前潟都窪の日記

2004年12月22日(水) 酒のこと��

 三回生からゼミナールが始まる。勇は刑法の平場ゼミに所属して目的的行為論の立場をとる平場教授の指導を受けた。平場教授の還暦の祝いが東京の平河町で催されたことがあるが集まってきた人達は法曹が多かった。ロッキード事件が騒がれていた頃で田中角栄元首相を検事として取り調べたという先輩もいた。

 ところで平場ゼミを卒業するにあたって先生に記念品を送ることになった。当時先生はドイツへ留学する計画があって、語学を勉強中とのことで、今のものに比べると、とても巨大なテープレコーダーを差し上げることになった。この贈り物を多とされた先生は、ゼミの学生全員を祇園の乙部の茶屋へ招待して下さった。お銚子だけが出て、舞妓達が祇園小唄と京の四季に合わせて、踊りを見せてくれた。舞妓3人程と三味線のお姐さんが2人ほどもでてきたであろうか。京都の4年間の学生生活の中でリッチな気分になり華やいだ経験はこの時が最初で最後であった。

 その後社会人になってから、同窓会の二次会で祇園の一力へあがったことがある。昭和57年の集まりであったと思う。京都に住まいする山本弁護士の顔で、予約も紹介もなしに突然の登楼であったが気持ちよく歓待して貰えた。この一力では大石蔵之助が山科に住まいして祇園へ通っていた頃、一力へ出した直筆の手紙が保存されており、額縁にいれて大切にされている。山本君が乞うと女将がこれを出してきて見せてくれた。文句は覚えていないが借用書のようなものであった。滅多にない機会なので私が持参したカメラで記念撮影したがフイルムが切れていて折角の思い出が記録に残らずじまいになってしまった。痛恨の一事である。

 酒の量が判らなくて失敗するケースはよくあるが、では自分の酒量はどれぐらいかとなるとやはり実地に試してみるしかないだろう。


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