| 2006年05月07日(日) |
静岡新聞社説と憲法60年企画 |
連休最後そして日曜日、静岡新聞は定期的な長文の社説を載せます。今日のタイトルは『からむ外交戦略、それでも優しい気遣いがうれしい」と北朝鮮の拉致問題とブッシュ大統領を取り上げています。
その一方で1面企画の「憲法60年シリーズ」の最後のインタビューがカン・サンジュンさん、タイトルが「アジア外交に歴史戦略を」です。5回目にふさわしい人選に時代への緊張感を感じさせてくれます。
しかし、私には何かアンバランスを感じさせられてしまいます。社説の書き手自ら「天の邪鬼」といっていますから、「敢えて」の主張なんだろうとは、思います。ブッシュ大統領はそんなに「優しい」んでしょうか。
大量破壊兵器も見つからなかったイラク戦争を仕掛け、いまだ撤退できず、世論の支持を失っているアメリカのリーダー、社説の書き手はどう評価をしているんでしょうか。勿論、拉致問題を肯定しようなどとは思っていません。
私自身にも自己反省があります。私の同郷の蓮池薫さん、彼がたどった運命はひょっとしたら私の運命であったかもしれないという荒浜海岸での拉致事件。もしかと思いながらも、拉致被害者の周りにいる右より政治家。
その古い思考にとらわれてこの問題に近づこうともしなかった自分、一方で過去の侵略の歴史については声高に叫んでいた自分、実は過去の歴史におけるひとりひとりの朝鮮人の痛みについて理解していたんだろうか、との自問。
私たちが拉致被害者の境遇に共感するということと、過去の歴史の痛みに心を寄せる想いは、本来同じものであるはずです。イラクで爆撃される人々と拉致被害者は同じ境遇とするなら、もう少し、違う表現があるのではないか。
アメリカの外交戦略の思惑について冷やかさを見せながらも、日本の政治家をあざけわらうわけです。その姿勢はジャーナリズムの原点において、石川県政とどのような緊張関係として,自らに問い直されているんでしょうか。
カン・サンジュン氏の自らを切り刻む「内と外」に対する厳しいその姿勢は取材する側は当然に感じ取ることができていると思います。静岡新聞社内緊張がどのようなものであるのか。大いに関心が湧いてきます。
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