▼国税局の査察 朝出勤してから一番にする仕事は、手提げ金庫の中の現金を勘定して出納帳の数字と照合することである。今岡建設工事株式会社の経理マン都窪 勇はいつものように一万円札を数えていた。 晩秋の寒くなりかけた日の朝の出来事である。部屋の入口が開いて人相の良くない二人の男が入ってきた。見慣れない顔である。
これはおかしいと感じて 「どちら様でしょうか」と誰何した時には本能的に札束を金庫の中に収めて身構えていた。 勇が最初に考えたのは、暴力団が労災事故を種にゆすりにきたのではないかということであった。
つかつかと勇の所へ近寄ってきた闖入者の一人がポケットから身分証明書と捜索許可証を取り出して勇の目の前に示しながら言った。 「都窪 勇さんですね。東京国税局の者ですが、法人税法違反の容疑で査察します。そこを動かないで下さい」 身分証明書には東京国税局査察部第二部長海野一郎という活字が印刷されていた。 「そんな無茶な。悪いことなんかしていませんよ」 「調べれば判ることです。現金を数えて下さい」と海野は都窪の抗議にはとりあわず、事務的に命令する。 もう一人の背の低いほうの男は、何ごとが起こったかとこちらの方ヘ注目している部屋の中の事務員達に向かって言った。 「脱税容疑で査察しますから、皆さんは、仕事を止めて我々の指示に従って行動して下さい。今後暫く電話の使用を禁止します。電話はかけないで下さい。掛かってきた電話は我々が取りますから皆さんは許可がでるまで受話器には一切手をつけないで下さい」 勇の胸は早鐘を打つように高鳴っていた。国税当局が査察を掛けてきた以上確信をもっているのであろう。証拠もある程度掴んでいるのではなかろうか。架空工事代の計上が見つかってしまったらしいということは容易に想像がつくが、どの範囲までなのだろうか。どのように対応するか。頭は素早く回転しいろんなケースを想定する。
「都窪さんこちらへ来て下さい」と先程、身分証明書を提示した海野一郎が隣の応接間に勇を呼ぴ込んで言った。 「今日は百人の捜査員があなたの会社の本社、東京支店、大阪支店、四国支店、九州支店ヘ手分けして動員されています。脱税容疑です。脱税の事実を認めますか」 「冗談じやありませんよ。脱税なんかしていませんよ」 「確信をもって言えますか。本当に脱税していないというのなら最後まで否認して下さいよ。もしやっているのならあまり手間をとらせないで、今すぐ認めて下さいよ」海野はじっと勇の目を鋭い眼差しで覗き込むようにして言った。 「濡れ衣です。投書でもあったんですか。もしそうならその書類を見せてくださいよ」と勇は食い下がった。
「捜査上の機密ですから教えられません」と言ってとりあってくれない。海野が今日の捜査の責任者らしく、主だった捜査員に指示をすると捜査員達は机の引出しや書棚をを引出しては茶色の封筒にファイル名を転記して、番号を打ち、一件ごとに封入していき、更に段ボールの箱に封筒を格納していく。勇が捜査員の数を目で追っていくと四十人位しかいない。海野が百人と言ったのはこけおどしかハッタりではないのか。それにしても社長はどうしたのだろうか。朝、顔を見たのに「一寸喪服を取りに家まで行ってくる」と言い残して帰ったまま姿を見せない。
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