講談社ノベルス 京極夏彦 著
読了しましたー。
誰も「死」という概念と実態を教えてくれなかったら。 書物でしか世界を知る術がなかったとしたら。 その人の常識は外の世界の常識とは"違う"ものになってしまうのでしょう。 (違うのであって、間違っているのではない)
なので読了後、妙に納得してしまったのでした。
存在するということと存在しないということ。 存在するコトと存在するモノ。
存在と非存在。
その境界は曖昧模糊として判別し難いのです。 ウチとソトという概念だって判別し難いものですよね。
短大時代に倫理の授業でレポートを書いたことを思い出しました。 テーマは「存在について」 しかもレポート用紙1枚で書けというお達しが。 短すぎてもダメ、でも1枚を超えたらダメという。
何故かというと、倫理の先生っておじいちゃんだったんですよ。 老眼で読むの大変だからという理由でした。 10枚のレポートを10人が書いたとしたら読む枚数は100枚です。 でも1枚のレポートを10人が書いても読むのは10枚なわけです。
だからね。 余計に考えてしまったのを覚えていますね。 長くするより、短く簡潔にまとめることの方が難しいものです。 自分の言いたいことを要約して、論旨にずれが生じないようにするのは 法学の20枚の論文を書いてきなさい、というのより断然難しかった。
結局どうしたかというと 考えに考えた末、何も考えずにストレートに「存在」について書いたのです。 しかも昼食後の3限目が倫理の授業だったんですが 提出日の、昼食後のちょっとした休憩の間にガーっと。 賞味30分あるかないかってとこかな。
おかげさまで成績は「優」をもらったんですけどー。 戻ってきたレポートには一言「おもしろかった」と書いてありました。 同じ授業を受けていた友人の論文には それを読んだ日付と先生の印鑑のみでコメントは無し。 私と、10人ほどの友人の中でコメントがあったのは私だけで。
でも、私は自分のレポートの何が面白かったのかイマイチわかってなくて。
多分私とかかおりんとかは ちょっとだけ他人と視点が違うのです。 見る位置が違うだけでなくて見る方法も違うんだろうけど。 少し人と違うことを考えて、違うことを書くから面白かったのかな、先生は。 最後の授業で先生と握手した時「おもしろかった」と、また言われた私でした。
感じ方は人それぞれ。 つまりはそういうこと。
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