| 2004年12月13日(月) |
ポット出法の授業と弁論大会�� |
中学2年に進級したある日の授業で人間は人それぞれに、その時々の感情や感傷、印象を歌にしたり、詩にしたり、文章にしたりすることの大切さを説かれた。そして自詠の歌集の中から何点かを披露された。非常な刺激を受けた勇は特に先生に請うてその歌集の一部を戴いた。その歌集は奥様との恋愛時代の相聞歌が中心であったが、これに触発されて自分も何時の日か自分の著作、自分の歌集を発行しようと心に決めたのである。
また先生はその頃この中学に弁論部を創設され、見込みのありそうな生徒を集めてはテーマを与えて原稿を書かせ、これを修正加筆したうえで、演説の仕方を指導された。校内で弁論大会を開き、入賞者を特訓して、天城高校で開かれる学区内中学弁論大会に出場させ初出場にもかかわらず、優勝の栄誉を獲得した。優勝したのは3年生の谷本先輩であった。
谷本先輩が卒業してから、白羽の矢をたてられた勇は先生の特訓を受けて、「38度線の思い出」という演題で出場して翌年の大会で優勝した。先輩の獲得した「早島中学に弁論部あり」の名声を汚すことなく継承し次の学年の太田州彦君に引き継いだ。この太田君も翌年の大会で優勝し母校の名声に磨きをかけてくれた。
この久保田先生は、その後転任された先の各学校で弁論部を指導されて優勝回数百回以上を数えるに到り、岡山県下の教育関係者の中で誰一人知らない人はない「弁論指導の神様」となり10年ほど前に定年退職された。 今は亡き奥様の位牌を抱いて世界の仏跡巡りをされていると聞く。
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