敬老の日でした。 私、たまたま夕飯を作ることになったので それを食べてもらうことで敬老の日の何かにしようと思ってたんですよ。
だって母上が何かしてあげたらだの、買ってあげたらだの言うから。
ところが。
老人会だか町内会だかの敬老の日お祝い会があったらしく お弁当をもらってきたので夕飯はいらないと言われ。
……ガックシ。
まぁいいけど(いいのか)
そういえば恐竜博に行ってません。 行こうと思ってたんだけど 母上に「行かないなら行かないって言え」だとか 「人を行く気にさせておいてその態度は何だ」とか 矢継ぎ早に口撃されましてですね。 連休中にでも行っておくかーとか 車か電車のどっちで行こうかなーなどと考えていた私の気持ちが一遍に萎えました。 最初から誘わなきゃ良かったなどと思ってしまいました。
確かに私は自己中だけども。 ああ、そうさ、私は自己中さ。まず自分さ。 人のことなんて二の次さ。まず自分さ。
でもね。母上だって自己中だと私は思うですよ。
というか、自己中じゃない人なんて見たことないよ。 誰だって他人よりは自分が大事でしょう。それが家族だとしたって。 だって、世界は自分ありきだもの。 自分がなかったら、世界との接点はないわけだし。 世界は私のためにっていうのはちょっと賛同できないけど 「私のいる世界」っていうのは私がいなきゃ、私がなきゃでしょう。
それに自己犠牲の精神は素晴らしいかもしれないけど 結局それは自己犠牲を強いた自分に酔っている自己中だと思ってしまうの。
荒んでる?
あ、ボランティアについても同様に思ってしまう私。 ボランティアをしてる自分に酔ってる自己中じゃんって。 それに、ボランティアは金とヒマのある人しかできないんじゃないかとか。 奉仕に対する代価を求めないのは それをするだけの元手があるからなのよね。 確かに、いろんな人からの募金とか寄付とかあるだろうけれど。 阪神淡路大震災の時にもちょっと思ってたけど 現地へ赴くためのお金はドコから出てるんだろう。 食料や水を買うお金は募金や寄付で賄えるけど。 ボランティアの人たちが移動するためのお金はドコから出てるの? まずは自分の懐からでしょう。 それに普通に仕事をしている人だったら急にボランティアに行ったりできないでしょう。 急に長い休みなんて取れないでしょう。 例えば土日にだけ行くんだとしたってその都度現地まで往復するでしょう。 そのためには資金が必要じゃない? だから、ヒマとお金がなかったらボランティアになんて行けない。
学生のボランティアにも反感を持つわ。 ねぇ、それは自分のお金なの? アナタがボランティアに行くためのお金は アナタが稼いだお金じゃなくて、親の金なんじゃないの? バイトしてるって言い訳してみたって、お小遣いや仕送りをもらってるんでしょ?
そうじゃないなら私は何も言いません。 親から小遣いも仕送りももらってなくて、自分で自分の生活費を稼いでいて それでボランティアに行けるならそれは凄いことだと思うもの。
私は。 完全に自立した人間ではないから。 親の家に同居して、洗濯も掃除も親任せで。 月々僅かにお金を入れてても食費光熱費をそれだけで賄えてるとは思わないから。
だから、無償で人を救けるなんて傲慢なことはできないと思ってる。
その前にお金がないしね(切実)
寄付ができる余裕のある人とか ボランティアのできるヒマのある人って凄いよね。
お金もヒマもないのにボランティアをしている人は 普段どうやって生活してるんだろう。
そこんとこ、教えて欲しいと思う今日この頃の明日香です。
荒みすぎ?
多分 突然目の前で何か事故が起きて それで被害者が助けを求めていたらそれは人として助けを呼ぶし 私は私としてその人たちを助けると思う。
でも。
自分から、困っている人のいるところへは、行けない。 専門知識も何もないから、きっと私の手には負えない。 そしてそんな、手に負えてない自分を見るのはイヤ。
それが一番の理由なのかも。 変なところで完璧主義で。
ホラね? 自己中でしょう?
何か皮肉で厭世的な感じになってるけど、別に何もないです。 ただのグチだって話も(爆)
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