▼酒のこと 酒と勇との付き合いが本格的に始まるのは大学へ入学してからのことである。普通誰でも幼少の頃から、父親なり祖父なりが晩酌をしている姿をみたり、宴会で泥酔して帰宅する父親の姿を見て育つから、酒を口にするのはもっと早い時期であろう。ところが私の父は次男坊であったため、我が家には祖父母がおらず、父は全くの下戸ときていたから、子供の頃お相伴で酒を口にする機会は皆無であった。酒を飲んでいる父の姿をついぞ目にしたことがない。また我が家で酒瓶を見たこともなかった。
しかしながら、子供の記憶で父が酒を飲み愉快にはしゃぐ姿を一度だけ見たことがある。母方の従姉の美智子姉さんが婿養子を迎えた婚礼の席でのことである。確か昭和23年のことであったと思うが、戦後間がなく物資の欠乏していた時代である。畳表の卸問屋と畳表の機織り工場を営んでいた伯父の一人娘美智子姉さんが東大出の青年と婿養子の婚約が整い、自宅の客間で婚礼の儀式がとり行われた。
親戚の人々が招待され、当時小学校3年生であった私と女学校1年生であった遠縁の寿美ちゃんとが雄蝶、雌蝶に選ばれ、三つ重ねの杯を三方に乗せて、朱の漆塗りのお銚子の酒を新郎新婦はじめ、仲人や列席の祝い客にお酌して廻った。人にお酌するだけで自分が口にするわけではない。本来であれば、子供であっても羽織袴で正装するところであろうが、戦後の物資不足の時代で婚礼用の酒を調達するだけでも難儀な時代であったから、子供用の羽織袴なんかある筈もない。払い下げの軍服を黒く染色して子供用に仕立て直した母親手縫いの洋服を着て三三九度の杯を満たして廻った。寿美ちゃんはさすが女の子であるから戦時中、箪笥にしまってあった母親が娘の頃着用した和服をこれも仕立て直してめかし込んでいた。
三三九度の杯も終わり、祝い膳となってから仲人の謡曲高砂が終わるのを待ちかねていたように、来客の誰からともなく陽気だがあまり巧くもない歌が始まった。その中に父の歌声もあった。 「もしもし亀よ亀さんよ。どちらが先に毛が生えた・・・・」 「ドンブリ鉢ャ浮いた浮いた、捨て猫シャンシャン・・・・・」 座が静まろうとするのをわざとおどけて盛り立てようとする歌であった。顔を真っ赤にして茶碗を箸で叩きながらの熱演は後にも先にも私が垣間見た酒を飲む父の最初にして最後のものであった。父は甘酒を飲んでも顔が真っ赤になる生来の下戸であった。
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