お曼陀羅 潮は毎朝起き出したら最初に仏壇に向かってお茶を供え、線香を焚き般若心経を読唱するのが日課になっている。見るとはなしに隣の床の間にかかっている掛け軸を見た。普段は季節折々の軸がかかっているのだが、弘法大師の画像を中心にして四国八十八ケ所の札所のご朱印が取り巻いたお曼陀羅に替わっている。豊岡家の亡き両親の命日でもないし、暦の上でも仏事に関係のある日でもない。このお曼陀羅は9日からかかっている。9日は義母寿子の命日である。告別式に出席できなかった妻淑子の母を失った悲しさと父多市と弟福吉に対する怒りの激しさを表すために豊岡家の床の間に敢えて掲げたお曼陀羅なのだと思うと淑子のいじらしさが不憫に思えた。
このお曼陀羅は義母寿子が岳父多市とともに生前四国八十八箇所を遍路して廻り、札所で頂いたご朱印を掛け軸にしたものである。車を利用して廻ったであろうから、一日何か所かを巡ったことであろう。丁度その頃、潮の父が亡くなったのでその供養のためにと寄贈して貰ったものである。それほど仏心の篤い岳父と義母だったのに今回の娘淑子に対する仕打ちはちょっとひどすぎる。そんな感慨を抱きながら懐旧の念に浸っていたが、ふと疑念が生じた。これは果たして本人達が自ら一つ一つご朱印を集めてその集大成として軸にしたものだろうか。汚れもなく実に見事に出来上がっている。
義母寿子の告別式の営みは密葬という不自然な方法で行われたことと思い合わせれば、このお曼陀羅は商売人が売っている完成品を購入してきたものではないのだろうか。世の中すべてが金だという価値観を持っていた岳父多市と一緒の旅だったからありえないことではない。
そんなことに思い至って愕然とした。今まで淑子が自分の両親のことを悪しざまに批判するのに対して、肉親だからことさらにきついことを言っているのだろうと思っていた。
潮は淑子とは異なって、岳父と義母の人間性に対する見方はをもっと高く評価しようとしていたのだが、ここに思い至って見方を変えなければいけないなと思った。今は寿子の冥福を祈るのみである。
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