店で待機していたので、 監督と駅でお別れしてからまたみんなで引き返して、 お好み焼きやさんへ。
Jr.とNモは昨日「もうこれで会うの最後だねぇ」とお別れしたのに なんだかずるずると会ってしまっています。なんだかしまりがない…。 でも嬉しい。
お好み焼きを皆で楽しく食べて、 両親もいることだし終電よりも早く帰ろうと、 MやことSらわと一足先に駅へ。 三人で写真をとりました。
Mやことはこれでお別れ。Sらわはまた会えるのですが。 Mやこは本当に完璧な人でした。お手本、という感じの女性。 これまた見習わなくてはと思うことがたくさんありました。
私が人生で生まれて始めて出会った、記念すべき帰国子女です(笑)。 ものすごく勤勉な彼女にたくさん刺激を受けました。 私勉強苦手なので。頑張らなきゃと。いい意味でプレッシャー。
あと、関西弁で話せる数少ない人。話のテンポが違います。 Mやことは、1年の時近所だったこともあって、家にお邪魔したり 手作りのお弁当をもらったり(ボート大会)と、 いろんな思い出があります。
Mやことは大阪で落ち合うこともできそうなので、 今から楽しみにしています。
一人京王線のホームに向かいましたが、すでに乗客でぎゅうぎゅう。 とてもじゃないけど乗れそうにないので、 結局終電の急行で帰ろうと思っていたら、 Tんてんたちは各停で帰ると知り、そちらのホームへ。 あ、また会ったね。NモとJr.。と15とTんてん。
調布の駅で急行組(Nモ&15&Tんてん)とお別れ。 Tんてんとはこれが最後。
Tんてんとはねぇ…もう濃い思い出をいろいろ共有してきました。 いろんなこと相談しあったし、 一緒にたくさん練習したし。 勉強でも刺激受けたし。たくさん助けてもらったし。
いっぱいありすぎてここでは書けないわ。 なんか私の中では結構「戦友」って感じに近いです。
でももうしばらく会えないなんて、全然実感わきません。
急行組が電車に乗り込み去ったあと、 残されたのは各停組の私とJr.。 遅れて来た電車に乗る。
彼女の方が先に降りてしまうのですが、 今度こそこれでお別れ。
ドアが閉まるまでホームで動かない彼女に、 早く行きなさい、っていうジェスチャーをするんだけど、 それでもずっとそこで立っていてくれて、 なんだかとってもどうしようもなく切なくなりました。
ドアが閉まって、ずっとお互い見えなくなるまで手を振っていました。 嬉しいのに悲しくて、一体私はどんな顔をしていたのやら。
|