前潟都窪の日記

2005年03月04日(金) 秦   河 勝 連載17 

国内問題としてもう一つの大きな問題は仏教の受容をめぐって、崇仏派の大臣蘇我氏と排仏派の大連物部氏とが対立を深めつつあった事である。

 当時の大和朝廷では皇祖神(天照大神)と地主神(倭大国魂神)二柱の神を祭っており、奉安されている三種の神器の八咫鏡・八尺に曲玉・草薙剣 は統治権の正当な継承者即ち天皇の地位と権威の象徴であった。国神 (くにつかみ)の司祭者としての天皇家が他国神(あだしくにのかみ)である仏教をただちに受容することは天皇家の権威にかかわることであり、容易に決断出来る問題ではなかった。万物には神が宿るという考え方は皇室を始め一般民衆にいたるまで素直に信じられていた。

農耕の豊かな収穫は神の恩恵であった。穀物の霊も神と仰がれた。山の神、水の神、河の神、森の神、大地の神、神の憑り代としての樹木や岩石などが神として崇拝された。言葉にも霊が宿るという言霊思想も流布していた。神々は各氏族集団の祭祀の対象であり、守護神としての氏神になるものもあった。

 そもそも、日本の氏族には連姓を持つものと臣姓をもつものがあった。連姓は神話の世界である天上の高天原において、中臣、忌部、猿女、鏡作、玉祖という各氏族の祖先が天皇家の伴(とも、隷属者)として発生した。これらの伴は五伴緒(いつとものお)と呼ばれた。天孫降臨のとき護衛をつとめた大伴氏や、神武天皇にいちはやく帰順した物部氏は神代時代から天皇家の家臣であると位置づけられていた。

 五伴緒の鏡作、玉祖の二氏は祭具の製作に携わった。    

 中臣、忌部、猿女の三氏は司祭者であり、天皇家の伝統と権威の源泉である神宝を奉祭することで天皇に仕えた。是等の氏族は職掌柄他国神を受容することはできなかった。


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