| 2005年03月11日(金) |
秦 河 勝 連載24 |
583 年(敏達天皇11年)都に疫病が蔓延した。秦河勝は、23才であった。 この年の夏、父国勝が体調を崩して床についたので、河勝は父国勝の名代として大和の要人のところへ貢物を届けて、葛野の里へ帰ってくると、村人達が集まって噂をしている。
「深草の里では病が流行って、沢山人が死んだそうじゃ。熱が出て腹を下し物が食べられなくなるそうじゃ。この里にもやってくるかもしれんぞ」 「水を飲むと腹をこわして下痢が止まらなくなるそうじゃ。熱くても水は沸かしてお湯にして飲んだほうがよいそうじゃ」 「何でも都では人間の顔をした神様をお祭りしなかったため祟りで、病が流行りだしたということじゃ。若殿、都の様子はどうですか」と中年の百姓の男が河勝に聞いてきた。
「腹が痛くなり、下痢をする病が流行っているのは確かじゃ。人も沢山死んでいる」と河勝は道端に転がっていた乞食の死骸を思いだしながら言った。 「人間の顔をした神様なんてものがあるのじゃろうか。神様のお姿はわしらの目には見えないものじゃと思うとりましたがのう」 「私は子供の頃、父に連れられて蘇我稲目大臣の向原のお寺で初めて仏様を拝ませて戴いたが人間の顔をしておられた。それは清々しいお顔じゃったという印象をうけたものだが、この度も拝ませて戴いた。心が洗われるような気持になったよ」とその時の光景を思いだしながら河勝は言った。 「わしらもどげなお姿なのか見てみたいものじゃのう」 「将来、私も仏様を迎えてお寺を建てたいと思っているよ」と河勝が言った。 「その時には是非とも拝ませて下さい」 「いいとも」 「海の向うから渡ってこられた神様は御利益の多い神様のようじゃな」 「御利益が多いからこそ粗末に扱うと祟りが大きいそうじゃ」 「祟られるようなことを誰がしたのじゃろうか。若殿は遠出されることが多いから何か知っておられるじゃろう。教えてくださらんか」と機織りの男が言った。
「都で聞いた噂では大連の物部守屋様が蘇我氏の屋敷を襲って仏様をお祭りしてある仏殿を焼き払い、仏像を堀に流されたのでその祟りがでたということじゃ」と河勝は最近仕入れた情報を公開した。
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