宝台院本堂での新井英一コンサート。 主催は、フランス割烹 玉珠(オクス)。 もう何回もコンサートの主催になっています。 残念ながら遅れて参加。 新井さんといえば、もう、清河(チョンハ)への道。 自分のアイデンティティを確認するために父の故郷へ。
私も学生時代に日本の侵略の歴史を知り、自分の歴史を素直に語れなくなったあの時期。自己否定、そして懺悔。どうしたら「加害ー被害」関係を対等に出来るんだろうか、自分のアイデンティティとは何なんだろうと随分悩んだ日々もありました。
それから30年以上も立つのですが、今は「加害ー被害」関係の歴史の共有は、結局のところ、「個人と個人の生き方」の関係としてトランスレートできるということに至っています。多くの韓国・朝鮮の友人も出来ました。
新井さん、アンコール曲を歌って、静かに本堂に向ってお参りして舞台を去りました。2002年、清河への旅した最後に故郷の小学校のグランドでこの歌の48番全部を韓国語で歌ったそうですが、今はもうその気分になかなかなれそうにないとのことでした。
自分とは何物であるのか、という「青臭いの問い」を続ける緊張の中でしか歴史の時空を超えることは出来ないということでしょうか。
清河への道
アジアの大地が見たくって俺はひとり旅に出た 玄海灘を船で越え 釜山の港を前にして夜が明けるのを待っていた
プサンの街でバスに乗り 海雲台の海を見た ここが親父のふるさとと 思えば道行く人たちの顔がなにやらなつかしい
言葉のわからぬ悲しさか 身ぶり手ぶりで話した 俺はここへ行きたいと半島の地図をさし出して慶尚北道と指をさす
バスをいくつか乗りついでやっと慶州へたどりついた リュックかついで人波を右へ左へ歩いてた心は遠いノスタルジア
アリアリラン スリスリラン アラリョ アリラン峠を俺は行く
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